戦時下か戦後まもなく資材不足の頃と思われる苦心の品
6行×27マスのタイプ。マスの枠も薄く、底板の6つ
書けないことはない、けれど書きにくいという出来ばえ
♪ 『昭和四年大阪府立盲学校年表』の巻頭グラビア
片仮名「コ」の字に配置した生徒用机、13人が腰かけている。「コ」の空いた部分に縦1.5メートル×横4メートルほどの巨大な日本地図が机8台を並べた上に横たえてある。触って学べる立体地図になっているのだ。男女一人ずつが両手で探っている。メインの教員が手取り足取り型の指導をしている様子。もう1人、女の子が立って直径50センチを遥かに超えているだろう立体地球儀に手をのばしている。教室には補助的な役割かと思われる教員らしい人物の姿も見える。
とにかく大きい立体日本地図!これが学びやすいサイズといえるかどうかは検討を要しそうだが、このスケールの教具を製造して盲児の学びに供そうとした熱意はスゴい!といえるのではないだろうか。
戦前・戦中・戦後のレアな資料たち。
1 盲音楽師 コロレンコ作 小泉修一訳 春陽堂 1924(大正13)年
2 水平運動の精神 栗須七郎 大阪府水平社出版部 1924年
3 聾唖年鑑 聾唖月報社 1935(昭和10)年
4 国民同和への道 文部省 発売・同和奉公所 1942(昭和17)年
5 田村一二 忘れられた子等 田村敬男発行 教育図書株式会社発兌 1942年
6 戯曲破戒 島崎藤村作・村山知義脚色・宇野重吉主演 河童書房 1949(昭和24)年
7 百二十三本目の草 田村一二 黎明書房 1951(昭和26)年
障害児教育分野で私の持っているのと同じものは京盲資料室に入れましょう。
【写真は、上記7冊の背表紙など】
♪ 盲人用の文字・ムーンタイプで印刷・刊行された本
ムーン・タイプ(Moon type)は、イギリスのウィリアム・ムーンが考案した
ENGLAND'S HEAVENLY
PLAYGROUND.
JOHN ENNIS.
GRADE. ОNE MOON.
REPRODUCED IN MOON TYPE FRO ↓
.2791 YAM ,TSEGID S‘REDAER M ←
↑(上記は)独学による読解ですので、誤りがあるかもしれません。ポイントは一番下の行を、右から左に向かって読まねばならないということ!そうすると、「リーダーズダイジェスト」をもとにしたムーン本らしいと読めてきます。つまり、下の2行が次のように読めるわけです。
REPRODUCED IN MOON TYPE FROМ
READER‘S DIGEST, MAY 1972.
実際に行ったのかな? どうだったのかな?
『東洋鍼灸雑誌』1935年4月に次の記事がありました。「変わり種」の話で、まゆつば感もただよう話ですが、実際のところを調べてみたい気もしています。(漢字など、一部は原行の表記に改めました。岸)
東洋鍼灸雑誌 昭和10年4月 (関西鍼灸学院出版部)
ヒトラーへお灸
招かれる高山博士
日本のお灸の先生がヒトラーへお灸を据ゑ
に行くと言ふ超弩級のニュース
この変り種はお灸で医学博士になつた高山玉
舟氏、現在東京浅草区北松山町三十八に「日
蓮さまのお灸所」といふ珍奇な時代離れのし
た看板を掲げ一切無料で十五年近くも医者に
見離された難疾者をお灸一つで治療するとい
ふ医者仲間でも有名な変り種でこの高山氏が
全ヨーロッパに呼号するヒトラー総統へお灸
を据ゑに行くやうになつたのは日本のトーキ
ー映画の取り持つ不思議の縁からである。
同氏は名医も匙を投げた脊髄カリエスや梅
毒性失明者その他不具に近い重患を目の前
で施灸で治癒しこれに「メスを用ひざる整
形外科医術の発見」と題しこれを芝区新橋
一丁目帝都復興ビル内日映トーキープロで
撮影、昨年十一月ベルリンの医学大学へ送
つたところ、これをみたドイツ医大で日本
大使館を通じ高山氏に対してライプチヒに
開かれる世界医学大会に出席して新しく此
お灸の原理を説明してほしいと申込んでき
たが
これを伝へ聞いたヒトラーが乗出し「睡眠時
間を少くして疲労せず、しかも如何なる過労
にもたへ得る健康体とするため是非一つ」と
同様大使館を通じ高山氏に依頼してきた。
高山氏は日本医学を世界医学の中心ドイツへ
逆輸入するは頗る愉快なりとして六月初旬渡
欧、七月十四日ライプチヒの大会に出席する
ことに決意したがヒトラー氏にお灸を据ゑる
のは八月ごろになる予定である、高山氏は語
る、
ヒトラーの註文は少し無理で睡眠時間を少
くしてより以上働きしかも人一倍健康にし
て呉れと云ふのだからなかなかむづかしい
これはお灸一つで出来る訳でない食物の関
係もあるのでこの点も十分ヒトラーに注意
しようと思つてゐます。とまれ日本医学海
外進出の好機会でありますから是非行きた
いと思つてゐる。 (大阪時事報)
♪ 誕生日 1809年1月4日にちなんでルイ・ブライユの肖像画
彼のよく知られた絵とは雰囲気の異なるカード(たばこの箱サイズ)。頬から顎にかけて、ちょっといかつい感じです。ネットを検索したら、1件だけ、同じ絵がヒットしました。裏面には、フランス語で、おおよそ次のように書かれているようです。
ルイ・ブライユ[1809-1852]
馬具職人の息子である彼は、3歳のとき負傷したため盲目になりました。 1819年にパリ訓盲院に入学した彼は、音楽に専念し、パリのいくつかの教区のオルガニストになりました。学院の教員になった彼は、指導を容易にするための本を作成し、授業中に学生がメモを取って宿題をすることができるように、重要な新しい筆記システムを作成しました。 それ以来、この書記体系は視覚障害者向けの特別な文字の印刷にも使用されてきました。 こうして、点字は不幸な人々に大きな快適さを提供したのです。








