定年カウントダウン① 「終わった人」を選ぶワケ | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 

  いよいよ10月、私の会社生活もあと半年となった。 

 

  私は1980年4月に現在勤務している会社に入社した。

  この年のヒット曲ランキングを見ると、

 1位 ダンシングオールナイト

 4位 ランナウェイ

 6位 贈る言葉

 8位 別れても好きな人

 9位 さよなら

等という、今でも人気のある(私が好きなだけ?)カラオケソングが並んでいる。

 

(シャネルズ 黒人差別では?と折りにふれて世界中でいまだに物議をかもす)

 

 60年代後半からのフォークソングブームは、ベトナム戦争終結を機に学生運動もろともあっという間に退潮に向かい、「いちご白書をもう一度(1975)」を最後にフォークソングは世の中から姿を消した。

 バブル前夜の鬱勃としたモヤモヤに溢れている、そんな時代であった。

 

 以来37年半、人生の半分以上は会社人間であったわけだが、来年3月30日をもっていよいよ定年退職である(31日が土曜なので1日トクしている)。

 

 改正高齢者雇用安定法により、私は65歳まで会社に居座ることができる。実際のところ、会社でもほとんどの先輩方が再雇用を選択しているが、私は以下のようなことをイジイジと考えて「終わった人」を選ぶことにした。

 

① 働くのはイヤ、ということが最大の理由である。

 私は生来の怠け者であるが、早熟であったゆるふわ少年は幼くして「怠けるには、逆説的に汗をかくことが重要」という真理に気がついた。ちょっと勉強したり、ちょっと仕事することがより大きな怠けをもたらしてくれるのである。

 このような偉大な真理に私が到達できたのは、勿論私の天才(天災ではない)によるものであるが、背景には当時の「期待される人間像」教育の影響もあったかもしれない。

 そんなわけで38年間怠けたい一心で仕事をしてきたが、もはや「期待される人間像」も賞味期限なのである。

 

② 再雇用は楽しいものではないらしい。

 私の会社の場合、再雇用者は嘱託として退職前と異なる職場、異なる業務をあてがわれる。想像するだけで辛そうだ。事実再雇用から半年もすると溌剌としていた先輩方も見事に活力のない老人に変わり果てる。

「厚生年金が出るまでは」ということで皆さん再雇用を選択するのであろうが、果たして正しい選択と言えるのだろうか(勿論カネが必要な事情があれば止むをえないが)。

 

③ 「老後の8万時間」というのが流行語になっている。

 現役時代の仕事時間と老後の時間がほぼ同じだという。

 私も老後をテーマとする本を何冊か読んでみた。

 「老後をいきいきと過ごすための方法論と事例紹介」、「老後に必要なカネは?かしこい資産形成」というのが2大テーマだが、はっきり言って読むだけ時間の無駄である。

 老後を充実させる方法など(つまり幸せになる方法など)、本を読んで見つかるものではない。また、60歳前後になって「老後は1億円必要です!」などと言われても不安が亢進するだけで今更どうしようもない。

 

 私は2015年に八ヶ岳南麓大泉に家を建てた際、老後は野菜と草花の栽培で余生を過ごそう、と決めていた。そうとなれば「65歳までは」などと先延ばしにすることは意味がない。待てば待つほど気力も体力も失われていく一方だからだ。

 残された時間がわずかな老後こそ、「拙速は巧遅に勝る」だ。

 

 来年の4月から、厚生年金(の報酬比例部分)が支給される2020年5月までの25か月間、私はわずかな会社の年金と「お宝保険」の年金、株式配当と優待(カラオケ、マルハニチロ食品詰め合わせ、ノルウエーサーモン、レトルトカレー、飲むヨーグルト、だ(泣))で暮らすことになる。

 

 これでは足りないだろうが、気にすることはない。シルバー人材センターで軽作業するもよし、貯金を取り崩すもよし、ゆる~く、ふわ~っと考えていれば何とかなるだろう。

 

 「終わった人」はもはや会社に未練もないし、注文もない。

 ただ、最後の日に花束をもらうのだけはまっぴら御免、それが私の会社人生最後の指示になるだろう。

 

(これ、男性は皆さんイヤですよね)