訃報:ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督(ブラジル) | MARYSOL のキューバ映画修行

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去る22日、ブラジル映画の重鎮、ネルソン・ペレイ・ドス・サントス監督(享年89才)が亡くなりました。享年89歳。

慎んでお悔やみ申し上げます。

     

 

1950年代にイタリアのネオ・レアリズモの影響を受け、ラテンアメリカに生まれた「新しい映画」。

スペイン語圏では“ヌエボ・シネ”と言いますが、ポルトガル語圏のブラジルでは“シネマ・ノーヴォ”と呼ばれました。

その“シネマ・ノーヴォ”の先駆者、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス(以下、N.P.)監督の訃報に接し、拙ブログでもお伝えしようと、まず過去の拙ブログ記事を見返してみました。 

  1. 新ラテンアメリカ映画について

    https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10540910386.html

     

  2. ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督『主人の館と奴隷小屋』について

    https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10547536527.html

N.P.監督の作品は個人的に興味があるし、シネマ・ノーヴォについてももっと知りたいのですが、なかなか余裕がありません。 

が、この機会に「新ラテンアメリカ映画祭」のサイトに掲載された訃報記事を元に、ブラジルのシネクラブ運動とN.P.監督の『リオ40度』との関係を記しておきます。というのも、わが師マリオ・ピエドラ教授によると、ラテンアメリカにおけるシネクラブの存在は無視できないようだから。

 

写真と参照した記事:

http://habanafilmfestival.com/dos-santos-del-cinema-novo-al-mundo/

http://www.athenee.net/culturalcenter/special/special/tochigi_pds.html

プログラム:ブラジル映画祭2000 

 

ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス

1928年10月22日サンパウロ州北部で生まれる。

サンパウロ法科大学で学び、49年にパリに留学し、シネマテークに通い映画術を学ぶ。

翌年帰国し、短編ドキュメンタリーを1本自主製作した後、助監督として映画産業で働き始める。

1952年、Alex Vianyと共に第一回サンパウロ・ブラジル映画会議、第一回全国ブラジル映画会議を主催。ブラジルの現実に背を向けた産業主義やポピュリズムに対抗する映画を模索・討議する。

そして同じ年、リオで(垂直的な地形に水平に広がる)貧民窟ファベーラと出会い、「ここに私のネオレアリズムが書かれている」と直観。3年後に『リオ40度』を完成させる。芸術性と同時代性と社会批判を兼ね備えた、新しいブラジル映画の誕生だった

 

後年、監督は「この映画には日増しに強まる都市の暴力性が刻まれている。農業および都市改革をしない限り、暴力は悪化する一方だ。しかも少数の富裕層には社会関与や人間的意識が微塵もなく、私利私欲に走るのみ。ブラジルは奴隷支持者となりつつある。その一方で、陽気で美しいリオにたちまち魅了された」と述懐している。

 

ところが、「共産主義のプロパガンダ映画」「反政府的」と軍部の検閲で見なされた本作は公開禁止となる。

 

*シネ・クラブ運動(1955~61) 

運動の中心を担ったのは、メトロポリタン学生連盟の映画を専攻する学生グループとJornal do Brasil紙の日曜版。

彼らは〈真のブラジル映画を作りたい〉という熱烈な願望を抱き、その実現に向け論議を重ねていた。

運動はサンパウロ、リオ、バイーアで展開し、その過程で連帯感が育まれ、シネマ・ノーヴォへの道が切り開かれていく。

『リオ40度』とその監督N.P.は、シネクラブでの上映会を通し、この運動を導いた。

 

Marysolより

50年代にラ米各国で同時発生的に誕生した“新ラテンアメリカ映画”は、その後キューバを中心に結束し、80年代後半に「新ラテンアメリカ財団」の設立や「国際テレビ映画学校」という形で結実します。

https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-11834734069.html

https://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12233355510.html

 

 フィデル・カストロとネルソン・ペレイラ・ドス・サントス

 

とはいえ、21世紀の今、“新ラテンアメリカ映画”はすでにその役割を終え、グローバル化、デジタル化のなかで新たなステージに突入しています。

先人たちの功績を忘れず、新たな動きを応援したいと思います。

 

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