夫の母に、
夫の薬物依存症の相談をしました。
夫の母は、
「咳止めの依存症?
…そんなのないわよ。
市販薬で依存症なんて
聞いたことない。」
アメリカでも
市販薬の依存症は
深刻な社会問題です。
知らないはずはないです…。
市販薬依存症の本も沢山、出版されています。↓
↑BBCニュースでは、アメリカの咳止め依存症のドキュメンタリーもありました。
「お義母さん、夫の目を見てください。
目の瞳孔が開いて、左右にガチャ目になっています。
呂律も回っていません。」
「…いや、普段通りの私の息子よ?」
何故か、この話をあまりしたがらない夫の母。
夫の母は、
自身の夫(夫の父)と次男(夫の弟)が、
薬物依存症です。
だから薬物依存症がどんな特徴かよくわかっているはずです。
そして、
「まあ、あの子はストレスがあるからね。」
ストレス?
ストレスって何ですか?
そういえば夫の母の冷蔵庫の上には、
常備薬として、頭痛薬、風邪薬、アレルギーの薬がいくつかありました。
ひとり暮らしにしては少し多い量とは感じましたが、乱用している量ではありませんでした。
(常備薬なのでしょうが、私は夫の薬物依存症を機に、自分自身も薬を飲むのはやめました。
夫の為ではなく、風邪や胃の不調は、薬で治すものではないと確信したからです。
休息、体を温める、栄養のある食生活をとる…それらで治すもので、
ましてや自己判断の市販薬は良くないと思いました。
今でも我が家の常備薬は、生理痛の薬のみです。
軽い時は飲まず、重い時のみカロナールを飲みます。
今は子供にも、生理痛が重い日には生理痛の薬を飲ませますが、
子供には小さな頃からさんざん薬のこわさを伝えている為、
子供はそれでも、
「いや、生理痛でも薬はあまり飲みたくないな…。薬を飲んでバカになったらこわいから。」
と警戒しています。
「薬=安易に飲むとバカになる」
と3人とも思っています。)
私は夫の母に、
「お義母さん、冷蔵庫の上にある市販薬を、お義母さんのお部屋のクローゼットなどにしまっていただけませんか?
今はああいう市販薬の頭痛薬、風邪薬、アレルギーの薬も、夫には危ないんです。」
そんな話をしていると、夫がやってきました。
「頭が痛い…。」
すると夫の母は、夫に向かって、
「頭いたいの?
鎮痛剤あるわよ、飲む?」
は?
さすがに夫の母が理解できませんでした。
私は
「い、いや…。
パパ、ダメだよ?」
夫も、
「薬はいい…。
僕は市販薬をやめないと…。」
しかし夫の母は続けて、
「もしかしたら風邪かもね?
風邪薬もあるわよ、飲む?」
…。
私は、
「お義母さん…。夫は市販薬を飲んではいけないんです。」
夫は下を向いたまま、
「お母さん、妻が言っていることは事実だ…。
僕は咳止めを乱用している。」
すると
夫の母は、
「あなたはストレスがあるからね。」
また”ストレス”ですか。
夫
「ストレス?
別にストレスはないよ?」
夫の母
「あなたはストレスがあるわよ。
ひとりで働いて、子供が3人いて。」
子供を”ストレス”に分類しないでほしい。
私は子供を”ストレス”だと感じたことは一度もない。
子供ではなく、子育ては、まあちょっと大変なことはあります。
レストランで子供が牛乳をこぼして、
私が片付けている間にまた別の子供が牛乳をこぼし、私の服にかかり、
「子育て中の外出には、
子供の着替えだけでなく、
私の着替えも必要なんだな」
と学んだり。
しかし私は泣いている我が子や、怒りん坊の我が子を見て、泣き顔や怒り顔もかわいいと思っていました。
ストレスなんて感じたことはない、かわいいかわいい私の我が子たち。
子供3人が、
私と夫に一生分の幸せを与えてくれました。
子供3人の存在が
私と夫にとって、何よりも幸せなことです。
そこに”ストレス”なんかありません。
夫
「まあ、確かに仕事のストレスはね…。
でもみんなそうだよ。」
夫の母
「あなたひとりで働いて、帰ったら3人の子供の面倒も見ているものね。」
↑この表現に、私は傷つきました。
夫の母は、意図的にイヤミを言う人ではなく、
私が傷つくのを気づかず、つい言っただけです。
確かに私は当時、専業主婦でした。
しかしお仕事をしてくれる夫を大切にしていました。
「サザエさん」のおフネさんほどではありませんが、夫を大切に、感謝もしていました。
仕事から帰って、夫は疲れていながらも、確かに育児を楽しんでくれ、子供たちといっぱい遊んでくれました。
仕事から帰ってきて、まず子供たちを抱っこしてくれ、「あ!ウンチしたな!」と笑いながらオムツもささっと替えてくれました。
私が日中できなかった家事をやってくれたりしました。
しかし私は、そういう夫に感謝をしましたし、
なるべく夫の負担にならないようにしていました。
薬物依存症になってから、夫は色々なことができなくなる中で、それでも子供たちのことだけは大切にしてくれました。
薬物依存症になってから、
ありえない夫婦ゲンカもしましたが、
以前は、夫婦ゲンカもなく、私は夫を大切にしていました。
しかし私は夫の母には言い返しませんでした。
夫の母は普段は優しく、
いわゆる一昔前の日本や韓国の厳しいお姑さんタイプではありませんでした。
夫の母は、1965年産まれの若いアメリカ人、
当時はまだ49歳、
私には友達のように接してくれ、とても仲が良かったのです。
それにやはり私は日本人の気質なのか、
夫の母に反論はできませんでした。
それにしても夫の母は、
意図的にこの会話にのりたがりませんでした。
夫の母は、
自身の夫(私の夫の父)の、
薬物依存症、アルコール依存症に苦しんできました。
更に次男(夫の弟)の、
薬物依存症にも苦しんできました。
しかし何故か次男の薬物依存症のことを、
「みな間違いを犯すものよ」
と言うのは理解はできない部分があります。
配偶者の依存症…
夫の母は、
私と同じ立場です。
夫の母がこの話し合いを意図的にやめようとする思いはわかりません。
次男だけでなく、
米軍に入隊した自慢の長男まで薬物依存症になったことが、
信じられないのか、
認めたくないのか、
聞きたくないのか、
辛いのか、
色々な思いがあるのかもしれません。
とにかく夫の母がこの話し合いをしたがらないことだけは私に伝わったので、
私はやめました。
もうお家に帰りたい。
大好きだった義理の両親。
仲良しだった義理の両親。
その関係では、
もうなくなったんだな。
夫の依存症から、
仲良しだった家族間にまで生じる落胆、不信感。
さみしいです。
私とずっと仲良しで、
大好きだった義理の両親、
大好きでいたかったです。