「我が母」という人 83 一日三回「本性」が判るという話 だから一緒になんて居たくない 5 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

  左様思い出深い「御祝い」をした二回目の訪問時は、未だ

 

 

  『平成米騒動』

 

  …が尾を引いている時期でもあった。

 

 

  新潟生まれで「自称・グルメ」の父は米=御飯へのこだわりも強い。

 

  だから我が家では今でいう「ブランド米」を食べていた訳だが、私の視線からすればそれはブランドがどうの以前、

 

 

  「御飯の固さ」=『おかゆ』に近いこと

 

 

  と

 

 

  「温度」

 

  =「炊き立て」の熱い御飯を出すと不機嫌だった

 

  と

 

  『お焦げ』が入らないこと

 

  =『お焦げ』の部分などオトコが食べるモノではない!

 

 

 

 …という問題でしかなかった、と思う。

 

 

  つまりは米が何処のナニであろうと

 

  『おかゆ』に近い

 

  真っ白い御飯を

 

  生ぬるい温度で出してくれればOK!

 

  …だった訳だ。

 

 

 

 

 

  それでも両親が揃って来る時は「いつもよりちょっと良いお米」を用意していたのだが、その年のその時期はいわゆる『ブレンド米』しか容易に手に入らなかった。

 

 

  事前にその旨を伝えると「別にイイ」と言われたが、『どうせ』食べたら文句が出るんだろうな~、などと思いながら近所のスーパーから『ブレンド米』を調達した。

 

 

 

  最初にソレを食べた両親は思いがけず

 

  「美味しい」

 

  …と素直に?言った。

  (注;上記の「注意点」を守ったダケだったのだけど)

 

 

 

  どこの米だ、と母が言うので袋を見せると

 

 

  「ウチの周りでは売っていない!」

 

 

  …と言い(まあ普通そうだろう)帰宅直前には

 

 

  「同じモノを買って送れ!」

 

 

  …との『指令』が出た。

 

 

  いやあ、別に送る必要も無いんじゃない?と思ったが何度も言うように母の『指令』はほぼ「絶対服従」である。

 

 

 

  彼らが帰った直後、私は10kgの米と彼らが大量に残して行った『荷物』を梱包し、旅行鞄用のキャリーに乗せて郵便局まで出しに行く事となった。

 

  今思えば何故宅急便の回収を頼まなかったのか?と思うが、多分その頃は郵便局の方が安かったからだと思う。

  (とにかく「モト」と居る時はゆとりが無かった!)

 

 

 

  段ボール三箱にもなったその『荷物』を一人で引っ張る私を見て

 

  「大変そうで、危なっかしくて見てられない!」

 

 

  …と近所のお爺さんが車を出してくれたのは本当に有難かったのを覚えている。

 

 

 

 

  さて、そんな苦労をしてはるばる届けられた『ブレンド米』だったが、自宅で、自分の炊き方で、食べた後の母の感想は……?

 

 

 

 

 

  「ちょっとアンタッ!

 

  あのお米、美味しくないよっ!!

 

 アンタ、騙されたんだろうさっ!!!」

 

 

 

 

 

  …何を?……と聞き返してはいけない。

 

 

  母の頭の中では、世の中には常に「そういうヒト」がウヨウヨしているらしいのだから……!