安倍晴明の見ていた世界を知りたい!

 

 

暦の世界を探求していくと

 

世界中に暦は無数にあって

カレンダーとも訳されていますが

 

暦編纂の本質は、「暦注」にあり

その年の悪い方位や時刻に至るまで

カレンダーに節気や吉凶があること。

 

庶民には知り得ない

天体運行や日時から読み解く暦

そこに書かれた節気や様々な吉凶は

生活に必要不可欠として根付いた。

 

 

 

 

現代においても

 

たとえば

今年は「甲辰歳の三碧」です。

 

暦を見れば

暗剣殺は東方で

歳徳神の恵方は寅卯の間

と立ち所に判明し

意識したり気にするひとは多い。

 

また三碧は「震」から

電波や動くものに

縁起開運がありと説かれて

行動したり

 

結婚式や引っ越しなど

祝い日には禁忌を気にする。

 

開運財運アップアドバイスなど

気にならない人のほうが少ない。

 

信仰はないが

パワースポット神社は好き

節分やお祭りは欠かせない。

 

日本人にとって

暦のチカラは

豊かさを支えてる

ひとつに思える。

 

 

志摩地方の海女さんの習慣

「イソてぬぐい」

検索すると出てきました。

 

スゴイ!

魔除け印の「ドーマンセーマン」柄 

いまだ顕在。

 

ちなみに

清明のセーマン 五芒星は

一筆書きで「戻ってくる」

道満のドーマン 四縦五横の印は

九字で出入口が分からず「入れない」

意味するそうです。

 

海底という異世界にいく

海女さんの

安全護身の魔除けに

陰陽師の呪禁術が現代にも活きている。

 

素敵なことですね!!


 

 

暦の作成や編纂といえば「陰陽師」

 

今回は 

陰陽寮の世界を

ご紹介したいと思います。

 

 

1.陰陽寮のはじまり

 

陰陽師というと

呪術の世界っていうイメージですが

調べてみると・・

 

陰陽師はもっと公務員的な仕事。

「職業」だったのです。

 

 

 

陰陽寮のはじまりは

672年壬申の乱のあと

 

675年 天武天皇四年 正月丙午朔条 

陰陽寮が初見する。

同年正月庚戌 占星台が設置された。

 

684年 天武天皇十三年二月庚辰条 

陰陽師が初見される。

 

 

17年後、、

701年大宝元年、文武天皇 

大宝律令が発令されます。

 

「冊封体制」(さくほうたいせい)による

中国唐の支配下から抜け出そうとした日本

日本独自の元号「大宝」を制定し

律令制度が施行されます。

 

は刑法 は民法行政法。

唐の制度を参考にしたとされており

 

大宝律令は

日本初の律と令が合わさった律令でした。

 

 

718年養老2年 

「養老令」という法律が施行されます。

 

これは「職員令」とも呼ばれ

大宝律令を撰修(改修)したものでした。

 

朝廷内での役職や階級制度を定めた律令で

「律」10巻12編、

「令」10巻30編 あったそうです!

 

それによると

「中務省(なかつかさしょう)

天皇に従事し、宮中の事務や位記、

戸籍などの担当機関が設置されて

中務省の配下に「陰陽寮」はおかれます。

 

 

 

2.陰陽寮組織

 

陰陽寮の組織には4職あり

 

「陰陽頭(おんようのかみ)」カミ

 長官 上奏や天文密奏  従五位下相当

 

「陰陽助(おんようのすけ)」スケ

 次官 頭の補佐 従六位上相当

 

「陰陽允(おんようのじょう)」ジョウ

 判官 事務全般管理職  従七位上相当

 

「陰陽属(おんようのさかん)」サカン

 主典 大属は公文書記録、少属はその補佐

 

 

 

陰陽寮の部署としては。

陰陽部門」占筮、相地の部門

 

天文部門」天文観測、異変の密封の部門

 高度な技術職で清明も務めた天文博士は

 正七位下相当。

 

 陰陽部と天文部は、

 暦部や漏刻部とは格違いは上。

 

暦部門」暦作成編纂管理の部門 

 博士は従七位上相当。

 

漏刻部門」漏刻は水時計 時刻管理職

 

「雑用部門」庶務職。各省や寮に配属。

 使部(じぶ)20名、直丁(じきちょう)2名

 

 

陰陽部門の中には

陰陽師」陰陽師専門職 

 従七位下相当で定員6名

 

陰陽博士」思想技術の専門で学生の教師担当 

 正七位下相当で定員1名

 

陰陽得業生」「陰陽生」 

 部門にそれぞれ10名 

 得業生は博士を目指す2~3名

 映画「陰陽師0」でも描かれていた

 学生とつづきます。

 

 

詳しくは

こちらのサイトとても綺麗に書かれています。

「官制大観」律令制度下の官制

 当時の官職別の給与も書かれてます。(驚)

「養老律令の現代語訳」も掲載されています!

 

 

陰陽寮すごい組織ですね。

陰陽師は呪術の僧侶とは違う

国家公務員の職域です。

 

ところが。。

 

養老律令前の陰陽師は

陰陽寮の一官職 「官人陰陽師」で

定員の6人の中で2人だけだったとか

 

不人気と言うより

職域が狭く(特殊専門)

そのレベルの人が少なく

従の身分制もあるなど

日本初の律令制度は

いろいろな歪もあったようです。

 

 

757年天平宝字元年五月二十日条 

孝謙女帝の勅として

藤原仲麻呂が新律令「養老律令」を施行

 

大宝律令から養老律令に改正したとされる。

(国史大辞典養老律令)

 

 

陰陽寮に係る、改正のめだまは!

 ・最先端の唐暦法、大衍暦の施行実現

 ・呪禁師(道士の術)の典薬寮から陰陽寮へ移管

 

これに伴って8世紀半ばから

行幸に暦日方角が重視されるようなっていき、

 

・陰陽師が日時選定する

 「日時勘文」の提出を行うこと。

祭祀や祓い、地鎮祭を行うことなど、

  職域が増えて陰陽師が活躍できる場が 

  増えていったそうです。

 

 

9世紀後半には暦神が増え、

「方違(かたたがえ)」を行うようなった。

 

立春前日に新居で新年(立春)を迎える時に

自宅が暦神の忌となる方位の基点を避けるため

別宅に移しておく工事をする。

「方違」が貴族に広まっていった。

 

自宅工事のために別宅禁忌!

貴族はすごいですねー💦

 

疫病をおこす「疫鬼」を

国外に追う「追儺(ついな)」

祭文を年末に読み上げるのも

陰陽師の役割となった。

 

旧暦の1月1日は立春で

民間でも「立春」の前日(晦日)に

鬼を豆で祓う、後の「節分」になるのです。

 

日本の文化は暦で造られている。

 

 

3.安倍晴明の経歴

 

安倍晴明の生涯を語ろうとすれば

その生まれるまでの血統から

どこでどのように出生したのか

どのように学んだ(修行)のか

当時の超高齢まで働き詰めに生き

死後に復活したという!

 

とても多くのなぞに包まれている。

 

伝説や逸話も多く

多くの偉人聖人がそうであるように

死後に研究が進み、伝記伝説が増える。

 

たくさんの本や映像、作品で

様々な伝記伝説が紹介されています。

 

 

安部清明は40歳で!天文得業生 

陰陽師を経て50歳で天文博士に

なっているとされています。

 

陰陽師を経て 星読みの天文部で

天文博士になっていったのですね!

 

 

別班という言葉が流行りましたが

陰陽師にも別格がありました。

 

天皇個人の顧問陰陽師!

天皇直属の「蔵人所陰陽師」と

呼ばれる立場です。

 

「朝野群載・第五巻」によると

995年 長徳元年に

安部清明(74歳)と

加茂光栄(かものみつよし)が

「蔵人所陰陽師」就任されたとあります。

 

996年 清明75歳にして 

主計権助 穀倉院別当 大善大夫に任命

晩年に「従四位下左京権大夫」に任命された。

 

陰陽師0ゼロでは

若かりし時に蔵人所に推薦される程

ズバ抜けた天才のように

描かれていますが

40歳で天文得業生

50歳で天文博士 

20代30代が気になります。

 

学生だった清明が

従四位下になれるのは

もの凄い出世で異例のこと

だったようです。

 

1005年 

大善大夫に任命9年後 

84歳にして没

 

 

 

一般の?普通の陰陽寮の学生たちは

どんなことを学んでいたのでしょう?

 

4.陰陽道書

 

日時・方角の吉凶や占術

造暦や天文観測に依拠したのは漢籍でした。

 

陰陽生 天文生 暦生が任官するのに

修得しておくべきテキストとはなにか?

 

757年「続日本紀」 

天平宝元年11月癸未(9日)条

に次のように挙げられている。

 

<陰陽生>

「易經」五經のひとつ

「新撰陰陽書」

「黄帝金匱」六壬式占

「五行大義」隋の簫吉(しょうきつ)

 

<天文生>

「史記天官書」星座解説

「漢書天文志」天文学

「三家簿讃」唐代天文書 285星官

「韓楊要集」

 

<暦生>

「漢書律暦志」天文計算

「晋書律暦志」

「大衍暦議」暦学理論書

「九章」「六章」数学の書

「周髀」宇宙論 蓋天論の書

「定天論」

 

古代中国の「術数学」の文献 が多い。

「術数学」とは

 天文学 数学 地理学 

 数理科学と占術の複合の学問

 

 

<日本で編纂された陰陽道書>

 

九世紀陰陽頭 滋岳川人(しげおかかひと)

「新撰六旬集」 六壬式占の書

『日本古典籍データセット』(国文研等所蔵) リンク

 

平安期

・加茂保憲の撰「暦林」 日時方角禁忌の典拠書

・加茂在方の編纂「暦林問答集」

 

 

こちらは訳出本!

「はじめに」と「暦林問答集序」

だけで読み応えあります。(サンプル)

 

「簠簋(ほき)」の暦注に対し

 暦注の「正理」を説いている。

「新撰陰陽書」の漢書の引用もあり訳本!

 貴重な書物。読みたくなります。

 

・加茂家栄の撰「陰陽雑書」

 日時方位の禁忌吉凶判断に用いられていた。

 室町期「庭訓往来」の注釈書に引用あり。

 

・安部清明の撰「占事略決」六壬式占の書

・安部泰忠「陰陽略書」1184年

 日時方角の指南書。

 

 

陰陽師の仕事は見えてきました。

 

陰陽道とは何でしょう?

 

宗教でもなく 宮司でもない 

陰陽思想であることは間違いない。

陰陽の道。

 

陰陽思想の発祥は

四柱推命や気学、易經を学ぶなかで

幾度となくでてきます。

五行と合わせて

すべての根底思想。

 

どのように生まれたのか??

どのように陰陽道となっていったのか?

 気になります。

 

 

学びに感謝して

 

 

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