訃報:アンブロシオ・フォルネット | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

少し前のことになりますが、今月5日、革命後のキューバ文化(文学と映画)に大きな貢献をした知識人、アンブロシオ・フォルネット氏が亡くなりました。享年89歳。

謹んでお悔やみ申し上げます。

 

  

アンブロシオ・フォルネット氏のことは、ハバナ映画祭のイベントで何度か見かけたことがあります。

が、一番初めは2004年、エドムンド・デスノエスと出会った年でした。

デスノエスから〈本人が出席するシンポジウム〉のことを教えてもらい、当日会場に行くと(まだ開始前でした)熱心に話しこんでいた相手がフォルネット。

挨拶しに近づくと、「彼女は映画『低開発の記憶』を研究しているんだよ」とデスノエスがフォルネットに言ったので、私は慌ててしまったのですが、フォルネットが優しく微笑みかけてくれたことが忘れられません。

(余談:後日『低開発の記憶』のワンシーンにフォルネットが映っていることを知る)

 

さて、このとき私は偶然にも2人の親し気な様子を目にしたわけですが、今回の訃報を機にフォルネの画像をYoutubeで探して見ていたら、デスノエスの姿が頻繁に登場!

 

     

  

始まってすぐ(33秒)の写真

タイムコード26:36や28:50あたりでも一緒の写真が。

 

 

①   60年代の文学活動 (上のビデオの発言から)

革命後すぐに携わった出版局で、ホメロスから19世紀までの外国の作家を詳細に紹介した(因みにキューバ人作家についてはカサ・デ・ラス・アメリカスが担当)。

1964年からはアレッホ・カルペンティエル率いる出版局でデスノエスと共に、20世紀の作家、とりわけ前衛作家(ジョイス、カフカ、プルースト)を紹介し、キューバ人読者が彼らの作品を読解できるよう尽力した。

つまり(革命がキューバ人を現代世界に参入させたように)キューバ人読者を現代文学に参入させたのだ。

《新しい芸術・文学は新しい観客・読者を生む》。それこそが フォルネにとって革命の文化が目指したこと

 

②  続き(下)のビデオ:灰色の5年間について

1971年から‘76年の文化が教条主義的になった時代を「灰色の5年間(キンケニオ・グリス)」と名付けたのはフォルネット。

     

 

 第一回教育文化会議(1971年)

 文学に規範が課され、社会主義リアリズムという凡庸(分かり易さ)が文化の停滞を生む。

 60年代のダイナミズムが失われる。

 

 1971年、教育文化会議でフォルネが関わっていた演劇が攻撃され、職を辞す。

 「EL LIBRO EN CUBA」の執筆に専念する一方、教育省で教育映画(ドキュメンタリー)を製作

 

エンリケ・ピネーダから脚本の執筆を依頼されたのがきっかけで、長編フィクションの脚本の仕事へ。

『テレサの肖像』の脚本に〈街で収集した庶民の言葉〉を取り入れ、そのリアリティにより映画は大きな反響を呼ぶ。 

タイムコード25:13 著書「Trampa del oficio」…トマス・グティエレス・アレア作品の重要性

 

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アンブロシオ・フォルネ Ambrosio Fornet

1932年~2022年4月5日

作家・脚本家・批評家

1957年、バヤモの銀行勤めを辞め、ニューヨーク大学(外国人コース?)で北米文学を学ぶ

1958~59年 マドリッド大学でイスパニア文化コース履修

1958年、短編集“A un paso del diluvio”を出版(バルセロナの出版局)

1961年 教育省で編集者として働く。

1962年 国立出版局設立 アレッホ・カルペンティエル局長の下で、エドムンド・デスノエスと外国人作家の作品(ラテンアメリカを除く)を担当。 

 注:ラテンアメリカ作家はカサ・デ・ラス・アメリカスが担当した。

 以後、約10年、各出版局で編集者として活動するほか、評論活動も行う。

1963年 初の評論集「En tres y dos」をEdiciones R(レボルシオン紙の出版社)から出版。

1967年 「En blanco y negro」で、文学評論家として注目される。

1971年 3年がかりで執筆した「 El libro en Cuba: siglos XVIII y XIX 」完成

           (だが出版までに20年以上を要する)

1971年~ 教育省にて文化ドキュメンタリーの脚本と監督 

Cecilia Valdés (1972), La poesía de Nicolás Guillén (1972) y !Viva Cuba Libre! (1976).

 

ICAICにて長編フィクションの脚本を担当 1979年~

Aquella larga noche (1979) エンリケ・ピネーダ監督 

Habanera (1984)   パストール・ベガ監督 

Mambí (1997) テオドロ&サンティアゴ・リオス監督

 

著書多数

映画関係:

“Cine, literatura y sociedad” 1982年 新ラテンアメリカ映画について 

“Alea, una retrospectiva crítica”  1987年 アレア作品に関する考察

→再版:Las trampas del oficio. Apuntes sobre cine y sociedad(2007)