環境破壊と文明の発達
環境とはなんだろう。
綺麗な海か、日本が世界に誇る霊峰富士の峰か、それとも自分を取り巻く人間関係か、人間以外の動物界にはびこる絶滅危惧か?
人類が人類として、地球に根付いた時から、環境は破壊されているのではないか。
おりしも恐竜が絶滅した時、地球という惑星の最大で最悪の環境破壊が起きている。
ただし、それは人類の意志によるものではない。
人類の意志による環境の破壊は悪なのか、自然現象によって起きる環境の破壊は不可抗力で悪ではないのか。
今、宇宙開発が進んでいる。
ともすれば、それはフロンティアとなり一見すると直接的な環境破壊には分類されない。
しかし、その宇宙開発のかげで確実に環境は破壊されている。
かつて世界各国で行なわれた宇宙開発競争。
それほどまでに人口の増加は、懸念されているのだろうか。
日本は、国土が狭い。ゆえに土地は高騰し、先進国でもトップクラスであろう。
しかし、たとえばモンゴルに目を向けてみよう。
そもそも生活スタイルが遊牧ではないか?
アメリカにしてもしかり。
中国だってやたら広いしたてものは桁外れに大きい。
衰退してゆく文明と、発展を続ける文明がある。
衰退していった文明は、きっと環境を破壊しても、破壊した環境に適合出来ずに、逆に淘汰された文明。
発展を続ける文明は、きっと環境を破壊しつづける文明。
そして、人類は衰退していった文明に、魅力を見出そうとする。
自分たちがどれ程、恵まれた文明の中に日々の生活を送っているかを認識しようとせずに。少なくとも私もその中の一人でいる。
わが日本は世界にかんたる平和国家である事に間違いはない。
今、私がえらそうにブログを書いている、まさにこの瞬間にも、世界中のあちらこちらで紛争が起き、争わなくていい人々が争い、尊い命を落としている現実を私達は胸に刻まなければいけない。
平和な国家に生まれた人間の義務だと思う。
戦闘機の騒音は、大変なものだろう。それが24時間ならたまったものではない。
しかし、その戦闘機は絶対に爆撃はしない。
米軍に土地をかして恩恵をこうむっている側面もある。
機関銃の音を聞いた事がありますか?戦闘ヘリコプタ-から発射されたミサイルが着弾した衝撃を感じたことがありますか?戦車が実弾を分単位で打ちこんでいる波動を感じたことがありますか?それによって家全体が地震のように揺れ、アルミサッシが割れんばかりにみりみりと悲鳴をあげるのを感じたことがありますか?
車の後部座席から、ピストルのようなものをつき付けられた恐怖が想像出来ますか?
私はそんな町で育ちました。
友人も先輩も。
喧嘩では負け知らずの先輩が何度も何度も深さ1メ-トル以上ある側溝に突き落とされては、翌日また米兵に挑んでいるような街です。
基地付近の飲食店の看板は、酔った米兵にほとんどが壊されています。
小学校の頃は普通の一般道を、装甲車や戦車が普通に走っていました。
今から思えば戒厳令下の状況のように。
勿論、琉球の美しい海を埋め立てるのはもってのほかです。
しかし、現状では、日本の何処かにしわ寄せが行くことは確実なのです。
綺麗な海は守り、変わりに犠牲になる場所は例えば何処ですか?
放射性廃棄物は何故、東海村に投棄されてよいのですか?あるいは六ヶ所村に。
そこに先祖代々暮らし、菩提寺がある人達には、抗う術も権利もないのですか?
美しい海はレジャ-にはうってつけのロケ-ションです。
それは、私も含めた都合ではないのですか?
私は富士の山が大好きです。
冬になると、今流行りの3Dのように星空が見えます。まるで星に手が届きそうに手を伸ばします。
世界中には美しい山が沢山あります。
しかし、単独峰であのようにこうごうしい山を私は知りません。
高さだけをいうなら富士山より高い山はいくらでもあるでしょう。
富士山が世界遺産に指定されない本当の理由を知っていますか。
それでも私の育った街の人達の口から文句を聞いた事はありません。
自衛隊があって、中には気のいい米兵もいて、森の中で米軍払い下げの缶詰を子供相手に売って暮らしているルンペンみたいなおばあさんがいる街を、誇りに思って暮らしていました。
基地問題だけではなく、人類が築き上げた文明というものがそもそも環境破壊の上に成り立ち、そこには目に見えない数え切れない犠牲があったと思います。
私は軍国主義が大嫌いだし、戦争や戦などの話題は映画やTVゲ-ムの中で楽しめばいいわけで、こうしてバカな政治家たちが基地問題がどうの、移設先はどうの。
アメリカは怒っているとか、そんなもん勝手に怒らせとけばいいわけです。
国際社会の中における日本の役割とかエラそうに言っているけど、戦争の片棒を担いでいる事は紛れもない事実なのです。
それは、実際に戦地に赴こうが、資金援助をしようが同じ事。
今回の基地問題では、日本が敗戦で血のにじむような(想像ですが)思いで、味わった事、学んだ事を改めて見つめ直すいい機会になるのではないかと思います。
追記
少し言いすぎました。不快に思った方には深くお詫び申上げます。
さくら
先日、気象庁から桜の開花予想日が発表になった。
日本列島は、たとえて言うなら「たつのおとしご」の様に地球という、球体に貼りついている。
緯度を見ると九州や関東では、温かさが違うと思うのですが、開花予想日は同じだったりする。
桜という植物は、そういう性質のものなのか?不思議に思う。
ここにきて、強い寒の戻りが襲ってきています。一説によれば今年は暖冬だったみたいで、濃い色の桜が好きな人には微かな望みを繋いだのではと。
まあ、見事に咲き誇る桜は美しいもので、とても待ち遠しい。
妻が、今年の桜は、東京の飯田橋にある、とあるカフェで見てみたい。と。
これは要望ではなく、我家においては決定である。
予約を取らないと入れない人気店で、当然まわりには人がわんさかいるとおもう。
車をとめる場所もきっとどこもいっぱいで歩きながら桜見物の人波をかき分けながらカフェに向かうのだろう。
私は近所の神社を提案したのだが、即座に却下。
とにかく、あまりいいニュ-スの少ない今、その鬱憤を振り払う様に、見事に咲き誇って私達人間を楽しませてもらいたい。
たとえ、ほんのわずかな間でも。出来れば、5月くらいまで咲いてもらって、いや、ここは一つ、初夏の燃えるような緑と交代するまで気合でがんばってもらって、いやいや、きりがないか。
そう考えると「ぱっと咲いてぱっと散る」のがいいといわれる所以なのか?
日本人は、そのはかなさに日本の美を感じるのか。
私としては、もう少し花咲じじいに頑張ってもらいたい。
桜の散った後の街は、何かが足りない。
最近、味気のなくなった東京の街、何処にいっても同じで区別がつかない。
似たようなビルがにょきにょきと立ち並び、道路や信号と無機質なコントラストを画き、ぱっと見ても私には、何処かわからない。
昔の例えば無機質な丸の内のオフィス街とも何かはっきりとわからないが、どこかがちがう。
少しまえの東京は素直にカッコ良かった。
田舎から上京してきた私の目に写った東京は確かにカッコよかった。
横浜には横浜の良さがあり、きっと神戸には神戸の良さが残っているのだろう。
地方都市で暮らす人達には申し訳ないが、やはり地方は地方。
どれほどの繁華街があろうと商業ビルが立ち並ぼうと都である東京には遠く及ばない。
しかし残念なり。メガロポリスとしての東京は今は存在しない気がする。
他を圧倒する街の迫力というか、オ-ラというか、東京のみが持っていた下町とのギャップというか、いわゆるアジがない。
東京という街には、やはり都としての自覚を持ってもらいたい。
そして、その都としての自覚と実力を失ってしまった東京という街に、一番に元気を与えるとともに、アジ気ない東京を少しの間、その生命力で力一杯飾りあげてほしい。
勝負の時2
近所のパチンコ店にゆき、さっそく店内を見渡します。
普段、妻は私の後ろを歩きますが、パチンコやに行った時と、ハワイのショッピングモ-ルだけは、私の前をゆきます。
颯爽と風のように。
私は(あしたのジョ-)を打ってみるつもりだったのですが、妻は、すう-っ。とすどうり。
ね。たいして面白くなさそうでしょ。
ほう。
あっという間に1階をチェックした妻は、上上といって、足取りも軽快に2階フロアへと進んでゆきます。
ほう。
頼もしい。
久しぶりのパチンコ。ワクワクしながら何を打とうかと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしている私を、妻が私を目で呼びます。
その視線の先には3台だけ「名機復活と宣伝板がザクッとささった台」が鎮座していました。
必殺仕事人 祭りバ-ジョン
妻と私は、即座に勝負を開始しました。
妻と私の画面演出は多少違っていて、まあそれぞれが、こった演出を繰り広げながら銀の玉を呑み込んでゆきます。
はじめに当たりをひいたのは、妻でした。
その後すぐ私にも当たりがきました。演出は、八丁堀こと「中村主水」が左斜め上方から石畳を歩いてくるシ-ン。
これから仕事に向かうあのシ-ンである。
同時に当時の音楽がながれ、依頼人泣かせの悪人を始末に向かう。
ああ、八丁堀が登場したから当たりだな。
そして当たり。
八丁堀が刀を斬りあげ、「大当たりだぜ」と。
良く作ってあるなあ、きっと何かの台詞で「大当たりだぜ」というのがあったんだろう。
その声は紛れもない「中村主水」の声。
最後の台詞がまた、痺れるほどカッコイイ。
「こう、世の中が悪くちゃ、人助けもままならねえ。だがな、おめえさんの仇、とってやったぜ。」
それから妻にもまたあたりがきた。
妻が当たっている間は当時の歌が流れていた。
妻の耳元で「何でだ?」と聞くと
「私は3で当たったから。」
フ-ンいいなあ。
暫くすると、両サイドに数字が揃い、真中に八丁堀の顔。
横で見ていた妻が、3回続いたら激アツだよ。
3回続いた。
古来より、3回続くのは良くないことを意味していると思う。
二度ある事は三度ある。
とか、仏の顔も三度までとか、三度目の正直といった具合に。
パチンコでは3回続くと、機種やメ-カ-といったものを問わず、験がいい。
3回続いた八丁堀は、期待を裏切らなかった。
今度の仕事人は「念仏のてつ」
子供の時分、念仏のてつが出てくると恐ろしかった。
次ぎは勇次
勇次の糸はタマに切れる。仕事に失敗してしまうのである。
元締めになんて言うんだろう。?
しかし、今日の勇次は、一味ちがった。
勇次の三味線の黄色い弦が、冴え渡った。
秀が登場すると「ああ、秀か」となる。
一度だけ仕事をしてくれた。うれしかった。ありがとう。飾り職人。
そしてとうとう私にも赤い数字が揃う時が来た。
「7」
台全体が七色に光り、四人の仕事人が勢揃いした。
「必殺!」の時。
やっと私の台からも、音楽が流れ始めると同時に、八丁堀が、次ぎから次ぎへと、あ
ばったばったと悪人を、斬り倒してゆくシ-ンが流れた。
そして最後に一言
「こう世の中が悪くちゃ、人助けもままならねえ、けどよ。おめえさんの仇はしっかりとったぜ。」
久しぶりに打ったパチンコは妻と並んで箱を積み、勝ちにまわった。
一番気持ちのいい勝ち方だったし、台だった。
パチンコに勝った時は、流れで晩飯はマックとなる。
今まで、くいっぱぐれていたテキサスバ-ガ-のセットとマックポ-クを単品でたのみ
駐車場へと、二人で歩をすすめた。
日は落ち、夜はどっぷりと暮れていて、隣接する駅からは、仕事帰りの仕事人達が吐き出されていた。
妻が「さむ-い」と一言いって、黒い空をみあげた。