東京の神社仏閣★靖国神社 石鳥居の鳥居&南門の狛犬編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




娘AがGEO(ゲオ・・・DVDやCD等のレンタルショップ)に行きたいと言うので、車で連れて行ったRieruです★

私と娘Bは特に用が無かったので車の中で待っていたのですが、後から来た黄色い車が身障者用のスペースに駐車しました。
降りてきた若いカップルはどう見ても健常者にしか見えません。Oh、現行犯☆
あ〜、あんな人がいるんだね〜、恥ずかし過ぎるよね〜、と娘と話しながら、ニコニコと楽しそうに店内へ消えて行ったカップルを見送りました。

娘B︰「あ〜いう親に育てられた子どもは可哀想じゃね。」

そうじゃね・・・(車の中で見たとはいえ、目の前で見たのに注意出来ない親に育てられたアナタも可哀想じゃねm(_ _)m)


イテテ


(注意する勇気が無いので、記事に書いとくところもイタい)

(誰も)モヤッとしない為にモラル意識向上しまません?と叫びたくなった女は、東京で靖国神社に参った時、4隊の狛犬さんたちが気になりました。
第一鳥居周辺の狛犬さんと中国獅子さんの様子を以前書いたので、今回は残りの2対の狛犬さんたちをご紹介します。(←残り・・・って、まとめ力が無いからですよね?)

狛犬さん(吽形)︰「イテテ」


ぬわっ!なんて迫力のある狛犬さん?でしょうか。若干、ライオンちっくであります。
“バイーン”って感じで、胸筋が張っているのが特徴ですね。

この狛犬さんは、例の駐車場へ入る入口の石鳥居近くにおります。


こちらも、高い位置にあるのですね。

阿形は更に迫力があります。


さて。この狛犬さんは、いつからここにいるのでしょうか?

調べてみますと、石鳥居のことも分かりました。
“いしりい”と呼ばずに、“いしりい”と呼ぶようです。


設計は大正13(1924)年に建築家の伊藤忠太氏が担当し、片倉財閥(製糸企業)の2代目 片倉兼太郎氏が満州事変記念として、昭和8(1933)年3月に奉納されたのだとか。
当時、岡山県議会の鶴田簔輔氏が所有する鳥居用の北木石(きたぎいし・・・花崗岩)を靖国神社に奉納したかったようですが、資金が足らず・・・それを知った長野県出身の片倉氏が資金援助を申し出たというのが経緯です。
この北木石は瀬戸内海から東京まで、船で運ばれました。

狛犬さんの台座には『片倉同族』というくくりで名前が刻まれているのだとか。

△ 尻尾は紐状 

新潟県にある弥彦神社にある狛犬さんに因んで、『弥彦神社型』と呼ばれているらしいです。伊藤忠太氏の名前から『忠太狛犬』とも。
このタイプの狛犬さんは人気があったらしく、結構コピーが多いらしいので、いつか別の神社でも“出会って”みたいです☆

さて。
最後の狛犬さんは南門(みなみもん)にあるらし・・・わっ、もうライトが!


じつは境内をうろついた後、遅いランチ→拝殿→就遊館を巡った為、いつの間にか陽が傾いていました。
てか当たり前ですが、山口県より東京の方が日没早し!
なんとなく日没後は神社などに居てはいけないような気がして、足早に門外へ・・・あら、手水舎が。こんなところにあったんですね〜。←手や口を清めずに拝殿へ参った女。


イテテ


(大手水舎もありましたが?まさかのスルー?)


関東大震災時、境内に避難して助かった住民らが翌年に奉納したもののようです。


門にある、透けた菊の御紋が美しい・・・


シンメトリーなものは、文句無しに美しいですね。


瓦まで、菊の御紋☆

南門を出ると、外側を睨みつけている青銅製の狛犬さんがコンバンハ☆


こちらの狛犬さんも滋賀県にある大宝(だいほう)神社に因んで、『大宝神社型』と呼ばれています。

台座には、『越智綱雄 謹作』と刻まれていました。


下の大きな台座には、『奉献 昭和二十八年一月 井関農機株式会社』というレリーフ板が。

狛犬さん自体は昭和38(1963)年1月に奉納されたので、10年のラグがあるんですね。
あ、そういえば、東京1964オリンピックの前年に奉納されたようなので、私的には覚えやすいです。

△ 雨に濡れてライトに照らされた姿が、なんとも生々しい〜☆


良い面構えですね。


唯一、真後ろから見れないのが残念であります。

引き締まった胴体同様に、細めな感じでしょうか?


狛犬さん︰「もし次回参る機会があれば、10kgは痩せて来いよ!」

“身が引き締まる思い”だけじゃ、ダメですかね?


アイタタタ


(今から年末年始が怖い女)