(闇の奥まで連なる山椒トレイン「銀河鉄道999」を彷彿とさせる)
八ヶ岳南麓の我が家の6月は、例年山椒の収穫と「ちりめん山椒」造りから始まる。
我が家には7本の山椒の木がある。
うち1本は5年前に綿半で買った朝倉山椒(自家結実性のある品種で1本で実がつく 狭い庭にはこれが最適)、残りはそこいら辺に自生していた山山椒(雌雄別)を移植したものでうち実がつく雌木は3本である。
今年は山椒の当たり年らしく4本の木にはいずれも山椒の実がびっしり。まるでアンドロメダのような小宇宙を形成している。
(アンドロメダ山椒群(朝倉山椒))
いったいどの位の実がついているかというと、1房にだいたい30粒の実があり、どの木にも30~50房ほどあるから、30×40×4ということでおよそ4800粒の実がついていることになる。
ちなみにアンドロメダの恒星の数は1兆。まあ似たような数字だ(どこが)。
(数えてみるとどの房もだいたい30粒前後の実がついている
実が分岐していく過程が2、4、8、16と等比級数になっているならちょうど30粒、フィボナッチ数列
(1、1、2、3、5、8、13)なら33粒がデフォルト 通常自然界はフィボナッチ数列が支配する世界だがヘタのつき方からはおそらく前者だ)
実をとるのは楽ちんだがざっと半分、すなわち2000粒程度を収穫したところで作業を止めた。この後の工程がメンド臭いのである。
(ハアハア、今年はこの位で勘弁したる)
ちりめん山椒造りの工程で唯一厄介なのがヘタ取りだ。
「神は細部に宿る」という。
ヘタなんぞ取らなくても何の問題もないのだが、他人様にも差し上げるとなると見てくれにも気をつかわねばなるまい。
2粒のペアになっているヘタを3秒で取り除くとすると2000粒分のヘタを取りきるのに要する時間はなんと50分。小学校の時に45分授業が辛抱できない「徘徊児童」であった私にはここいら辺がせいいっぱいで、身体は己が限界をしっかり覚えているらしい。
(ゼイゼイ、今日はこの位で堪忍したる)
ヘタを取った実を水にさらすこと1時間。
この工程はホントに要るのか甚だ疑問だ。まあ意味があるとしたら、いつまでも沈まないスカスカの実や小虫の類を排除できるという位か。
実を塩茹でし、再び水にさらすこと1時間。
この時間の多寡で山椒のピリリ感を調整するわけだが、ピリリ感のない山椒なんて鼻くそ同然、さらし時間は1時間で十分だろう。
(かすかにヘタが残っているのもあるがそのうち消えてなくなる)
いよいよちりめんじゃことのマリアージュである。
山椒のうち500粒ほどを使い、残りは冷凍して次回に回す。
ちりめんじゃこ(吉祥寺ロンロンでわざわざ買ったもの)は水で洗っていったん塩抜きした方がいいようにも思うが、メンドウなのでいつもそのまんま。
たっぷりの日本酒と適量の味醂で煮詰めていく。
ここいら辺は各人各様であろうが、私は具が全部浸かるところまで酒を入れ、ある程度煮立ったところで酒を捨てている。佃煮状に煮詰めきるよりもその方がふっくらした味わいが楽しめるように思える。
(アクが出るけどよいこは気にしません)
悩ましいのが醤油の投入量だ。
これは「煮物あるある」らしいが、煮ている時に味見するとエラくしょっぱいのだが出来上がって温度も落ち着くと味が薄く感じられる。
といってハナから味を濃くしすぎると「不可逆性の壁」にブチ当たるから、私は醤油はほんの香りづけ程度にしている。味が薄ければ食う時にちょこっと醤油をたらせばよい。ちりめんじゃこの塩気を抜いていないこともこの辺になにがしかの影響を与えているのかもしれない。
作業開始からおよそ6時間、今年もちりめん山椒が出来上がった。
(山椒500粒はダテではない 大皿に溢れんばかりのちりめん山椒の山)
さっそく食ってみた。
旨い。味がやや薄かったので醤油をタラタラっと垂らして食った。
ツマミによし、メシのおかずによしのちりめん山椒。
私のお勧めの食い方は冷奴にこいつを薬味がわりにどっさり乗っけて食うこと。
冷えたビールにちりめん山椒豆腐、あと枝豆かトウモロコシの茹でたの。夏の味覚の王様だ。
この贅沢を是非味わっていただきたいものだ。
庭の隅っこに朝倉山椒を植えてみてはどうだろう。ホームセンターなんかで売っている1000円程度のもので十分。植えたら後はほっとくだけの手間いらず。