デジモン02映画こと、『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』を映画館で観てきたので、感想を述べます。
前半は観に行くか考え中の人向けに、ストーリーのネタバレにならない範囲で。
まずは自分のデジモン歴を。
私が初めてちゃんとした形でデジモンアニメを見たのは、フロンティアも終わりデジモンアニメ空白時代となっていた頃でした。当時小学校高学年だったので2005年か2006年?
セイバーズはまだ情報すら出てなかった頃。
学習机の上に敷くマットあるじゃないですか、今もあるかは知りませんが、当時はその時放送されてたアニメの絵がよく使われてましてね。
で、弟のマットの絵がなぜかデジモン02だったんですわ。
なぜそれだったのか今となっては不明、机を買ったお店にあった在庫から弟が消去法で選んだとか? 何もわからん。
ともかく、数年にわたり弟が使ってきたその机マットを見ながら、ふと「デジモンってどんなアニメなんだろ?」と話題になったんすな。
そこでレンタルビデオ店(おそらく当時全盛期)にて親に頼んで『デジモンアドベンチャー』いわゆる『無印』を借りてもらい弟と視聴。
2人そろってどハマりし、02、テイマーズ、フロンティアと当時放映済みのアニメシリーズを一気見したのであった。
一気見といっても、一度のレンタルでビデオ5本分ずつでしたが(当時は旧作5本まとめて1000円で借りれてお得!という時代だったのじゃ)。
無印が傑作であることに疑いの余地はありません。
「デジモン何から見ればいいの?」と初心者さんに問われたら、私も迷わず「デジモンアドベンチャー」を勧めます。
※今だとゴーストゲームも一考の余地ありそうですが、実は自分見てなくてですね……
しかし個人の好みで言うと、一番繰り返し見たのは02だったんですよね。
第一の理由として、デジモンキャラの中でも高石タケルがお気に入りだった。
第二に、これは02のタケルが気に入った理由にも通じると思うんですが、「無印の続きの話だった」。変な話なんですが、前作のキャラがゲストで出てくる展開が好きで続編をよく見てたっていう、因果の逆転みたいなのが起こってました。
第三に、ここがおそらく最も好みが分かれる部分で、デジタルワールドとの近い距離感が好きでした。
無印と比べた時に「緊迫感が薄い」とか言われる所以ではあるんですが、放課後のパソコン室からデジタルワールドへ行くってね、「もしかしたら自分の学校でも……?」って、夢があるんですよね。ゆうても当時既に小学校高学年、本気で信じていたわけじゃなくても、授業中の空想のネタにはちょうどいいんすわ。
最終回の、25年後の話も好きで、選ばれし子どもたちはこういう大人になって、隣には変わらずパートナーデジモンが一緒で、なんなら世界中の人がデジモンと一緒で、冒険は次の子どもたちに受け継がれていく……いやあ、夢があるじゃないですか。
そんなこんなで思い入れのある02の、二十と数年越しの続編映画。
基本楽しみにしつつ、ちょっとビビってるところも観賞前はありました。
いや、tri.の呪いはなくもないもののだいたいLAST EVOLUTION(以下「ラスエボ」と呼称)で解呪済みだったんですが。
そのラスエボ、全体として高評価ながら結末だけは超個人的にちょっと合わないところがありまして……!
02の映画でもまた、結末が自分に合わなかったらどうしようと心配しつつの観賞になったのだった。
でも結論から言うと、見に行って良かった。
ただ良かったという以上に、私個人にとって見て良かった映画になりました。
02好きだった民は見ようね。
選ばれし子どもとパートナーデジモンの関係について、ある種の集大成となったのでは。
美しいテーマ回収だった。
さて、そろそろネタバレ警報を発令して、中身について本格的に語っていきます。
運命的な外部の力により人間の子どもにペアリングされ、一番の友達として寄り添ってくれるパートナーデジモン。
これは人間にとって都合が良すぎるのでは?
デジモンアニメのある種命題と言えるテーマに真正面から立ち向かったうえで、一つ明確な答えを提示した本作でした。
重要なファクターとなるのはやはり、映画オリジナルキャラとなる大和田ルイとウッコモンのペア。
彼らの問題に切り込んでいく過程で、命題への答えが示されていくことになります。
結論から、元も子もないことを言うと、ルイとウッコモンは(一般的に健全とされる形による)友情の形成に失敗していました。
ルイは不幸な境遇による余裕のなさによるものかただ自分が欲するものを与えてくれる存在を「ともだち」と定義し、一方のウッコモンも生まれたばかりの純粋無垢ぶりと持ってる力のアンバランスさのせいなのか、最初に願われたことを独善的に叶えていく存在になっています。
片方が一方的に与え続ける関係って、本来対等な関係性である「ともだち」とは違うのだな。
ただ、「初手で対等な関係を築けなかった」ことは大きな一因ですが本質からはずれているでしょう。
ルイは出会った最初にあんな願い事をしたのがすべての間違いだったように過去の世界(1回目)で語っていましたが、本作を結末まで見届ければ実はそうでなかったことが分かります。
2人により必要で、かつ足りていなかったが故に致命的となってしまったのは、「出会ってしばらく時間が経った後に正面から向き合って話し合い関係性を調整する機会」でした。
一方通行になっていた関係性を双方向性にする機会ですね。
まあ人間同士ならまだしも、子どもとデジモン、しかも後者はあらゆる事象を叶える特別な存在とくれば、ルイの方からこの関係をひっくり返そうという動機を持つのは子どもの時分じゃ難しかったかもなと同情できなくはないですかね……これは私の考察飛び越えた妄想ですけど、一般パートナーデジモンの進化に選ばれし子どもの介入が必要なのってこの辺の不均衡を解消するためにホメオスタシスその他上位存在の何かが組み込んだシステムだったりしますー?
この二人がようやく話すとなったとき、ルイだけでなくウッコモンの方も反省の弁を述べるのが良かったですね。
「ちゃんと向き合って話ができていなかったのをルイが謝って、それをウッコモンが受け入れて終わり」と見ていた私が無意識に思い込んでいた展開をしっかり否定してくれたので。
真の意味で対等になるにはな、お互い様って言葉はなんかこの状況には合わないけど、互いに言うべきこと言ってかなきゃいけないんだよな。
あとこのときのウッコモンの言葉で、それまでのルイの回想では人間の想像の及ばない思考の持ち主みたいに見えていた彼or彼女が、実は人ならざる存在なりにルイとの決裂を悲しみ、ともだちを増やす約束を叶えようとする一方どうにかやり直せないか模索していたことが分かってね。どうせ話なんて通じないとハナからシャットダウンしていた相手の本心は、いざ腹を割って話してみれば「キミのことが大好き」でしかなかったという。
ルイくん視点のそんな発見を視聴者もさせられた気持ちよ。
次の再会を誓って、ウッコモンを倒した後。
「選ばれし子どもたちの根源だったウッコモンが消えたからデジヴァイスも消えるけど、みんなとっくの昔にパートナーとしっかり友情を築けているから実質なんも変わらんよね!」
は本作の結末としてあまりに美しい。
ここで非ネタバレゾーンで軽く触れた、「ラスエボの結末で自分に合わなかった部分」について語るんですが。
太一たちが最終的にアグモンらと別れてしまうこと、それが大人になるってことだみたいな結論になっていたのが、シンプルに寂しかったんですよね。
すべての人間にパートナーデジモンができるという02の最終回に夢を見た人間としては、それと逆行するような話になるので、ただただ寂しかったんですわ。
本作がラスエボと直接つながっているのか定かではないので、それはそれとしていつかの未来大輔もブイモンと別れる時が来ますとなってもおかしくはないっちゃないですが。
でも、02最終回を見据えて作られたことがテーマから分かったし、「パートナーデジモンはともだちって言ってるけど実際は都合の良い人形を天から与えられてるだけじゃないの?」と子どものときの自分には反論したいがうまく言葉が見つからない命題に「きっかけは何者かの意思が関わっていたとしてもしっかりパートナーと話し合ってたまには喧嘩してきたからこの子たちは本当のともだちになれたんだよ」という人間同士にも通じる理屈で結論を出してくれたので、自分の中の何かが報われたような気持ちになり……とにかく、いたく感動しました。
triの出来にうめき、ラスエボでいったん呪いは祓ったもののしかし自分が信じたい未来から遠ざかるものを見ることになり。
また自分の好きだった未来予想図を間接的にでも否定するような内容だったらとドキドキしながら本作を見に行ったら、実際は私にとって理想的な結末に至った、この感動はそのせいかもしれません。
もしかして:成仏
あ、いきなりテーマの中心に深く切り込む内容で書き進めてしまいましたが、もちろん各所印象に残るシーンありましたよ。
以下は気に入ったシーンを断片的に羅列していくコーナー。
まず出だしのOPに「ターゲット〜赤い衝撃〜」が流れ出した時点で一瞬ウルっときてしまった。
たぶん原曲のまま……でしたよね?
歌部分の新録ができないのはそうとして、オケ部分もたぶん原曲ままじゃなかったかな、映画館行くまでの間に02のCD聞いてたし。
OPアニメは当然全部新規であるのに、一緒に流れるのが(推定)原曲ままの「ターゲット〜赤い衝撃〜」であったせいで、却って「ああ、02の続きが今から見られるんだ」とマインドセットになりました。
進化アニメも当時再現しつつ描き直され、インペリアルドラモンへの究極進化でしっかり破壊される古城を見てニッコリ。
アーマー進化も見たかったけどねぇ、まあどこに入れるかっていうと悩みどころではあるんでやむなしですけども。
折に触れて、アニメ本編で登場した世界各地の選ばれし子どもたちが顔を出すのも良かったです。
他でもない「02」の続編なんだなってなったし、彼ら・彼女らが変わらずデジモンたちと共にあることで大輔たちが特別じゃなくみんなそれぞれデジモンたちと友情を築いていったんだってことの証左であるので。
ちょっと感心したところとして、「ウッコモンが選ばれし子どもたち誕生の根源」という既存の設定が丸々ひっくり返るようなことをしていたんですが、個人的には意外と気にならなかったですね。
作中で「聞いていた話と違う」とツッコミが入ったのと、「ウッコモンが間接的に影響を及ぼしてそうなったのかも?」等の仮説をこれまた作中で語らせ、そもそも元からホメオスタシスという上位存在が選んだって話だったのでトップが変わっただけで本質は同じじゃね?というのもあり。
思い切った設定変更に対するフォローが手厚い。
ウッコモン倒す? どうする? と悩むシーンで、タケルが躊躇う側になるのちょっと02だと珍しいなと思ったりしました。デビモン戦後のエンジェモンの件があるのでちょっとでもパタモンと別れる可能性が出てくると躊躇しちゃうの、ちゃんと一貫している範囲ではあるはずなんですけどね。
02勢の中だと選ばれし子どもとして古参に入るんで、本編ではシビアな意見を出すことが多い印象でしたが、まああれもやらなきゃやられる精神の現れと思えばそう矛盾してないのかもしれん。
逆に本編では相手に同情的な面を見せることもあるヒカリが説得する側に回ったのも何か妙味を感じるわね。
伊織が(公式サイトのキャラクター紹介曰く)法学部への進学を決めていたり、大輔がラーメン修行に邁進していたりとだいたい02最終回で語られたみんなの未来の姿に沿った現在になっている一方で、時代柄なのか当時「主婦」になるとされていた京さんのご活躍が目立つ。
結婚あるいは出産後に給与労働を続けるかは未知数ですが、そうでなくてもデジモン関係でコミュニティ立ち上げてその旗振り役してそうなパワーを感じます。カッコいいぜ。
ことあるごとに感じたことですが、一乗寺くんは大輔とか京さんとか明るく引っ張ってくれる人と一緒にいる方がやっぱよさそうっすね。
考え続けている間も、手を引いてもらうことでちょっとずつ歩みを進めていくことができるし、煮詰まってきたところでバーンッ!とアクセル踏み込んでもらったり。
なんやかんや、一つ二つ語り損ねたこともありそうですが、いいかげん〆ます。
デジモンアドベンチャー02の最終回で提示した未来を実現するために必要な問いかけ、子どもとそのパートナーデジモンの関係性という命題に、人間同士にも通じるある種当たり前な、でも大切な答えを示してくれた本作。
意外にも無印メンバーの出番が太一と光子郎にごくわずかあるという程度に留まり、あくまで02の映画という属性が強いので、誰にでも薦める感じではありません。
ただ、無印から続く「デジモンアドベンチャーシリーズ」の集大成としてふさわしい作品になっていると思うので、02好きだった人は観よう!
――ところで、ウッコモンが大いなる存在に繋がっているとかなんとか言ってたんでダゴモンの海案件を当初疑っていたんですが……どうなんすかねそこんところ?
選ばれし子どもの前提がひっくり返されるあたりとか、クトゥルフ神話の神々が既存の一神教の世界観をひっくり返す構造と似てる気がしなくもなくはない感じなのですが、そこまではさすがに深読みのしすぎか……?