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関西本線の加太~柘植間、8.9km。
かつての峠越えの難所で、この間に中在家信号場というのがありました。
Wikiさんによりますと、設置が1928年4月1日で、廃止が2006年3月18日のダイヤ改正だそうです。
加太~柘植と言いますと、伊勢と伊賀の境にあたりまして、標高約50mの伊勢の国は亀山駅から標高300m超の峠を越えて、250mの伊賀の国に抜ける路線でございます。
かつては蒸気機関車が山越えする有名な峠越え路線で、撮影の名所だったようですが、その頃をわたくしは全く知りません。
現役時代の中在家信号場も亀山方面の列車に乗った時、たまに途中で止まってしばらくすると突然バックし始めて、気がついたら前を対向列車が通過して行った、程度にしか覚えがないのですよね・・・
何で駅でもないところで擦れ違いができるの? 程度にしか思っていませんでした。
それが廃止になったと聞きつけるとなぜか現地へ足が赴くのですなw
つい先日、クイックさんが「追憶の中在家信号場」と題して過去の貴重な画像をUPしてくださいました。
わたくしもそれを見て、詳細を封印していた2014年の訪問を、今となっては時効だろうとこの度記事にすることにしました。
当時の簡単な記事はこちらになります。
上の記事はyahoo時代に作った記事でして、文字色を指定していたようです。
アメブロに引っ越してからは文字色を上手く変えることが出来ず、見づらくて申し訳ありません。
HTMLで無理やり替えようとしても、色コードを入力した尻から違うコードに変わってしまいまして・・・
お手上げなんですw
さて本題に。
酷道25号線を通っていて、ちょっと脇にそれればこんな隧道に遭遇します。
ここは単線区間なんですが、少し西へ行けば上には1本の線路のほか、並行して中在家信号場に向かうダート道があるんですね~
だから国道のトンネルは単線なのに長いんですよ~~
そのダート道はもちろん(一般には)通行禁止だと思うのですが・・・w
そこはこんなところからスタートします。
たまたま定期列車がやってきました。
そうなんです、この亀山行き定期列車が通過した後、次の列車が来るまでのわずかな時間を利用しての探索なんですね~
スタート地点はこちら。
この線路に平行したダート道、通行を阻害する表示は一切ありません。
ここへ入る人は少ないでしょうね~
ましてやわたくしのように・・・w
これ以上は言わないでおきましょう~
ただもう少し西の一般道路から階段でこの道に上がってくることはできるんです。
そこからだと信号場まで300mほど歩く距離が短くなるうえに、駐車スペースまでございます。
ではここから2km弱ほど西に進めば「中在家信号場」跡がございます。
横を向いた信号機、いかにも怪しく、「廃」の臭いがプンプンですなw
これは来た方向を振り返っています。
道の途切れた先には建物があります。
当時はここが詰所になってたんでしょうかね~?
こちら、東方向へ戻るのは「引上線」というそうですが、このように草に覆われていますが、あまりに歩いていると目立ちますので、この時はこれ以上奥へは進みませんでした。
で、もう1つの「発着線」と呼ばれる柘植寄りの線に向かってみた。
ホームを振り返っております。
では廃区間へ。
今でこそ2両のディーゼルが走ってるだけですが、ここは一体何両まで対応してたのか?
さらに続きます。
そしてようやく終点の車止め? 車輪止め?
かつてはこの左側にもう1本線路があったそうです。
1時間に上下各1本の旅客列車だけになった今、過去の繁栄を想像することは難しくなっております。
さて戻りましょう~
この「採時」というのは「時刻の確認を運転士に知らせる」ということらしいが、Wikiさんの記述はよく意味が分かりませんなw
このあたりが撮影の名所なんでしょうか?
誰にも会わず、無事戻ってこれました。
帰りに柘植駅に立ち寄っているようで・・・
珍しい関西線の4両連結です。
草津線の電車ですが、昔はこの塗装の電車がたくさん走っておりましたね~
最近電車には乗らなくなりましたが、昔はこの色の電車は座席が新しいものに交換してありゆったり座れましたので、この色の車両に必ず移動するようにしておりましたが、最近はみんな緑色になって判別できなくなりました。
わずか6年前でも懐かしく感じます。
さて・・・
中在家信号場、残念ながら2018年頃には信号機そのものが廃止され、2019年には本線以外の線路が撤去されてしまったようです。
これもまた、確認しないといけませんなw
本日も自宅で飯しとトイレ以外は、ほぼずっとベッドの中でございます。
以上、2014年の中在家信号場跡をお伝えしました!
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