悟りを得ようとする限り、その境地に至ることはない | 密教僧のブログ

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幸せになる人間と不幸になる人間は何が違うのか。目に見えない世界の法則を密教僧が解き明かします。

人生のどこかで悟りという言葉に出合います。


その境地に達したいために、スピリチュアルや宗教に見出そうとします。悟りの境地に到達するためには厳しい修行を続けなければいけないと説く人もいれば何もすることはないと説く人もおります。

 

悟るとは何でしょうか。

 

悟りを開くとはどんな状態をいうのでしょう。

 

人間は、魂に刻まれた使命や目的を波動の低い、この世に生まれて成長すると忘れてしまいます。

 

 

それを思い出すきっかけとして、様々なつらい体験がやってくると考えるならば、つらい体験を一つのサインとして自分の使命や目的を思い出すことが、ある種の悟りともいえるかも知れません。

 

 

それまで自分を邪魔していた恐れや不安といった感情から開放され、リラックスした状態を保つことで魂が発する心の声にアクセスできると気がついた瞬間、悟りが始まったと言えるのであります。

 

 

これまで、周囲の問題と自覚していたことは、すべて誰のせいでもなく、自分自身で勝手に作り上げていたことにも気づきます。この段階までくると、まさに悟りの境地に近いといえます。

 

 

ちなみに、精神性(人格)が非常に低い人間や不幸から抜け出せない人間は、一生このことに気がつく事はありません。すべて周囲のせいにするのであります。

 

 

悟りは、鍛錬しないと元に戻ります。

 

さらに、悟りを得ようと執着する限り、悟りの境地には達しません。


どんなに厳しい修行を積もうとも、悟りたいという欲がある限り悟れないのです。悟りを得るために大切なのは、逆説的ですが、悟りを得ようとしないことです。

 

自分に何らかの執着があると、手放すことができないために、自分が変化すべき時に変化することが叶いません。

 


私たちは、次のステージに進むために手放すべき縁もあります。特に人間関係は、魂のレベルが上がると必ず変化が起こります。


それらを手放したことで得られる新しい縁があるのです。


悪い縁がある限りは、良い縁ができることは無いと思ってよろしいでしょう。

 

仏陀は、厳しい修行で悟りの境地に達することができず、苦行をやめ、執着を手放した瞬間、悟りを開いたといわれています。

 

 


上記に書いてある事の意味を真に理解した瞬間、魂のレベルは上がり縁(特に人間関係)が変わり、運気にも変化が起こることでしょう。