「あ、ちょっと自分の意見を出しすぎたかもしれん……」
人と話したあと、帰り道でじわじわと胸の奥に広がっていく
ちょっとした後悔。自分責め![]()
別に誰かを傷つけたいわけでも
自分の正しさを誇示したいわけでもなかったはずなんやけどな~![]()
ただ、「もっと良くなってほしい」という
行き過ぎたおせっかい心![]()
熱が入ってしまったからこそ
後から「言いすぎたかな」とモヤモヤしていたんです。
「もっと謙虚にならなあかんな……」
そう反省していたとき、ふと頭に浮かんだのが
あの有名なことわざ。
『実るほど頭が下がる稲穂かな』
学識や徳が深まるほど
人は高ぶらず謙虚になる、という意味の言葉。
なんやけど……
ふと思ったんです。
稲って別に、「私、謙虚になろう」と思って頭下げてるわけちゃうやん?
稲はただ、太陽の光を浴びて 土の栄養を吸って、成長して、実をつけているだけやんな?
重みで頭が垂れているのは
ただ「稲としての命を全うしている」だけやん?
・過度にへりくだっているわけでもない
・過度に自分を押し出しているわけでもない
・我慢して引いているわけでもない
ただ、「そこに稲として存在しているだけ」
そのことに気づいて、ハッとしました。
私が「意見を出しすぎてしまった」と後悔していた根本的な原因。
それは……熱意のあまり、
「相手の姿そのもの」が見えていなかったから![]()
相手の状況やタイミングを置き去りにして
「良くなってほしい」というこちらの暑苦しい想いだけをぶつけてしまっていた。
うう…恥ずかしい……![]()
*
じゃあ、次は我慢して黙ればいいのか?
……っていうのも、絶対にちがう。
我慢はただの「自己抑圧」であって
本当の謙虚さとは程遠いから![]()
自分を無理に否定する必要もない。
「熱意があったんだからOK!」と無理に肯定する必要もない。
そして同じように、
相手を否定する必要もなければ、無理に肯定する必要もない。
「私は私として、過不足なくそこにいる」
「相手は相手として、ただそこにいる」
評価もジャッジもせず ただお互いの存在をそのまま見る。
それこそが、稲穂が教えてくれた「謙虚さ」の正体であり
私たちが心地よく生きるための究極のバランスなのかもしれへんな~と![]()
過度にへりくだるでもなく、過度に主張するでもない。
「ただ、私であること」を全うする。
実際そうするのはまだまだ大変やけど![]()
そこに気づけた自分を、まずは大切にしたい![]()


