【NO.0974】 『閉ざされた言語空間』・『薬屋のひとりごと』 | 清水隆司オフィシャルブログにようこそ

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社会問題を中心に問いかけていきます。
ブログのテーマは「日本の将来をを良くするためにはどうすればよいのか?」

李克強の死

 

 

 

  一時は、習近平とトップ争いをしていましたね。

  死因は、「心臓発作」だということですが・・・、にわかに信じがたいですね。

 

 

 

今日の1冊

 

 

・江藤淳著 『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』 (平成6年1月発行)

 

 

 検閲、その国の思想や文化、伝統、最終的には人間としての尊厳までも失わせる、史上最高な強力な武器であると思われるほどの、苛烈なものだったのだと、考えさせられる1冊でした。

 併せて、今一度、明治以降の近代の歴史を、もっと学ぶ必要があると痛感させられた1冊でもあります。

 

 そして、この歴史の一幕が、今の日本の形成に大きな影響、負の影響を与え、その泥沼から脱することができず、何か既に諦めた我々日本人の姿を、現実に目の前の社会全般、政治の世界や経済の盛衰を観ることで、映し出されているように思います。

 

 明治以降、グローバリズムに完全に飲み込まれた日本、本来の日本と日本人の精神性を失ってからの時間があまりにも長くなってしまいました。

 失うための時間は短いが、取り戻すための時間は何年かかるのか見当がつかない。すべてが、アメリカの支配のせいではないと思う。日本人がもっていた、自立心、気概が、日本人自ら手放しているようにも思える。

 日本の存続という意味でも、日本の現実の歴史を学ぶ機会をすべての日本人が持ってほしいと願うばかりです。

 

 

 

無知は罪

 

 

 

 注目されていると言われているアニメが関西地区では、昨夜放映スターとしました。(既に他地区放映や配信は先週より始まっているようです。)

 

 

 第1回放送の中で、「無知は罪ですね」という言葉が使われています。(ストーリーは視ていただければと思います。)

 舞台は後宮(大奥みたいなもの?)。そこで、世継ぎや姫が体の異常を訴えていた。誰かの仕業なのか・・・。その犯人と言うのが、普段使っている白粉で、その中に毒に当たる成分が含まれていたという。

 そこで、使われた言葉が、この「無知は罪ですね」。

 おそらく、情報を知ることができていれば、命を落とさずに済んだことなどへの悔しさをこめて発せられたと思う。

 

 

 今、食や医療、薬で、身体に取り入れると、健康を害し、最悪死に至るケースが多々起こってきています。特に、子供や近親者に対して、その薬や食材が持つ危険性を、ろくに情報を得ないで、子供に勧めた結果、重篤になったりしています。「無知は罪ですね」という言葉を使わないで済むように、少しでも調べてから、問題ないと確信してから勧めるという具合に、できるだけしたいものだと思います。

 また、この場面、現代の、「人の身体よりビジネス」という考えが蔓延していることへの、ある種の警告を込めたメッセージなのかも知れません。

 

 

 

SDGsと学校教育

 

 

 息子の高校の学祭に行く機会があり、その展示として、「SDGsについて何を学んだか」的なものがあったので、覗いてきました。

 学んだこととして、やはり国連や世界経済フォーラムが提唱していることに沿った内容のものであった。

 

 「日本の教育は、答え合わせの教育」という言葉を耳にします。正解は1つであって、それ以外は間違いであるか、あるいは内容によって減点になると、私もそういう教えられ方をしてきました。

 先生が講義で教えることをしっかりと聞き、記憶して、テストで良い点数をとれば、その教えられたことを疑いもなく受け入れる方が良い成績をとれる。ということは、その教えられてことがもし間違っていることでも、生徒からすれば、正しいことを探求しようとは思わない。正解をとった時点でその問題は終了となってしまいます。

 

 今回のSDGs、確かに言っていることは正しいように見える。

 しかし、もし、世界経済フォーラムを動かしている人々の本質と言われること、「ごく一部の優秀な自分たちがその他の人々を監視し、気付かないように従属させ、国という概念や家族という概念を破壊し、自分たちが動かす一つの世界を安定的に永遠のものとするためにも、氾濫分子を減らすためにも多すぎると捉える地球上の人類を削減しようとしている集団」という情報が入っていたら、SDGsの意味も大きく変わってきます。最終、そのすべてが、一部の彼らの利益となるように仕組まれていると考える人も出てきます。

 

 このような格好の議論の対象になりそうなSDGsですが、現状の学校では、議論すらしていないのでしょう。その答えは、メディアも取り上げていることだから、それが正しいとなって、それ以上の議論はないのでしょう。

 何が正しいかわからない問題を、生徒同士で話し合う。あるいは、講師を招いてその問題を深めていく。こうした教育が日本でできるようになれば、日本が復活することもあるのではないかと思えるのですが・・・。

 今の日本の教育で育成される「右へ倣え人材」は、今も今後も残念でが通用していません。今の教育自体がアメリカの日本弱体化計画のもと導入されたものですから、日本人が学ぶものではない。この教育の変換が、日本にとっての最重要課題のはずなのですが・・・。

 

 

 

最近のNOTEより