競馬に没頭する時間以外はどうしたかといえば、鉄道趣味と歴史である。
まずはシンガポール国立博物館、英国調の建物そのものも見処であるが、この国の歴史を概観する展示は一揃い陳列されている、ラッフルズ提督の肖像画は当然あるのだが、この地が昭南島と一時呼ばれるに至る経緯もあり、銀輪部隊の自転車などが公開されている。流石は国立博物館だけあり中立的に淡々と展示していることが印象的であった。
ラッフルズ提督といえばラッフルズホテル、本場のシンガポールスリングを飲むかとLong Barの入口に行ったら観光客の大行列で1時間以上待たされそう。どうせ作り置きだからなあと諦める。
バスに乗りBukit Timahに向かう。スコールが降る中に向かったのは旧フォード工場、ここは太平洋戦争におけるシンガポールの戦いで日本軍と英軍が停戦協議に臨んだ場所で、司令官の「マレーの虎」山下奉文中将が「イエスかノーか」と迫ったことで知られる。入場料は外国人のみ一人7S$。椅子とテーブルはレプリカだが、その会議場は残されており協議の映像が繰り返し流れる。ただ、展示されている当時の議事録にはあの有名な発言が記録されていないことにも気づく。
第二次大戦の戦史の博物館としてはシンガポール国立博物館よりも充実する。まあ、シンガポールでここまで来ること自体が歴史好きであるのだが。当時のアサヒグラフなどの記事を豊富に用いて、マレー作戦や昭南島を紹介するほかチャンドラ・ボース率いる自由インド仮政府についても説明がある。その他は昭南島華僑総会の資料の展示など。来訪者が全然いないので見学に没頭する。なにせ展示資料の大半は日本語なのだ。
面白いところでは国立博物館にはなかったマラヤ共産党に関する展示も1区画使ってある。
シンガポールで強く迫ったマレーの虎が半島に上陸した地は、マレーシアの東海岸で最も北に位置するコタバルである。街の中心にはスルタンの屋敷があるが、ほど近いところに戦争博物館がある。入口をくぐると右手に銅版のレリーフと山下中将の人形が待ち構える。
上陸からシンガポール占領までの日本軍の行路が解説してあるところに上陸艇や銀輪が展示されている。しかしながら...
「戦争を終結させた兵器」としてリトルボーイとファットマンのレプリカで締め括られるのは仕方のないところか。なお屋外は引退したヘリや戦闘機の展示空間となっている。
バザールにモスクにナシウラムとコタバルを一日巡り、最後は空港近くにある山下中将上陸の地へ行こうとしたが、Grabの地図が上陸の地として示したところは案内標識であった。ここから粘って海岸まで行こうとも思ったが強い雨で断念。川岸から海岸を見て上陸地へ行ったことにする。やはり次は山下中将→大将を追ってルソン島に行くべきか。
競馬場を攻め、クアラルンプールからコタバルまでの移動はマレー鉄道の東海岸線。もともと本数が少ない上に全線を走破するのは夜行列車のみ。これに乗るべくKL Sentralからは東南に向かいGemasで下車。ここまでは複線電化区間で中国製の電車がかっ飛ばす。ここからジョホールバルまではまだ単線非電化(2024年1月時点)、来年には複線電化の工事が完成と報道にあるが果たして? Gemasの駅の留置線は客車の墓場と化しているが、海を渡った14系寝台客車も残念なことにこのような有り様である。
一度改札を出て2時間ほど駅で待ってから乗り換え。学生と思わしき団体客がいる。もう夜1時過ぎだし上段ではあるが寝台席を確保できたので翌朝まではぐっすり就寝。翌朝は混雑する食堂車でなんとか1席取り、ミーゴレンとミルクティーの朝食。
「東海岸線」とは名ばかりでマレー半島の中心部を走るので、車窓の風景はジャングルか増水した河川となる。ただ水害の影響を受けやすい路線であるのか、時折JR西日本の所謂必殺徐行ばりに大幅に速度を落とす区間に出くわす。
終点のTumpatには午後1時過ぎの到着。コタバルの最寄り駅は2つ手前でここで大半の客が降りたから、完乗目的で終点まで行ったようなもの。タクシーなんぞないしGrabもサービス範囲外、白タクと交渉して仏教寺院経由でコタバルに行ってもらった。