『エル・メガノ』 (1955年) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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先日フリオ・ガルシア・エスピノサ氏の紹介記事を書きながら、もう少し掘り下げたいと思うところがいくつかありました。
きょうは、そのひとつ『エル・メガノ』について書きます。

     エル・メガノ1
『エル・メガノ』(1955年)ドキュメンタリー/30分/モノクロ
制作メンバー:フリオ・ガルシア・エスピノサ(脚本・監督)
         トマス・グティエレス・アレア(監督)
         アルフレード・ゲバラ、ホセ・マシップ他
撮影:ホルヘ・アイドゥ
音楽:ファン・ブランコ
* 音入れ指導・協力:マヌエル・バルバチャオ・ポンセ(メキシコ)


イタリアで映画制作を学んで帰国した、エスピノサとアレア(敬称略)。
帰国後、二人はネオレアリズモの手法を用いて映画を作ることを決意。
商業映画を拒否し、キューバの現実と向き合った、独自の映画作りを目指した彼らは、ネオレアリズモこそ最適と信じていた。
この映画作りには、アルフレード・ゲバラやホセ・マシップなど、後のキューバ映画を牽引する人物が加わる。


1955年の一年間、一行は週末ごとに湿地帯ラ・シエナガ・デ・サパタの寒村へ出かけて行き、そこで木炭を作って生計を立てている貧しい人々の姿をカメラに収める。
ちなみに「メガノ」とは「メダノ(砂州)」のことで、村人の訛りをそのままタイトルにした。


おびただしい蚊の大群(“蚊の城壁”!)と格闘し、汗と喜びにまみれた一年間を通じて、映画とは何か、キューバとはどういう国か、自分たちは何者かを発見したエスピノサは、「ドキュメンタリーのなかの“舟遊び”のシーンは、周囲の悲惨に気づかない人々の姿」と説明している。

さて、汗と苦労の結晶ともいうべきドキュメンタリー『エル・メガノ』は、その年の末、たった二回上映しただけで、軍の情報局に没収されてしまう。
映画が「共産主義的だから」「貧困を撮ったから」というのが、没収理由だった。


当時のエスピノサ青年リコ大佐とのやりとり
大佐:君かね?この映画を撮ったのは?
エスピノサ:はい、そうです
大佐:この映画は“糞(ミエルダ)”だね
エスピノサ:(必死で怒りをこらえ)大佐はイタリアのネオレアリズモをご存知でしょうか?世界的な映画の潮流でして、低予算で映画を作れるので、わが国の今後の映画制作にはピッタリの・・・
大佐:(馬鹿にしたような目で)う~む。どうやら君は、作るものも“糞”だが、話すことも“糞だらけ(ムーチャ・ミエルダ)”のようだな


後に「フィルム没収の指示は、キューバ政府ではなく、アメリカ大使館からの指令だった」と聞かされたエスピノサ青年は、「“真の独立”なしに自分たちの映画は作れない」と悟り、革命を支持する。


1959年、革命が成就し、フィルムを取り戻したエスピノサらは、カバーニャ要塞にいたチェ・ゲバラに『エル・メガノ』を見せた。
チェは冗談まじりに(半分は本気で)こう言った:

「この映画にバティスタは怯えたのかい?」


当時を回想し、エスピノサは次のように分析している:
「確かに『エル・メガノ』は、貧弱でたわいもない作品だ。しかし、それは我々が“革命的芸術家”であることを明確に証明していた」
「キューバ映画史における『エル・メガノ』の意味は、「持たざる者の側の“真実”を語る権利」を提示したこと。当時の政府はそのことに怖れを覚えた」
「同情ではなく、団結を訴える真実。この小さな真実は、時を経て色褪せたとはいえ、今もその魅力と効力は失われていない」
「自分たちを取り巻く現実と取り組む『エル・メガノ』の姿勢。それは、現在のラテンアメリカ映画に引き継がれた課題である」

        フリオ・G・エスピノサ

Marysolより

上の写真は、昨年の11月30日『エル・メガノ』制作50周年記念シンポジウムの光景です。
本来なら室内で行われるはずだったのに、キューバ名物“停電”の為、急遽2階の屋外通路で開催されました。

左端がホセ・マシップ、その隣がフリオ・ガルシア・エスピノサ

シンポジウムの後、記念のメダルを授与されたエスピノサ氏の「亡きアレア監督と分かち合いたい」という言葉が胸に沁みました。


ところで、資料を読んでいて「なぜアメリカ大使館が、こんな小品にそれほど神経質になったのか」不思議に感じましたが、ふと昨年観た映画『グットナイト&グットラック』を思い出したら、納得できる気がしました。

『グットナイト&グッドラック』は、1950年代全米を恐怖に陥れたヒステリックな「赤狩り」と対峙した、実在のニュースキャスターの報道姿勢・良心を描いています。

この映画も、『エル・メガノ』のエピソードも、「理性の欠如(実体の伴わない言葉に金縛りになってしまう)」がもたらす過ちを今も私達に教えてくれます。