おめでとう尊富士 大相撲新時代がやってきた | 八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳ゆるふわ日記

八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(優勝祝賀会にて 弟弟子を見つめる照ノ富士の優しい表情といったら)

 

 新入幕の尊富士(伊勢ヶ濱部屋24歳)が足首の捻挫をおして見事初優勝を遂げた。

 お見事尊富士。おめでとう尊富士。

 

 新入幕力士の優勝は1914年(大正3年)5月場所の両国(9勝1休)以来110年ぶりの快挙だという。

 もっとも当時の大相撲は年4場所の10日制、しかも両国関は一門の力士とは対戦が組まれない時代に最大勢力を誇った出羽の海一門のお相撲さんだったからこれは参考記録というべきだろう。

 

 ちなみに新入幕力士の快挙という点では、1945年千代の山(のち横綱→九重親方)の新入幕10戦全勝という記録がある。当時は優勝決定戦がなく「同点上位優勝」だったため、もう一人の全勝力士横綱羽黒山が優勝となった。

 蛇足の蛇足だが、千代の山は横綱返上の申し立て(相撲界で唯一無二の椿事)、ピストル不法所持(親方時代大鵬、北の富士とともにハワイ巡業から持ち帰った)、出羽の海一門破門(九重部屋新設時 高砂一門に部屋ごと移籍)と相撲以外の部分で話題になることが多かった。

 

 その尊富士であるが、これからの1、2年が正念場だ。

 相撲ファンの由利さん、不破さんによると、角界には「25歳までに大関になれないと大成しない」という経験則があるのだという。

 

 今世紀に入ってからの歴代大関の昇進年齢を見ると、25歳までに大関に昇進した力士10人(現大関の豊昇龍、貴景勝、琴ノ若を除く)のうち横綱に昇進したのは7人。昇進率は70%に及んでいる。

 

 

 

 一方26歳以降に大関にあがった10人(現大関の霧島除く)のうち横綱までいけたのはわずか2人に過ぎない。

 

 これが真実だとすれば次代の横綱を担う人材は極めて限定され、幕内、十両を含めて、

 前頭2 熱海富士(21歳)

 前頭3 王鵬(24歳)

 前頭5 大の里(23歳)

 前頭17 尊富士(24歳)

 十両11 欧勝海(22歳)

 十両13 伯桜鵬(20歳)

の6人しかいないことになる。

 

(三賞受賞インタビューで健闘を称え合う尊富士と大の里 これからもよきライバルとなるだろう)

 

 彼らが大関、横綱と昇りつめたとしても別の試練が待っている。

 年寄株取得問題である。

 年寄株は総数が105と限定されていて、これを取得しないと日本相撲協会には在籍できないし、当然ながら部屋持ち親方にもなれない。

 

 現幕内力士から十両のベテランまでおおよそ50人の有資格者がいるとしよう。この力士たちが24歳~35歳の12年間に均等分布しているとすると、年間4人の引退者が年寄株を必要とすることになる。

 一方親方衆は昔と違って皆さん長生きだから、雇用延長も含めた70歳まで株を保有しているのが現状だ。つまり36~70歳までの35年間株を持ち続けることになるから、105人の親方衆がこれまた均等分布しているとすると70歳到達で年間に放出される株の数はわずか3に過ぎない

 

 こんな状況では豊山や逸ノ城が株を手に入れられずに角界を去ったのも理解できるし、照ノ富士が年寄株の取得に難渋しているのもよく分かる(注:伊勢ヶ濱親方、照ノ富士にとっては再来年の伊勢ヶ濱親方定年(=年寄株は保有できるが部屋は経営できない)までに照ノ富士が年寄株Xを取得、定年時点で伊勢ヶ濱名跡とXを交換して照ノ富士が伊勢ヶ濱部屋を承継するというのがベストシナリオ)。

 

 私の勝手な予想ではやがて豊昇龍、琴櫻(琴ノ若から改名)が横綱となり、その次の横綱は熱海富士、王鵬、大の里、尊富士、伯桜鵬の中で先に大関に上がった2人だろう。

 

 新伊勢ヶ濱親方(=照ノ富士)が定年を迎える33年後に伊勢ヶ濱部屋を継ぐのは尊富士だろうか、熱海富士だろうか。それともまだ生まれてもいない新星だろうか。

 

 鬼籍に入った私は知るよしもないが、そんな先のことも楽しみなのが今の大相撲だ。

 

 

(次に涙するのは大関昇進、横綱昇進、そして引退断髪式の時だろう)