アメリカの事故物件に入居して数日後…
夫は複雑な顔で帰ってきました。
「今日、変な人から電話があった。父だ。」
「あ、連絡きたんだ、良かったね。」
引っ越した後、夫のスマホの電話番号を含めて再度ハガキを書いたのは私、
そしてまたハガキをわざわざ郵便局で投函したのは夫でした。
だから電話がかかってくるのはわかっていたのですが。
夫は「So strange.」(本当に変だな。)を繰り返していました。
夫の両親は離婚はしていないものの、夫が米軍に入隊した後、8年間ずっと別居をしていました。
二人は同じ街にすんでいましたが、別々にやってきました。
私の一番上の子の2歳の誕生日の日に。
「寝室は別々にしてくれ。」
と言われましたが、困ったことがありました。
日本から家具が届いておらず、アメリカで新たに購入したリビングの大きなソファと、主寝室にある大きなキングサイズのベッドのみ。
主寝室のベッドは、アメリカでは珍しく、私たち夫婦が川の字で子供を真ん中にして寝ていました。
アメリカでは赤ちゃんでも個室を与えてひとりで寝るのが普通ですが、私は日本式を取り入れて、川の字で同じ寝室で寝ていました。
ちなみにこれはのちに関与されるアメリカの子ども家庭支援センター員の家庭訪問で注意をされました。
「ダメよ!子供の個室を作り、子供は一人で寝かせなさい。」
「いいえ、私は子供がだいたい小学生になり、自分で個室を希望するまでは一緒に寝ます。
私は日本式の子育てを信じています。」
「赤ちゃんに個室を与えることにより、自立を促すのです。」
「それなら尚更、まだ赤ちゃんなので自立はしなくていいです。
少なくとも、自立は18年後なので(笑)」
“少年犯罪が日本より圧倒的に多いアメリカに、子育て論を語られたくないわ”
と言いたかったけど、やめました(笑)
というわけで、まだ日本から来て家具がほとんどなかった為、義理の両親にはリビングのソファで寝てもらうことになりました。
初めての義理の両親と会う日。
当時の義理の両親は若かったです。
46歳。
確か夫と20歳しかはなれていなかったので、若いおじいちゃん、おばあちゃんでした。
それより私が驚いたのは、
義理の両親の目の色。
夫が言っていた、
「父はブルー、母はヘーゼル。」
実際は、
父はヘーゼル、母はグリーンでした。
ブルーの方はいませんでした。
しかし何より驚いたのは夫の反応でした。
義理の両親が帰った後、夫に言いました。
「ビックリしたあなたから聞いた目の色と全然違うから。」
「え?何のこと?」
「あなたは、『父はブルー、母はヘーゼル』と言い続けたけど。」
「そうだよ。」
「違ったよ」
「え?そんなはずはない。僕の両親の目だよ。僕が間違うはずないじゃないか。」
あまりに夫がひかないので、次回、義理の両親に会う時に、夫によく見てほしいと伝えました。
そして次回、義理の両親に会った時の夫の反応は…