映画公開から50年を経て:デスノエス・インタビュービデオ | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

去る19日は、キューバ映画の最高傑作『低開発の記憶』が、50年前にハバナで封切られた記念すべき日でした。
アレア監督は「1日も早く、この映画が古びて欲しい」と言いましたが、本作にハマって、今や「人生の友」と思っている私は、デスノエス(原作者)とお祝いしたいと思い、久しぶりにメールを送りました。
予想通り返信はありませんが、4日後、ウェブ誌Oncubaにデスノエスのインタビュー記事がビデオ付きで掲載!!

https://oncubamagazine.com/cultura/de-juan-perez-a-edmundo-desnoes/

心身ともに健在な様子を目にして、本当に嬉しく思いました。

 

ただ、正直言って、記事を一読した時は「何も目新しいことがない」と物足りなかったし、ひとつ目のビデオも映像的には目新しいものの、発言はこれまでの繰り返し。それで、続きのビデオを見るのを後回しにしていました。

 

ところが昨晩、パート2以降のビデオを見たら、記事では省かれている発言も多く、面白い!
それで、とりあえず、今日はパート1と2(こちらがメイン)を紹介します。

 

ビデオ・インタビュー:エドムンド・デスノエス


1部 https://www.youtube.com/watch?v=rTAmMDhMMlw
ぺレスからデスノエスへ: 正式には父方の姓「ペレス」だが、レサマ・リマ主宰の文芸誌「オリヘネス」に作品を載せる際、「デスノエス」(母方の姓)を名乗るよう言われる。

 

母とは英語、父とはスペイン語
如何にコントラストを受け入れたか?

 

小さいときは周囲に同化したくて、母に「英語で話しかけないで」と言った。
アメリカ人の子供であることを恥ずかしく思ったが、成長してからは普通になった。私はキューバと米国、両方の文化を行き来してきた。

キューバに残っているキューバ人と、亡命キューバ人との関係はもっと近いはずだ。樹木のように、根っこをキューバに持ちつつ、枝葉たる我々は、その時々の悪天候や雨に耐えるのだ。

 

2部 キューバの文化において60年代とは何だったか?
 

 

発言の概要:
世界の関心を集めた、実に濃密な時代だった。
私の小説(低開発の記憶)が成功したのは、主人公の観点を通してキューバ革命の最初のプロセスを提示したからだと思う。
キューバにボーヴォワールやサルトル、米国の作家が来て、我々は自分たちを重要な存在だと感じた(笑)。
映画『低開発の記憶』の成功には3つの要素があると思う。革命、ヌーヴェル・ヴァーグ、セルヒオを演じたセルヒオ・コリエリ(デスノエスいわく“貧民のマストロヤンニ”)だ。
もし私が『低開発の記憶』をニカラグア、グァテマラ、コロンビア、パラグアイなどで書いたら成功しなかっただろう。つまり、歴史的背景に負うところが大きい。

 

《シンポジウムのシーン/テーマ:文学と低開発(後進性)》  

 *壇上で葉巻を吸う男は、50年前のデスノエス本人。
 セルヒオの台詞:自分を一角(ひとかど)の人物と思いこんでるコイツは、いったい壇上で何をしている? 
            エディだったお前を知る者と、エドムンド・デスノエスとしてお前を見る者

 

あなたにとって社会における作家の位置づけは?


本当に感じていることを伝えるために曖昧さを創造すること。
オルテガは「私は私とその環境である」と言った。自分のアイデンティティも大事だが、自分を取り巻く歴史的環境も大事だ。最も重要な時代に居合わせたキューバの作家にとっては、環境(状況)だった。

社会において、作家は社会の良心であるべきだ。

第一回キューバ共産党大会で、党が文化の支配権を握ったとき、私は危機に陥った。私は革命を信じている限り、何をしても良いと思っていた。だがこの党大会を境に、文化の指揮権が党の手に渡った。
私と党の間に様々なトラブルが生じだ。雑誌「Cuba Internacional」に私の記事が掲載されると、なぜチェをアメリカのヒーロー「スーパーマン」と比較したのかと問い詰められた。私はどこの国も固有のヒーローがいると答えた。チェとスーパーマンを比較している、というのが共産党の論法(道理の説き方)だ。
実際、私は「スーパーマン」の方がその可能性においてチェに優ると思う(笑)。チェよりも伝説として長生きするだろう。

 

Marysolより
 「スーパーマン」のエピソードは、デスノエスの著書「Memorias del desarrollo(仮:先進社会の手記)」(未翻訳)にも書かれているし、映画化された『セルヒオの手記』にも出てくる実話です。著書では、「“スーパーマン”はフィクションだが、チェは実在の人物だ」と後者の優位性を主張していたはず。

 ただ、思えば『低開発の記憶』撮影時から、デスノエスもアレア(監督)もチェを全面的に肯定していたわけではなく、批判していた部分もあります。
その一例が、チェの言葉をもじったセルヒオの台詞:https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10241713548.html

チェの崇拝者にとっては、受け入れがたいかもしれませんが、「何事も絶対視してはならない」というのがデスノエスの持論。
そして大事なことは、「私はそうは思わない」と異論を唱え、活発に議論ができることで、キューバでは70年代に入ると、それが出来なくなったこと。(自由と進歩を志向した革命は裏切られた!?)

 

そんな時代が来る直前に、『低開発の記憶』は公開されました。

1968年8月19日。 ソ連によるチェコ侵攻事件の前日。
幸か不幸か、映画に“歴史的意味”が加わってしまった、と思えてなりません。

希望と失望の境目という…