藤井聡太4段 26連勝! | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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 天才少年現る!といえば、最近では卓球の張本君と、将棋の藤井4段であろう。

その藤井4段が瀬川5段を破ってプロ入り以来公式戦26連勝、新記録まであと3勝と迫った。

 

 藤井4段は真の天才棋士である。14歳2か月でのプロ合格は史上最年少、中学生プロ自体が日本将棋連盟が設立された1924年からこっち、「神武以来の天才」ひふみんこと加藤一二三、「光速の寄せ」谷川浩司、「初の7冠王」羽生善治、「ワタナベ君」こと渡辺明の4人しかいないのだ。このうち3人はいずれも名人経験者である。渡辺明は名人にはなっていないが、タイトル獲得数歴代5位、永世竜王、永世棋王の称号を持っており、歴代最強者の一人といってよい。しかもマンガの主人公になったのは、唯一彼のみである(「将棋のワタナベ君」)。
 
 26連勝、という半端なところで私が注目したのは、対戦相手が瀬川5段だったからだ。
 
 私は、囲碁は好きだが、将棋は指さない。負け方が面白くない。王様の首をどちらがとるか、という戦争ゲームなのだから当たり前だが、文字通り完膚なきまでに叩き潰される。
 
 現韮崎ICから追われ、追われて逃げまどう主従、やがて一人消えまた一人消え、一宮御坂ICあたりではわずか数名の逃避行だ。初狩サービスエリアで小休止、「みな頑張るのじゃ、岩殿城はすぐそこぞ」という勝頼公の励ましの声も終わらぬうちに「御屋形様、謀反でござりまする。大月ICにて小山田信茂様ご謀反!」との悲痛な叫び。「おのれ、信茂。たばかったな。かくなるうえは是非もなし。上氷川峠から「福ちゃん荘」を経て、雁坂トンネルか大弛峠、廻り目平山荘で一泊して、いずれ松井田妙義ICの真田昌幸のもとへ参ろうぞ」と歩きだすものの、この区間に高速道路があるわけもなく、嵯峨塩温泉の手前で力尽きた勝頼主従は哀れ自刃をとげ、清和源氏の流れをくむ名門武田家は滅亡したのであった。
という感じである。
 
 その点囲碁はジゴ(引き分け)もあるし、半目負けとか、敗者の顔もたつ。
「およそ勝ちは10:0は最悪の勝ち。6:4こそ最上」というのは孫子の言葉だそうだが、おやじの武田信玄公は座右の銘としていたらしい。この精神は商売の妙諦でもあるらしく、経営者には囲碁好きが多い。将棋クラブは下町、駅前に多いが、碁会所はそれに加えて銀座などの一等地にも多い。ホテルオークラ、ANAホテルなどにも碁会所はテナントとして入居している。
 
 蛇足だが、日本将棋の兄弟分にあたる中国象棋、チェスでは「勝頼公の無残な最期」というシーンは生じない。味方の駒が裏切って敵方につく、ということがないからである。捕虜は即刻死刑、だ。
 また、中国象棋では王様は王城から逃げられない。逃避行はないのである。古代中国では城郭戦が主であったことを物語っている。これはコーエーの「三国志シリーズ」でも実証されている。
 
 それでも私はプロ将棋の世界が好きだ。鉄道ファンでいうと、「乗り鉄」でなく、「時刻表マニア」に近いと
思う。
 プロ棋士とそのたまごは、多少の差はあっても以下のような軌跡をたどっている。
〇子供の頃お父さんかお兄さんに将棋を教わる(藤井4段はおばあちゃんに教わったらしい)
〇小学校1年でお父さんでは歯が立たなくなる。「ひょっとして天才かも」というので近所の将棋クラブへ
〇3年生位になると、クラブで敵う大人がいなくなる。席亭の紹介で、県内最強のクラブへ通いはじめる。
〇5年、6年で全国子供将棋大会で優勝または準優勝。TVのインタビューで「プロになりたい」と自覚を
 持つようになる。
〇中学入学と同時に県内最強クラブの席亭の紹介で上京、プロ棋士の内弟子となり、奨励会へ。
〇奨励会では全国の天才少年が一堂に会して対局。勝ったり負けたりの日が続く。
〇最低限の知識と教養、それよりも気分転換を兼ねて高校に通う。大学は全く念頭になし。
〇いつしか20歳となる。なんとかギリギリの成績で奨励会3段リーグへ昇格。
〇3段リーグ全32名で行われる半年ごとのリーグ戦で上位2名に入らないと4段(プロ)になれない。
 いいとこまで行くこともあるが、渡辺だ藤井だと後輩が抜いていく。
〇奨励会年齢制限の26歳が刻々と近づいてくる。あせる。落ち着かない。酒に逃避。
 
 経験のない私がはたからツベコベ言うのもおこがましいが、これは大変な競争である。野球や大相撲ももちろん大変だ。しかし、仮にプロの道を断たれても、彼らの方がまだツブシが利くのである。将棋のこと以外は全く知らない、しかも体力はほとんどない「老いた少年」に何ができるのか。この点囲碁はまだマシだ。ファン層にタニマチ的な層もあり、指導碁で何とか生活できるかもしれない。

 プロ棋士の苦闘、奨励会員の苦悩をテーマとした読み物は多い。その中でも私が薦めたいのは次の
2冊だ。将棋のルールなんか知らなくてもよい。そんなことは関係なしに、一気に読めると思う。私は生涯この2冊は読み返さないであろう。泣けるから。
 
「聖の青春」 大崎善生著
 5歳で難病となり、わずか29歳で早世した村山聖8段の将棋人生。それは文字通り将棋だけの人生。死の直前には自力で対局場までたどり着けなくなり、アパートの前で倒れているところを通りがかりの通行人が車で運んでくれたという(最近映画化されたらしい)。
 
「泣き虫しょったんの奇跡」 瀬川晶司著
 1944年真剣師(街の賭け将棋師)あがりの花村元司氏が特例でプロとなった。それ以来60年間、
奨励会3段リーグを勝ち上がらない限りプロにはなれなかった。2005年、その岩盤のようなルールに風穴を開けたのが奨励会OB瀬川晶司氏、藤井4段に昨日敗れた瀬川5段である。
 
 もうひとつ、私が将棋に惹かれるのはコンピュータ将棋の存在だ。30年ほど前に私も将棋ソフトを購入したことがあるが、正直とても弱かった。
 
 ボードゲームの世界では、1997年世界王者ガスパロフがIBMのデュアルコンボスーパーコンピュータ
「ディープブルー」に一敗地にまみれた。これ以降チェスの世界ではコンピュータ優位が動かない。
 
 将棋は捕虜を生かして自軍で使えるものだから、指し手の選択肢がチェスより飛躍的に多い。
ゆえに21世紀中は人間は負けないだろう、と言われていた。
 
 ところが、1990年、第1回コンピュータ将棋選手権が開催されてからこっち、全国のコンピュータオタク
の闘志に火がついて、コンピュータ将棋は格段に強くなっていく。
 その動きに拍車をかけたのが、「ボナンザ」である。ボナンザの製作者保木邦仁氏は、そのソースコードを無償で公開したのである。
 あっぱれ、オタク魂である。カネよりも、自分の開発したプログラムが皆に喜ばれるのがうれしいのだ。
これを基盤に開発されたのが山本一成氏の「PONANZA」。命名は保木氏に対する尊敬から。
 
 2017年、コンピュータ将棋チャンピオンになった「PONANZA」は、ついに佐藤天彦名人を負かしたのである。完膚なきまでに。
 
 この進化の過程、オタクたちの奮闘をまとめた本をお奨めしたい。これも、将棋の知識はなくてもノンフィクションとして素晴らしい内容で、読み応えがある。
「ドキュメントコンピュータ将棋 天才たちが紡ぐドラマ」 松本博文著
 コンピュータ将棋の歴史、ソフトの開発譚、優れたノンフィクションである。PONANZA作者山本氏の
初々しい恋愛話もまじっていて、読後感をさらにさわやかなものにしている。
 
 これが面白かった場合、その前夜を描いている、
「ボナンザ 対 勝負脳 最強ソフトは人間を超えるか」 保木邦仁 渡辺明 著 
をどうぞ。また、いよいよ始まったプロ棋士との勝負の様子を描いた
「ルポ 電王戦 人間対コンピュータの真実」 松本博文 著 
もどうぞ。山本氏はこの時は晴れて新婚になっている。

 PONANZAと佐藤名人の戦いをとりあげた本が最近刊行されたらしい。
「人工知能はどのようにして名人を超えたのか 」山本一成著  
 私はまだ読んでいないが、タイトルに非常に違和感がある。山本氏が我が子PONANZAについて、
こんな傲慢なことを言うはずがない。もっと謙虚で、純粋なオタクである(想像だが)。このタイトルは
出版社がマーケティングの観点で選んだのであろう。
 
 話のついでに、囲碁の世界に目を転じると、お奨めしたい本はひとつ。
「木谷道場と70人の子供たち」 木谷美春(故人)著
 作者は「サルの温泉」で有名な地獄谷温泉のたった1軒の温泉宿の娘。そこに若き日の木谷実が囲碁合宿に訪れる。見染められた作者は木谷実夫人として、その後70人の内弟子の母親代わりを務めることになる。
 実の子と内弟子たち、戦前戦後の暮らし、棋士たちの生活、すべてに作者の愛情があふれている。
 大竹、石田、加藤(故人)、武宮、小林光一、趙治勲、これらの門下生のファンならさらに興味深く読めるだろう。
 なお、本書はすでに絶版となっており、わずかにアマゾンの中古本で買えるようだ。
 

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