私は子供の頃から「サバイバルもの」が好きだった。
当時のゆるふわ少年の愛読書は「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」で、これらを空想して近所の雑木林に秘密基地を作ったりもした。同じような経験は皆さんあるはずだ。
(ダニエルデフォー作 この挿絵は私の空想とはだいぶ違う)
何故サバイバルに惹かれるのか?
おそらく何万年も前、毎日が飢えとの闘いであった時代に形成された太古の遺伝子がいまだに繋がっているからだと思う。その証拠に私に限らず、男は程度の差はあっても皆サバイバル好きである。
そんなサバイバル好きの知人が貸してくれたのが、
服部 文祥 「サバイバル登山家」(2006 みすず書房) である。
筆者は、米と調味料以外は現地調達、照明器具・ケータイ等の文明の利器は一切持ち込まない、というルールの下で単独山行に挑む。その過程での食料調達の詳細や心の揺れを克明に記したノンフィクションである。
そのあざやかなリアリティ、読んでいるうちに私はいつしか自分自身が人里離れた山奥を彷徨している錯覚に陥り、夢見心地のまま一日で読み終えてしまった。その勢いで「狩猟サバイバル」、「ツンドラ・サバイバル」と続編も立て続けに読み終えた。
次の本は何か?ハイな精神状態は続く。
単独での自然との闘いがテーマであることに加え、著者自身のノンフィクションでなくてはここまで夢中になれない。そんな目で探していると、いい本に出くわした。
久保 俊治 「羆撃ち(KUMAUCHI)」 (2009 小学館)
狩猟の道を志す筆者が鹿猟師からやがてヒグマ猟師へと成長していく物語である。前半は筆者の狩猟技術の向上が、そして後半は猟犬フチとの出会いと別れが大きなテーマだ。
自然の中に自分を溶け込ませ、気配を悟られぬようにして2日、3日と獲物を少しずつ追い詰めていく。
獲物を待ち伏せする時、耳にかかる髪のわずかなそよぎが獲物の気配を消さぬよう髪をまとめる。
そんな臨場感がひしひしと伝わってくる素晴らしい作品である。
それだけではない。後半になるとアイヌ犬の幼犬フチの成長と筆者との愛情に満ちた日々が淡々と語られる。犬が好きな方はもちろん、それほどでもない方でも筆者とフチの交歓には心を打たれるはずだ。
そしてノンフィクションはフチの死で終わる。
私にもいつか愛犬そらの死がやって来る。それまでの間、思う存分かわいがって、素敵な思い出を
たくさん作ってあげたい。
読後そんな風に思った。
(ぼくも思い出作ってあげるよ)