あたまとカラダ | Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

Shigeru Eguchi 'Still a long way to go'

アートや制作や活動のあれこれをお知らせいたします( ´ ▽ ` )ノ

絵描きの戯言日誌です^ - ^


4月から留学生美大受験指導や教室移転せねばならないのでその準備におおわらわです。


とかくWEB授業やスマホ、タブレットを多めに使うと眼から頭がキーンとした「頭だけ使い過ぎ」サインが疲れになって表れます。


メタバースなる仮想世界の活動が活発になってきてますね。NFTも絡んでるのか仮想世界の土地などが高額取引されたり不思議な感じです。


映画「マトリックス」や諸星大二郎センセの「夢みる機械」最近の仮想世界ゲームを題材としたアニメで共通してるのは端末を頭とか脊髄インターフェイスに装着して身体は寝ていて、頭の中だけの体験だということ。


いや、手描き絵画やイラストも身体使わんだろ、と思ってましたが、デジタルイラストなど描いてみるともっと身体を使わない。余計な時間の隙間がないんです。


手描きなら、キャンバスを張る、絵の具を出す、混ぜる、筆を選ぶ、立ったり座ったりして離れて見直す、腕の振り、力の入れ加減と意外にアクションあるんです。

色も毎回かっきり同じ色混ぜはできない。

その面倒な作業が好きなんですが……(^◇^;)


デジタルイラストレーターの方は毎週整体に通っているとか言ってましたし、手描きでも運動不足になりがちなのに、光る画面を見続けて道具はペンと画面だけは少し物足りないので手描きが主です。


どんどん人の身体性が失われて頭に負担がかかってるなあ、と実感します。


だからバランスとるためにダンスが流行ってるのかなあ?と思ったりします。



池崎夏樹さんの小説か何かで、「薪割りか金槌を使う間、良く考えることができる」というのを覚えていて、動かず頭だけ働かせているより身体の動きが伴った方が良い?と常々思います。


出不精で運動したがらない私ですが、それでも散歩や体操はできるときにしたり、草抜きや庭木の剪定などの作業も好きです。


マインドフルネスや認知行動療法という言葉も定着していますが、「今ここに集中する(行動)」ことは、執着や妄想の無限ループから脱するのに良いことを実感します。


昔の文豪がよく旅館や別荘で執筆の合間に田畑のあぜ道や土手を散歩なんてよく聞きます。


メタバースなどを新しい世界が広がっているととても素晴らしいこととして、テレビでやっていたので、妙に違和感があったのでついブログにしたためてしまいました。


画面や仮想世界で会う人、する体験より、実際に会う、行く、実体験の衝撃の方がやっぱり強いし心に残るなあと思うわけです。


キレイな、スマートな部分だけを享受することは不自然で、失敗や苦労の痕跡、汚い、暗い、煩わしいもセットだと思います。

けれど負の部分はやっぱりイヤ。

あることを認めるだけでよいと思います。

なんでも無し、消去しちゃわないで、どう上手く付き合っていくか、の方が新しい世界のような気がします。


と言いつつ、煩悩の責め苦の毎日を過ごしております(^◇^;)

矛盾こそが人間の本質かな?とそれらしいことを言って締めたいと思います(^◇^;)