クレマタ監督、帰国せずマイアミに留まる | MARYSOL のキューバ映画修行

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当ブログでも何度か紹介したことのあるファン・カルロス・クレマタ監督(54歳)。
今年4月にペンクラブの招待で米国に行った後、同国に滞在していたが、今月初め、キューバに戻らない決意を表明した。

当初クレマタは公表しないつもりだったが、どこからか噂が漏れ、ICAICから給料の支払いが打ち切られたという。

 

事の発端は昨年の7月、自身の劇団が上演した作品“El rey se muere(仮:王が死ぬ)”の内容がフィデルを暗示しているとして、文化官僚の不興を買ったことにある。
その結果、公演は中断され、劇団は解散。クレマタは映画も演劇の活動もできなくなったうえ、ICAICにあったインターネットのアカウントも削除された。

 

  クレマタ監督の発言

「これまで何度か帰国しないという選択はあったが、ハバナにいる娘(14歳)のために戻っていた」
「母が私の決意を知ったのは、旅立つ数日前。黙って辛い思いに耐えていた。ほかの多くのキューバ人の母親と同じように」

 

「私は自分の国で出来る限りのことをすべきだと考えていた。寛容への道、互いに敬意を払い他者を理解するための道、そして表現の自由への道を切り開くために。だが、ドアが閉じられてしまった以上、窓から飛び出すしかない」
「常に変化を支持してきた身としては、筋を通すためにも自分から始めねばならない」

 

「これまで映画・舞台でキャリアを積んできたが、突然、不条理で旧弊なやり方で無にされた。革命のスローガンが『祖国か死か』」なら、別の場所で“ビダ(生・人生)”を選ぶことこそ最も理にかなっている。たとえゼロからの出発になろうと」

 

「私の映画がキューバで見られるかどうか知らないが、公の場で言及されていないことは明らかだ」

「官僚や政府の指導者にとって、私は反革命家になった」

 

「今はマイアミには来たばかりで、まず生き延びるために仕事を見つけなければならない。」

 

「亡命者だと感じているかって?我々はみな亡命者だ。世界は亡命者で満ちている。悲しいのは、外国人と感じること。憎しみ、外国人嫌い、激しい怒りの呼称だから。祖国は自分と共にある。私が属するのは、自分が役に立っていると感じられるところ。幸せや達成感、愛されていると感じられるところだ」

 

「何があろうと、私はキューバの文化を創造し続けていく」。

「実現させたい計画がある。『亡命の手記(記憶)』と題するネットプロジェクトや、ビルヒリオ・ピニェーラが書いた唯一のミュージカル”El encarne”だ」

 

クレマタは、キューバを出る前に秘かに撮影した長編と短編が各1本あり、ポストプロダクションのための資金を探している。内容は、〈キューバにおける新しい人間の崩壊〉について。

 

拙ブログ クレマタ監督関連記事

監督紹介:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10008102564.html
クレマタ監督作品

「ナダ」 http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10009298280.html
「ビバ・キューバ」 http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10007997503.html
「(仮)火葬場」(2013年) http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-12052603623.html