『(仮)ハバナのフィト・パエス』主人公の証言 | MARYSOL のキューバ映画修行

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先月から起きている論争と映画人集会の発端となったドキュメンタリー『(仮)ハバナのフィト・パエス』の主人公、アルゼンチン出身のロック歌手フィト・パエス(60才)の証言を紹介します。

これで〈なぜ本作が問題になったのか〉ようやく見えてきました。

 

 

参照記事はこちら

 

本作の最初の仕上がりを見た時、まだ足りない部分があるように思えたフィトは、それをファン・ピン・ビラル監督に伝えた。その結果、新たな証言やアーカイブ映像が加わった。

「パブロ・ミラネスらのインタビューのおかげで、展望がより広がった」。

 

「最終的な仕上がりを観て気に入った。〈エル・シエルボ・エンカンタード〉劇場で上映予定だった3本の映画が中止になったことは知っていた。あの時からだね? 雑音が聞こえてきたのは。何の説明もないのは、キューバではよくあることのようだ。残念ながら。今どきひどく時代遅れの人たちがいるものだ」。

 

「彼らが激高したのは、我々と文化副大臣との会話の直後だった。私は腕の手術の治療後だったから、マネージャーが副大臣と話した。その際マネージャーは、反政府的な事は言えない法律について知らされた」

(フィトは明言していないが、刑法120条、国家や政府が正常に機能するための権利制限や、266条、メディアやソーシャルネットワークで公開される情報の制限がある。)

「私をハバナに招く話が進むなかで、こうした状況下では行かせられないとマネージャーは言い、承諾しなかった」

 

その後、Espectador críticoという国営放送の番組で、監督やプロデューサーの許可も音楽の著作権も得ずに本作が放映されたが、これは大きな問題だ。

 

この行為をフィトは「まともな大人が問題について本当に論じようとしているように見えない」と評する。

しかも「何も知らない視聴者に対して『よからぬ事が起きる』と予告したうえで、『キューバに検閲はない。現に我々は本作を放映している』と言うテレビ音声をフィトは聞いており、これこそ「伝統的なマニピュレーション(操作)だ」と見なす。

 

今回の論争の根底には、キューバの文化機関が「フィト・パエスは操られたという説」を拡散したことがある。

フィトによると、キューバ当局を不快にさせた2つの問いかけが本作中にあるからだ。

一つは、カミーロ・シエンフエゴスが消息不明になったことについての発言。

もう一つは、2003年に起きたボート乗っ取り犯に執行された死刑反対論だ。

「これらの私の発言を、あたかもファン・ピン監督が故意に言わせたように見せかけたのだ」とフィトは言う。

カミーロの件については、「当時私は共産党青年同盟の人たちと交わした討論で、言われた事を繰り返すのではなく、調査する必要がある。科学的証拠がないなら特にそうすべきだ」と提案した。1993年当時は喧嘩になりかけた。私とほぼ同い年の若者たちは、考えたがらなかった」。

「死刑反対については、どこの国であろうと反対を公言している」。

 

「私はキューバ国民の友であって、官僚たちの友ではない。彼らは国民を代表していない」。

「ファン・ピン監督は私を操ってなどいない。私は操られるような人間ではないし、自分の考えを明確にもっている」

 

キューバ映画人たちの行動については、フィトは彼らを支持し「自由を求める歴史的行為」と認識している。

 

「何でもかんでも米国の封鎖のせいにするのはもうヤメだ。人々が空腹や海で死なないように賢明なやり方を模索せねばならない。何のために失敗したシステムを維持しようとするのか?数名の指導者のエゴのためか?誰かの虚栄心を保つために、命を犠牲にするなんて無駄だ。

官僚政治がキューバではない。いつイデオロギーの旗が人民の人生を代表するようになったのか?人民とはどこの国でも、もっと素朴で、開けっぴろげで、あたたかいものだ」

 

「かつてキューバ革命に賛同した人たちのどれほどが、期待を裏切られたことか!これは痛みであり、悲劇だ」。

 

拙ブログ関連記事

対話集会:映画人集会と文化官僚の対立 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

 

追記:上記のインタビュービデオが早速アップされました。(7/17)

ICAIC長官の突然の辞任と関係あるのでしょうか?