第一章 ~薫~ 第6話
シーガルには俺と薫の他には、
テーブル席に2組のカップルが座っていただけだ。
店は新宿のわりにそこそこ広かったが店員は平さんだけ。
たまにヘルプにバイトと思われるスタッフが来ることもあるが、
この日はそうではなかったようだ。
店ではたいていピアノジャズがかかっていて、
落ち着いた気分で飲める。
だが、この日の俺は、
決して落ち着いた気分になんかなれなかった。
薫の雰囲気を察してか、
平さんは薫が口を開く前に奥のキッチンへと引っ込んでいた。
薫の声は、俺にしか届いていない。
「・・・・・・・そっか。」
友人が人を殺したという話を聞いたとき、
どういった反応をするか。
冗談だろうと笑う。
なんでそんなことをしたんだと問いただす。
一緒に警察へ行こうと出頭を促す。
あらゆる選択肢があるだろう。
だが、
人間は、とっさの出来事に対応できるようにはできていない。
台詞を読むかのようなことはできない。
少なくとも、この日の俺はそうだった。
「そっかって・・・、ソータ、俺本気で言ってるんだぞ?冗談なんかじゃな・・」
「冗談だとは思ってねーよ。冗談で俺を呼び戻すようなバカじゃねーだろ?」
薫は下を向きながら、
握ったギネスの瓶で、もてあますかのように指を動かしている。
「・・・すまん。 お前はほんと冷静だな・・・。話、聞いてくれるか?」
「ああ。もちろんだ。」
平さんを呼んで、
離れたテーブル席に移してくれるように頼んだ。
平さんは特に何も聞かず、
飲み物やおしぼりの移動を手伝ってくれた。
「これ、サービスな。ゆっくりしてけよ。」
そういって、ドライフルーツの皿まで置いていってくれた。
薫は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
だが、さっきのコンパのときのようにはいかない。
指先が小刻みに震えている。
「ソータぁ・・・俺・・・怖いんだ。」
薫は、都内出身のいわゆるエリートである。
両親共に国家公務員であり、兄が一人。
幸せな家庭で、何不自由なく暮らしていたらしい。
だが、大学生になった薫は、
一人の女性にはまった。
その女性のことを聞いたことは何度かあったが、
俺は人のプライベートに立ち入るのはあまり好きではない。
深く話したことはなかったが、
たしか、水商売をしているとのことを言っていた。
水商売の女性を好きになることを否定するつもりはない。
男性と酒を飲もうが、
体を交えようが、
そこにいる一人の女性が誰かに愛され、
誰かを愛することがどうだという評価をするなんてどうかしている。
だが、
自分の愛する子供が、
夜の世界へと紛れ込んでいくことを心配するのが親であり、
薫の両親も例外ではなかった。
薫の交際相手のことを知った両親は、
客を装って相手に会いに行った。
そして、
金輪際会わないことを約束させ、
薫に事実を告げないことも約束させた。
そして彼女は夜の街から消えた。
事情が何もわからなかった薫は、
夜な夜な情報を探し歩いた。
彼は頭の悪い人間ではない。
あらゆる手段を駆使して彼女に行き着いた。
別の街で働く彼女と再会して全てを聞いた薫は、
両親に対して深い憎しみを抱いたという。
薫の話は続く。
中々本筋が見えないが、俺はとくにイライラすることもなかった。
「結局、両親に情報をリークしやがったのは兄貴だったんだよな。」
薫の兄は、既に両親と同じ公務員として働いていた。
自分のキャリアに傷がつくことを恐れた彼は、
不出来な弟の後始末を両親に頼んだ。
彼は、
弟が交際している相手について相談にのってやるふりをして、
薫を出し抜いたのだった。
しかし、障害が多ければますます燃え上がるのが愛なのか。
薫たちはまた密会するようになった。
今度は誰にもばれないように、
誰にも邪魔されないように。
だが。
「俺、彼女のアパートで・・・池袋にあるんだけど・・・そこで・・・。」
つい先日のことだ。
彼女と一緒に、
彼女のアパートで彼女と共に一夜を過ごし、
いつものように遅めに起きた。
遅くまで働いた彼女と二人、
昼過ぎまで寝過ごすのが彼らの日課らしい。
どうりで薫が午前中の講義をさぼりがちだったのだと、
納得がいった。
でも、その日はいつもと違った。
隣で眠る彼女の体温が感じられない。
いや、彼女がそこにいるのに、
気配が感じられないといったところだろうか。
薫は、彼女におはようのキスをしようと体を抱えようとした、そのとき。
「あいつ・・・白目んなってて・・・それで・・・」
既に彼女は息耐えていたという・・・。