今見るべき映画:『愛国と教育』 | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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土曜日、気になっていた映画を見てきました。

『教育と愛国』

公式サイトhttps://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/

 

上の公式サイトの「イントロダクション」冒頭に【いま、政治と教育の距離がどんどん近くなっている】とありますが、それどころか、教育現場に侵攻する「政治の力」(コメント欄の畠山理仁氏の言葉)に気づかされ、危機感を覚えました。

 

この「政治の力」を発揮しているのが安倍元首相や日本維新の会で、「森友問題」の籠池氏いわく「いまや安倍史観」(公式サイトの斉加尚代監督・ディレクターズ・ノート参照)が日本の教育をジワジワと侵食中―。

このままでは、学問的真理の探究はもちろん、日本の未来を担う子供たちの自由で柔軟な思考能力が侵害されかねません。

 

道徳を決めるのは人間の良心であって国家ではない。

歴史の真実を追求するのは学問であって政治ではない。愛国を標榜する政治家たちによる教育と学問への不当な支配。これを放置したら日本は1945年以前に戻ってしまうだろう。

―前川喜平(元文部科学事務次官)

 

映画では、教科書がどれだけ時間をかけて編纂され、検定を受けた後に各学校に採択されるかという過程や、倒産した老舗出版社の実例を通して、巧妙な政治的介入の仕組みを知り、驚きました。

が、もっと驚いたのは、"新しい”教科書に携わっている東京大学名誉教授、伊藤 隆氏の「歴史から学ぶ必要はない」との発言。

 

その伊藤氏が「自虐史観」と呼ぶ「先の戦争に対する猛反省」の時代環境に育った私(安倍氏と同じ1954年生まれ)は、二度と同じ過ちを犯さないために歴史を学び、思索を深める必要があると信じているのですが…。

そして、戦争に至る要因として当時の思想統制や情報統制があったと思っており、警戒しています。

 

教育とメディアは国民の意識を形成する二大要素だ。ならば7年半に及ぶ安倍政権時に、この国の教育はどう変わったのか。変えられたのか。観終えてあなたは思うはずだ。このままでよいのか。

―森 達也(映画監督/作家)

 

ところが、森氏が指摘するように、日本の報道の自由度は世界のなかで順位を下げ続けており、

退行する報道の自由度 | MARYSOL のキューバ映画修行 (ameblo.jp)

NHKや一部の新聞の報道も政府寄りになっている、と指摘されています。

 

かつて安倍元首相はプーチン大統領に「ウラジーミル。君と僕は同じ未来を見ている」と言いましたが、「日本人のアイデンティティを取り戻す」と言う安倍元首相の言葉に、プーチン大統領の〈失われたロシアの栄光を取り戻そう〉とする歪んだ自尊心に通じる危うさを感じます。

 

本作を見た夜、前に録画してあったマイケル・サンデル教授の討論番組を見直したら、「東日本大震災のとき、略奪や買い占めに走らず、救援物資を譲り合う被災者の姿に、同じ人間として共感と誇りを覚えた」とアメリカ人女性が言っていました。

歴史的事実を知らされず薄っぺらな誇りに酔うより、過ちを反省し共生を志向する真摯な姿を見せるべきでは?

 

真に正しい歴史教育を受けないと、子供たちは、将来世界の中で恥をかくことになります。自らの歴史を正しく認識していない国は、決して尊敬されません。このドキュメンタリー映画の制作者は、激しく怒っています

「日本の歴史教育を歪めることは、絶対に許せない」この怒りに、私は賛意を表明します

―久米 宏(フリーアナウンサー)

 

本作は、そもそも2017年にギャラクシー賞テレビ部門大賞、「地方の時代」映像祭・優秀賞を受賞した番組の映画化。

劇場公開されて1ケ月になりますが、引き続き多くの観客と反響を集めているようで、喜ばしいことです。

 

ウクライナ侵攻の陰で、日本国内で起きている教育やメディアに対する政治的侵攻。

食い止めるのは私たちの務めであり、無責任な嫌がらせに屈しないよう、映画を見て考えましょう。

 

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