密教僧のブログ -2ページ目

密教僧のブログ

幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。


庭の灯篭や手水鉢のある場所を、なぜか犬猫は自分の墓所と間違えやすい傾向があります。

そうした場所に穴を掘って動物を埋めると、浮遊する動物の霊が集まってくる恐れがあります。


庭にそのような場所をつくらないようにすべきです。

人間にとって居心地のよい場所にはなりません。


庭木の根元にも動物の死骸は埋めないでください。これも霊障の恐れがあります。



既にペットを庭に埋めてしまった場合は、そのまわりに、米、塩、酒を少量まけばよろしいでしょう。

浮遊する動物霊が集まっている場合は、嫌な雰囲気が漂います。その感じがなくなるまでまきます。

あるいは、米、小豆、塩を半紙に包み埋めればよろしいでしょう。

動物の剥製については好き嫌いもあるでしょうが、扱いには十分に気をつけなければなりません。


剥製を飾っておくと、ときには、その剥製のなかに動物の霊が入ってしまう危険性があります。


霊が入ったかどうかの判断は、その剥製を見てぞっとするような気分を覚えるかどうかです。
なんとも感じなければ、それでよろしいのですが、恐ろしい気分にさせられるようなら、浮遊霊が入ったとお考えになってよいでしょう。


その剥製を見て、かわいいと思うのであれば、日常的に飾っておいてもまったく問題はありません。


 

 

霊の世界を誘導してくれるのは人間の霊だけではありません。

 

 


守護霊というのは、生きて生活している、この世だけを守ってくれるわけではありません。

私たちが死んでも、まだ守り続けてくれるものですから、心から感謝の気持ちを持って、供養しなければなりません。

 

死後の世界の誘導者として、人間の霊ばかりが水先案内人になるわけではありません。動物も水先案内人になる事もあります。

 

 

自分がかわいがっていた犬や猫、飼っていた馬や牛、生きとし生けるもの、魂を持ったものに対して、やさしい気持ちを持つ事は大切なことなのです。

 

 

死後の世界は魂と魂のふれ合いなのであります。

 

この世は、霊界という広大無辺な空間の中にぽっかり浮かんでいる一つのゴム球のようなもので、この世の周囲はすべて霊界で取り囲まれているのです。


この世も一種の霊界であり、他の霊界すべてが、この世にしみ込んでいるといわれています。


霊界では、距離やスピードという概念は存在しなく、どんなに遠くても意識は瞬時に伝わり、行きたい場所を意識するだけで瞬時に移動できるといいます。ですので、先祖霊なども子孫が供養の時、思いを寄せると、瞬時に現れることができるのではないでしょうか。


このようなことが理解されにくいのは、この世の物質的な習慣に従って考えているからに過ぎないのであります。





今生で生きにくさを感じることが多い人は、たとえば。


同じような恋愛を繰り返しては失恋したり、職場を変えたのに同じような人間関係の渦へと巻き込まれてしまったり、何かを始めても同じような形でやめてしまう。


一つのことにのめり込み過ぎるケースも同。


感情があるパターンで爆発してしまう。こんなことが多いのではないでしょうか。精神のレベルを上げないと、同じ事を何度も繰り返し、人生を終えます。


前回の記事に書いたように、悟りの境地に少しでも近づいた精神状態であるならば、人間関係で新しい展開が始まったり(出会いと別れがはっきりする)


知覚、観念、価値観に変化が生じ、幸福感を多く感じるようになります。


さらには、夢の内容も変化し、肉体内で流れる気の流れを自覚できるようになり、食事の好みや量も変化していくのであります。

 

波動の粗い人は肉食を主とします。

 


精神的ステージが上がると肉食は少なくなります。だからといって、極端に、完全に肉食を断つという事ではありません。

 

また、精神性が向上し、あるレベル以上になるとテレビはほとんど見なくなります。我慢して見ないのではなく、見られなくなります。

 


成功者といわれる人や、あるレベル以上の経営者などはテレビを見ている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。


これも極端に一切見ないという事ではなく、何時間も見ないということであります。

 

私もテレビは、週に1時間以上は見ることはありません。非常に時間が無駄になるからです。

 

 

心が変わると様々な変化が起こってくるのであります。

 

 

 

 

人生のどこかで悟りという言葉に出合います。


その境地に達したいために、スピリチュアルや宗教に見出そうとします。悟りの境地に到達するためには厳しい修行を続けなければいけないと説く人もいれば何もすることはないと説く人もおります。

 

悟るとは何でしょうか。

 

悟りを開くとはどんな状態をいうのでしょう。

 

人間は、魂に刻まれた使命や目的を波動の低い、この世に生まれて成長すると忘れてしまいます。

 

 

それを思い出すきっかけとして、様々なつらい体験がやってくると考えるならば、つらい体験を一つのサインとして自分の使命や目的を思い出すことが、ある種の悟りともいえるかも知れません。

 

 

それまで自分を邪魔していた恐れや不安といった感情から開放され、リラックスした状態を保つことで魂が発する心の声にアクセスできると気がついた瞬間、悟りが始まったと言えるのであります。

 

 

これまで、周囲の問題と自覚していたことは、すべて誰のせいでもなく、自分自身で勝手に作り上げていたことにも気づきます。この段階までくると、まさに悟りの境地に近いといえます。

 

 

ちなみに、精神性(人格)が非常に低い人間や不幸から抜け出せない人間は、一生このことに気がつく事はありません。すべて周囲のせいにするのであります。

 

 

悟りは、鍛錬しないと元に戻ります。

 

さらに、悟りを得ようと執着する限り、悟りの境地には達しません。


どんなに厳しい修行を積もうとも、悟りたいという欲がある限り悟れないのです。悟りを得るために大切なのは、逆説的ですが、悟りを得ようとしないことです。

 

自分に何らかの執着があると、手放すことができないために、自分が変化すべき時に変化することが叶いません。

 


私たちは、次のステージに進むために手放すべき縁もあります。特に人間関係は、魂のレベルが上がると必ず変化が起こります。


それらを手放したことで得られる新しい縁があるのです。


悪い縁がある限りは、良い縁ができることは無いと思ってよろしいでしょう。

 

仏陀は、厳しい修行で悟りの境地に達することができず、苦行をやめ、執着を手放した瞬間、悟りを開いたといわれています。

 

 


上記に書いてある事の意味を真に理解した瞬間、魂のレベルは上がり縁(特に人間関係)が変わり、運気にも変化が起こることでしょう。

 

 

 

 

世の中には先祖霊の存在を否定する人がいます。


霊などあるとは信じられない、そんなものあるはずない。
現在ここに生きていることこそ絶対だと、霊を祀るなど考えもしない人がいるようです。


また、僧侶の悪口を陰で言う人もおります。言われても仕方ない僧侶もおりますから、そのような人は仕方ないとして、霊や僧を否定するのであれば、葬儀、法要は一切されなければよいだけです。


また、そのような人に言い聞かせる必要はまったくないのです。先祖を祀るお人好しはバカをみるという考えのもち主は、えてして人を利用し、人をおとし入れ、裏切り、自分だけ得をしたと勘違いしがちです。


そのような人は死んで不成仏霊となって苦しみます。


不成仏霊は永遠に成仏できずあちこちとさ迷いつづけ、障りを起こし、誰かにとり憑き何とかして成仏させて欲しいと訴えて出るのです。


生きていても、死んでからも人に迷惑をかけることしかしないのです。


まさに、人間以下といえるのです。


先祖のなかに他人に甚大な迷惑を及ぼした人がいると、必ずその子孫にも同じような困難が不思議と襲いかかってきます。


よく、あんないい人がどうしてこんな酷い仕打ちに遭わなければならないのということがありますが、このような場合には、その人の先祖に悪いことをたくさんしでかした人間がいるはずです。

不幸にあえぐ生活をしている人のなかには、酷い先祖をもっている人が多いのであります。


また、先祖の罪でなくても、自分のしでかした罪悪によって一生病気に悩まされ、苦しめられる人も多く見られます。

大地は生き物であります。
土地は住宅という重い荷物を背負って頑張っているのですから時々ねぎらってあげなければならないのです。


土地にも年齢がありますから、厄除けが必要です。


筑後、三十年ほどしたら厄除けをしてください。

厄除けは、天然塩、お米をひとにぎり、お酒をキャップ一杯、敷地の四隅に埋めてあげます。


人間の厄除けと同じように、大地も長年重いものを乗せているのと疲れがでますから厄除けをしないと全体のバランスが崩れるのです。


敷地が三角形、しかも筑後三十年という場合は、悪条件が重なるわけですから非常に障りが生じやすくなります。


家族が原因不明の病気になったり、商売がまったくうまくいかなくなったという例がよくあります。


また、敷地はできるだけ余分をつくり、大地が自由に呼吸できるようにしてあげるとよいのです。


犬などは死んでいくその日まで、首にしっかりと首輪をしていたりするのはめずらしいことではありません。


ペットが死んだら、そのような首輪など、どうしたらよいのだろうかとお悩みの方もいらっしゃるかと思います。


この首輪は、犬や猫は好んでしているわけではないのです。


本当なら、野生の動物のように、首輪などつけずに自由に飛び回っていたい、と思うのが動物の本能であります。


そこをよく考えて、そんな不本意な首輪など、棺の中に入れないようにしてあげて下さい。


エサを入れてあげても、エサの箱は入れないでください。


ペットショップでシャンプーしてもらい、美しい毛並みにすることも、服を着せるのも、人間の勝手です。人が考えたことに基づいたものです。


そのため、死んだ時は、自然のままの姿に戻してあげるのがもっとも親切な方法といえましょう。

仏様を供養するには、安心して成仏して欲しいという真剣な気持ちがなによりも大切です。極端にいえば、その心さえあればお水の一杯、お線香の一本だけで供養は十分であります。


つまりは、毎日、亡くなった人と一緒に生きているという姿勢が故人には、なによりの供養なのです。

高価な戒名、お墓、仏壇は必要ないのです。それらがどれほど立派でも、魂の入っていないものであれば、なきに等しいのであります。


では、仏様が嫌がる供養とはどんなものでしょうか。




下記のようなことは、できるだけしないように気をつけて供養下さい。


1、お墓や仏壇への供物を捨てる人がいます。これは仏様にとってはとりわけ嫌なことです。供物は全部いただくようにします。供えてから、お線香が燃え尽きるくらいまでそのまま置いて仏様に召しあがっていただき、あとはできれば家族全員で少しずついただくようにします。また、ご飯にカビが生えるまで放置しては絶対にいけません。新鮮なうちにおろして下さい。


2、お線香が途中で消えたとき、そのまま放置されるのを仏様は嫌がります。燃え尽きるまでしっかり燃やしてあげてください。


3、あまり香りの強すぎる花は仏様は嫌がります。他、トゲのある花、位牌より背の高すぎる花、すぐに散ってしまう花、木の実のついているもの、松葉のように先の尖っているものなどは嫌がりますので要注意です。


4、先祖をまつる仏壇に飼っていたペットをまつる人がいます。これは、ご先祖様が大変嫌がります。また、ペットも居心地の悪い思いをしています。仏壇にペットの写真など入れるのはとんでもないことです。


5、色のついたローソクより、白い普通のローソクのほうが喜ばれます。


6、画鋲、安全ピン、針、はさみなど仏壇のそばに置かないでください。とても嫌がります。


7、生前の好物を供えてあげると喜びますが、好きでないものを無神経にあげないようにします。



生前、故人が好きだった趣味の道具や本などはぜひ供えてあげるとよいでしょう。