生きることは理想を追求することである。そのために思考し、実践する。もちろん、仕事もその場のうちの1つである。置かれた状況によって出来ることと出来ないこと、変えられるものと変えられないものがある。究極の理想をつねに念頭に置き、いま出来る限りの最高のパフォーマンスを上げられるように日々努力する。それによって、一歩ずつでも理想に近づいていく。そのような思いで日々を生きている。
iPhoneで音楽を聴きながら、仕事をすすめた。初めは最近気に入っているバンド、サンフラワー・ビーンのデビュー・アルバム「ヒューマン・セレモニー」を聴いていた。ニューヨーク出身の若手バンドだが、聴けば聴くほど好きになってきている。私の音楽的好みのツボをいろいろな方向から押してくれて、しかもこれがいま旬のバンドだというのだから嬉しいではないか。
次に、佐野元春の「フルーツ」を聴いた。1996年にリリースされた10枚目のアルバムだが、私はこれをリアルタイムでは聴いていない。
1981年、旭川で中学生だった私は、学校から帰ってきて、自分の部屋でラジオのFM放送を聴いていた。NHK-FMの「軽音楽をあなたに」である。その時にかかった佐野元春の曲をカセットテープに録音した。当時でいうエアチェックという行為である。佐野元春の音楽を聴くのは、おそらくその時が初めてだったと思う。雑誌などで名前だけは知っていた。ライブハウスで人気の若手ロッカーという感じだったと思う。
その年にリリースされた2枚目のアルバム「Heart Beat」から「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」の3曲がかかった。すぐに気に入って、それから何度も繰り返し聴いた。
歌詞がすべて完全には聴き取れなかったり、意味が分らなかったりもするのだが、それまでに聴いてきた日本のロックやポップスのそれとは明らかにタイプが違っていて、すこしかすれたような感じのボーカルもカッコいいと思った。歌詞を聴き取って、ノートに書き出してみたりもした。
それから少しして、ミュージックショップ国原で「Heart Beat」のLPレコードを買ったのだが、気に行って何度も何度も聴いた。よく好きなレコードを擦り切れるまで聴いたという言い回しがあるが、このレコードは本当に擦り切れるまで聴いたと思う。収録曲のすべてが大好きだった。
このアルバムに描かれた世界は、未来に私が送るであろう都会の生活の理想像となった。
その年の秋に大滝詠一のナイアガラ・トライアングルのメンバーに、佐野元春が杉真理と共に選ばれ、「A面で恋をして」がヒットした。翌年に発売されたアルバム「ナイアガラ・トライアングルVol.2」は、高校受験に合格した後、自分へのご褒美的な意味合いで遊びに行った札幌の玉光堂で買った。
それから数ヶ月後、高校に入学してからまだそれほど経たない頃に、アルバム「SOMEDAY」がリリースされ、これはオリコン第4位のヒットになった。それまでの佐野元春はメディアではそれなりに取り上げられてはいたが、じつはそれほど売れてはいなかった。「ガラスのジェネレーション」も「SOMEDAY」も「アンジェリーナ」も、リリース当時にオリコンの100位以内にすらランクインしていない。
入学したばかりの高校には、佐野元春のファンだという男子や女子が何人もいた。私はこんなにブレイクする前からレコードを買っていたことについて、少しだけ優越感を感じていた。
「アンジェリーナ」が収録されたデビュー・アルバムの「BACK TO THE STREET」は冬休みに買っていたし、前年秋にリリースされたシングル「ダウンタウン・ボーイ」は買ってはいなかったものの、FM放送から録音したものを何度も聴いていた。マーヴィン・ゲイの名前を初めて知ったのは、この「ダウンタウン・ボーイ」の歌詞でだったと思う。
その後もリリースされた新作はほぼ発売日に買っていた。「VISITORS」が出た1984年の冬には旭川市民文化会館で行われたコンサートにも行った。
佐野元春は私よりも10歳上であり、その作品や発言などは、私の近い将来の理想に少なからず影響をあたえたのではないかと思う。「ガラスのジェネレーション」において佐野元春は、「つまらない大人にはなりたくない」と歌った。
私が大学生の頃にリリースされた「WILD HEARTS-冒険者たち-」の歌い出しは、「土曜の午後 仕事で車を走らせていた ラジオで流れるリズム&ブルース 昔よく口ずさんだメロディー」というものであった。
最後に佐野元春の新作をリアルタイムで買ったのは、1990年の「TIME OUT!」であった。それから、一時期、私は日本のポップ文化から意識的に距離を置くことにした時期があり、その頃から佐野元春も聴かなくなった。持っていたCDも売り払ってしまった。
佐野元春が1984年リリースのアルバム「VISITOR」収録の「NEW AGE」で歌っていたところの、「昔のピンナップはみんな壁からはがして捨ててしまった」という時期だったのかもしれない。
私は企業で仕事をするようになったが、大学生だった頃に佐野元春が歌っていたような、土曜の午後に車をとばしているとラジオで昔よく口ずさんでいたリズム&ブルースが流れてくるような感じでは、まったくなかった。
数年前、1992年リリースの8枚目のアルバム「Sweet16」に収録されていた「レインボー・イン・マイ・ソウル」という曲が急に気に入り、それから1990年代の佐野元春のアルバムもいくつか聴いてみた。聞き覚えがある曲や、新しく好きになった曲がいくつもあった。「フルーツ」に収録された「水上バスに乗って」もそのうちの1曲である。
仕事をしながら、やはり「フルーツ」は良いアルバムだなと思った。そして、アルバムが終ったので、次は何を聴こうかと考えた。仕事の手を休めたくはなかったので、直感的にすぐに決めたかった。そして、佐野元春&ザ・コヨーテバンドが昨年リリースした「BLOOD MOON」を聴くことにした。
このアルバムは昨年、「ミュージック・マガジン」が選んだ年間ベスト・アルバムにもランクインしていたが、まだ聴いていなかったし、マイミュージックにも追加していなかった。
なぜこのアルバムをいままで聴いていなかったかというと、その理由はおそらくあるのだろう。しかし、いまこのタイミング、状況は聴いてみるのに相応しいのではないかと思った。定額音楽配信サービスのApple Musicで検索をして、再生した。
1曲目の「境界線」がかかり、数分後、私は魂が熱くなるような感動を覚えていた。これはあの1981年の午後、「軽音楽をあなたに」で初めて聴いた時か、はたまた1984年の「元春レディオ・ショー」こと「サウンドストリート」で初オンエアされた「SHAME-君を汚したのは誰」を聴いた時、あるいは1985年に斬新なポエトリー・リーディング・カセット「ELECTRIC GARDEN」を一人暮らしをはじめたばかりの東京の四畳半で聴いた時以来であろう。
「この決意はどこへと向かっているのだろう 自分でも判らないくらいだ」というのが歌い出しの歌詞なのだが、この時点で心をギュッと摑まれた。現時点、リアルタイムでの私の心境になんとフィットする歌詞なのだろう。そして、続く。
「どんなオチがついても選んだ道に花を飾って 明日、境界線を越えていこう」、なぜなら、「そこに君が待っている」からである。サビ部分では「感じたままのど真ん中をくぐり抜けてゆく」「これ以上、待っていても無駄だろう」と歌われる。
これはもしかするとある特定の事件について、明確なモチーフがあって、それについて書かれた曲なのかもしれない、と思った。しかし、それは聴いてからしばらく経った時のことである。聴いている時は、ただただ私自身の現状に引き寄せて、とてもリアルでシリアスな音楽として聴いた。
リスクを恐れずに信念に従い、果敢に理想を追求していく者のことが歌われている。しかし、そこに悲壮感や陶酔的なヒロイズムは無い。覚悟を決めた後の爽やかさが感じられ、それはサウンドやメロディーにもあらわれている。
たとえば中学生だった頃の私がこの曲を聴いたとしても、リアリティーはそれほど感じなかったのではないだろうか。
この曲の歌詞からストレートに想像する物語とは、危険を冒して国境を越え、自分のことを待っている人に会いに行くというようなものであろう。
現在の私がこの曲にリアリティーを感じるからといって、私自身がけしてこのような状況にあるというわけではない。
仕事のバックグラウンドミュージック程度の感覚で選曲した私の意識を喚起し、無意識に読み替えを行わせる強度が、この作品にあったということなのだろう。
「境界線」は現在、私が従事している仕事における慣例や前例、あるいは常識と信じられているようなもの、そして、待っている「君」とは、これを成し遂げた先にあると信じている理想のことなのだと思った。
佐野元春が30年前の熱心なリスナーのこのような反応を想定してこの曲を書いたとはまったく思えないのだが、優れた作品とはえてしてこのように本来の意味を超えて、人に影響をあたえていくものなのではないか。
「知っている事のすべて 夢見る力のすべてを使って」という部分にも、グッとくる。
BLOOD MOON(通常盤)/佐野元春&THE COYOTE BAND

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