国際結婚日記 -10ページ目

非常な選曲のここ数ヶ月

小さい頃から音楽は私の大きな癒しです。
酷かった乗り物酔いを克服したキッカケになったのも、音楽。
音楽の世界に集中することで、車に乗ってることを忘れるようになってるらしい私の脳。

今まで色んな場面で私を助けてくれた音楽。

人生の場面に応じて、その時々
色んな音楽を聴いている気がします。

最近、日本語のJーPOPを聴いてます。中学生時代から洋楽にハマってしまった私は、今になるまでJーPOPを自らすすんで聴いたのは、アメリカに来てすぐの頃の数ヶ月だけでしたが、(幼馴染が日本語が恋しい私に作って送ってくれたCDを聴いてました)また、その波が到来。w

そして、救いを求めてるのか教会音楽も
なぜかよく聴きます。
クリスチャンでもないくせに。。。
それでも、church musicは好きかも知れません。


それから、気がついた事は、
どんな音楽に限らず、なんらかのマイノリティの作品やそういう事を歌った内容だとかにも惹かれていることに気がついたんです。
一番多いのは、ゲイの人が歌う恋愛モノです。
なぜか、今の私には心に響くようです。

どんな心理状況なのかは、謎ですが、
私の心のどこかで、そういうものが無性に響く心境なようです。
何か世間から外れたような空間に生きているような不安定さがどこか似ていて共感するのかもしれません。

どこに行きたいかハッキリしている中で、
そうはいかない。。。
この空の下に帰りたい。。。
でも、違う朝が来て夜が来る。





子供達のためにって頑張ってる母達

昨日、アメリカに戻ってきました。
子供達と再会した時は、
なんだか刑務所に入れられた母親が
待ってた子供達に再会する時のように、
スクールバスから降りた子供達が、
私を見つけて

「マミーー!!!!!」
と走り寄って来て、3人で固く抱き合って。。
しばらく言葉もなく、その場に3人固まったまま。。。。

言葉もないけど伝わるってのは
まさにこんな事なのかなと思った瞬間でした。

やっぱり、この子達ナシの人生は考えられない。
改めて確信しました。

1ヶ月前この家を出た時は
沢山の言い争いの後、さらに
本当に絶望的に、ハニ男に落胆し、
この人のために日本で生活することを諦めて来たことを酷く後悔して、人間不信というか
とにかく精神状況が非常に悪い状態だったのですが、
日本で家族と幼馴染達の変わらぬ愛情を受けリハビリをし、叔父の病院に通ったり、過ごすうち
かなり心が落ち着いて。。。。
それでも、「これから」を考えることまでの余裕はないまま、こちらへ帰ってくることになってしまった。

心の中では分かっている。

子供達は、
アメリカで育つ方が、将来を考えても幸せな気がしてるし、父親のことも大好きだから離れ離れにしたくはない。
心のどこかで自分がまた我慢さえすれば済むこと。。。。って思っている。

ここ数ヶ月で、私の事情を知る人知らない人に限らず、
同じく子育て真っ最中の友人達5人くらいに、

「旦那に愛はないし離婚したい。」

と打ち明けられた。

私が特別ではないんだよな。。ってしみじみ思いました。
愛はなくても子供達のために頑張ってるんだなって。。。
全然、私だけじゃないんだって心から思う。
母になったって、女性として愛されること諦めたわけじゃないということ。。みんな、そんな想いなのでしょう。。。。
子育てしてたら、本当に大変なことの連続なので綺麗に出来ない時もあるかもしれませんけど、そこを「母親という存在」だけにしないで一人の女性でいさせてくれる旦那様だとうまくいくのかなあ。。?答えはわかりませんが。。。


日本にいる間も電話での会話で
非常にキツイことを相変わらず投げかけてきて
傷つけられ泣かされ。。。
こんな人のところにまた帰るのは嫌という気持ちと、子供達に早く会いたい恋しさと、
日本の家族と友人達と一緒にいたい寂しさで
一体自分がどこへ行けばいいのか。。?
どこに行ったら幸せなのか。。?
何にも見えなくなりながら、ここに帰ってくると、

ハニ男は、何年も前から直して欲しいとお願いしたのに「仕事が忙しい上に休日も働けっていうのか???」と見向きもしなかった台所のシンクを新しく入れてくれてた。
その他も、おこずかいすらもらってない私ができなかった細かい不便だったこと。。。コートをかけるハンガーや、洗面台に置く棚や、オーガナイズする箱など。。。揃えてあった。
自分が家事育児をしてみて不便と感じたのかもしれない。
彼が独身時代から、私や子供達のために買ってくれた生活用品がほぼ無いことにも気がついたらしい。
いつも周りからもらうだけの子供達の服にも気がつき、私がいない間にありえないほど新品の洋服が増えていた。

お金を使いすぎなのでは?と不安になるほど
色んなものが買ってあった。


有難いことなのだけど。。。
でも、ここの主婦は私だったはず。

ハニ男はいつもそうなのだ。
私が、99%使用するキッチンをせめて自分の好み空間にしたいということを新婚当時伝えてたことがあるけど、なんの協力もしてくれず、
今回、こういうことがあってきっと彼なりに「やってあげたい」という気持ちで、
買い揃えてくれたのでしょうけど、
どこまで行っても結局は「俺の家」にしかなってないことにトコトン気がつかないんですよね。

俺がやりたいようにやる。
優しさも、全て。。。
私の想いなんかは関係ないのです。

ハニ男は満足げに、
「シンクとキッチンの全ては誕生日プレゼントだよ。」って。

「君はもう僕を愛せないって言ったけど、1%でもチャンスあるなら、君の手を再び握れる日が来るように努力したい。子供達のためじゃなく、僕が君を女性として愛してるということをわかって欲しい。」

そんな素敵なことを言ってくれた。
5年前に聞いてたら、グッと来て、
本当に嬉しかったと思う。

なのに、恐ろしいくらいに心が動かない。
今まで積み重ねて来たことが重すぎるみたいだ。
出来ることなら、その言葉を受けて前向きになりたかったけど、女って忍耐が強い生き物の分、
一度決めたらもう、そう簡単に動けない生き物なのかもしれません。


私が、生きたい場所は分かってる。
日本で、子供達と暮らすこと。

だけど、それができないのは
ハニ男に対してだってcareする心を持ってるってことだし、子供達の幸せを考えてるから。

自分のやりたいことが、出来ない。
そんな時は、一番大事なものを優先にして
他を少々犠牲にしなくてはいけない。
その優先順位が「自分」ではないことが、
人生初なのです。
「子供達」
それが、一番考えなくてはいけないこと。。

帰ってきて一日目でこんな気持ちでいるのに
これから地獄なんだろうな。。。
今まで我慢して来た分、堪え性がなくなって来ている。。。とにかく一日づつ、生きてみようと思う。答えを探しながら。




人生80年なら半分にやってきました。

両親の44年目の結婚記念日と、
自分の40歳の誕生日を迎えました。

大きな節目を、沢山の愛する家族と友人に祝っていただき、とても想い出深い誕生日になりました。

実は、私は今日本での大切な人々と。。。
日本でこの誕生日を過ごしております。
ここに子供達がいないのは、とても寂しいですが。。。。。


本当に、これからの人生どうなるのか?
岐路に立っている状況の中で、
やっぱりこの日本で暮らすことを諦めきれない部分はあります。

それでも、
親として子供達にベストな選択をできるよう
答えを出せるようにしたい。

今後の人生に、悔いのないように
生きていきたい。。。
どう生きても全てが全てうまくいくことはないはずでしょうが。。。
それでも、私が大切にしたいことを両手でもてるだけしっかり持っていられるように。

人生いつ終わりを迎えるかわからないですしね。

日本にいると、少なくとも、
私を理解してくれて、愛してくれて、
何も考えず甘えられる家族と友達がいる。
本当に幸せなことです。

どんな選択をしても、支えてあげると
みんな言ってくれることに感謝。。
その度に、、、
自分自身、信じてくれる大切な人々のために
もっともっと強くならなきゃいけないって
改めて思います
頼れる人がいるから、最後の最後に頼れる人がいるって勇気もらって。。自分でしっかり立てる力になるような気がします。
人に直接寄りかかることじゃなく、
その存在を胸に自分で頑張らないと。


40代は、子育てに明け暮れた30代よりも
女性であることをもっと楽しんで、
可愛い女性で居られるように。
笑顔で1日でも多く過ごせるように。
こんな状況の中で、老け込まないようにw
過ごしていきたいと思います!

みなさんの支えと愛に感謝!!!!!