8月12日のことです。
はじめに・・・
「あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である」とウィキペディアには書かれています。
この日は岐阜ひるがの高原の飛騨ベースを出発し、安房トンネルを越えて松本へ。
塩尻北から諏訪まで高速で移動し、諏訪のおぎのやで釜飯を買いました。
そしてR299で麦草峠方面へ。
佐久からは裏道で、軽井沢レイクガーデンを目指します。
この駐車場、大型車が止められることは事前に調査済みでした。
ここでバイクに乗り換え、この奥に広がる「軽井沢レイクニュータウン」へ入ります。
今回はさすがに情報なしでは辿り着くのは不可能なんで、場所まで特定した状態でやってきました。
特定したと言ってもたぶんここだろう! といった感じでしたが・・・
別荘地の入口には立派な建物が並んでおります。
ここから奥へ延びる「みゆき通り」を進んで行きます。
途中はダートになるところもありますが、概ね舗装路で、やがてこのようなところで突き当たります。
ここからは左折して「からまつ通り」へ入ります。
この交差点、右の道からやってきて、鋭角に左の道へ入ります。
すると・・・
このバイクの上に目指す「あさま山荘」がございます!
場所はこちらになります。
近くから上を見ますと・・・
これを見ても、かつてそんな事件があったと思えるようなところではなく、ただただふつうの静かな別荘地の中の保養所という感じでした。
下から見ると、ここは断崖絶壁に建てられており、入るのは大変だったことは容易にうかがえました。
この時、別の家族もここを自転車で訪れてきましたよ~
見に来る人はいるんですね~
さて上に回ります。
場所はこちら。
最上階のこちらが玄関となります。
あさま山荘は事件後3階建てから4階建てに建て増しされたそうですが、どうやら1階の下に建て増したようで、上に建て増ししたわけではないようです。
別の角度で見ました。
こちらが玄関となります。
鉄球が撃ち込まれたのはここからだと思われます・・・
玄関前までお邪魔しました。
現在は中国企業の所有との噂ですが、ここで事件があったことを知ってる日本人は、いくら安くてもこの物件は持てないでしょう~
あさま山荘はこんなところでしたが、非常に狭い道路でして、よくもまぁこんなところに大きな警察車両やクレーン車を持ってきたものだと感心します。
冬場なんで遠くからも見渡せたのかもしれませんが、夏場は草木に覆われ、全貌を見るのも容易ではありません。
では当時の画像、NETでいただいたものを張り付けておきます。