ネルーダへの公開状事件(1966年) | MARYSOL のキューバ映画修行

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パブロ・ネルーダへの公開状(1966年7月25日付)事件

チリを代表する詩人パブロ・ネルーダはキューバ革命の支持者でしたが、彼が革命から距離を置くようになる事件がありました。
それが、キューバの知識人たちが連名で発表した「ネルーダへの公開状」。
http://www.neruda.uchile.cl/critica/cartaabierta.html
デスノエスは、この手紙の中心的執筆者のひとりでした。

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1966年7月、パブロ・ネルーダは米国の作家アーサー・ミラーの招待で、NYで開催された国際ペンクラブ会議に出席した。
これに対し、キューバの新聞「グランマ」(31日付)は「公開状」を掲載。文末には、アレッホ・カルペンティエルやニコラス・ギジェンを始めとするキューバの作家・芸術家全員と思われるほど多くの錚々たる名が並んでいた。
手紙は、米帝国主義の誘いに応じたとしてネルーダを非難していた。
この公開状はネルーダを深く傷つけ「晩年における最大の傷」になったという。なにしろ彼は1960年に「武勲の歌(カンシオン・デ・ヘスタ)」というキューバ革命へのオマージュの詩を書いていたほど革命を支持していたからだ。
その一方でネルーダは、この公開状の真意は、キューバ共産党によるチリ共産党への攻撃であると感づいていたらしい。事実はその通りだった。以下は、デスノエスの証言。

デスノエスの発言:
「ネルーダへの公開状」の執筆者は4人。私とR.F.レタマール、リサンドロ・オテロ、アンブロシオ・フォルネだ。手紙でネルーダを告発したのは、彼がチリの大統領の朝食の招きを受諾したからだった(注1)。我々は党に呼ばれ、告発状を書くよう依頼された。なぜなら折しもチェがラテンアメリカ革命を始めようとしていた時だったからだ。チリ共産党員のネルーダがブルジョア政治家と連携するなんて理解できなかったのだ。当時の我々はロマンチックな熱情の最中にあったからこの要請を受け入れた。ネルーダは激怒し、二度とキューバに来なかった。キューバ革命を讃えた自作の詩「武勲の歌(カンシオン・デ・ヘスタ)」を詩集に入れなかった。

注1:デスノエスはチリの大統領と言っているが、ペン大会出席後の帰途に寄った、ペルーのベラウンデ大統領かもしれない。

*(ウェブで見た)その他の情報
・ネルーダは事件から2年後、キューバから招待されるが行かなかったし、署名者を許すことはなかった。
・数年後、ホルヘ・エドワーズが「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として在キューバ・チリ大使の座を追われたとき、ネルーダはパリのチリ大使館にいたが、エドワーズを第一秘書として迎え入れた。
・レタマールは1998年に出版された著書「Recuerdo a」で同事件の根底には、武装革命を支持する左派と、慎重を説くソ連派との対立があったこと;ペンクラブの件は口実で、詩人としてのネルーダの名声と政治的地位からして論争に持ち込めるという目論みがあったことを明かしている。
・ネルーダと共にメキシコの作家、カルロス・フェンテスもペン・クラブ会議に出席したことを非難された。フェンテスは後にこの事件について「キューバはラテンアメリカの作家に対し、どこに行くのは良くてどこはダメか、何を言い何を書くべきか命じる権利を不当に要求した」と書いた。

Marysolから一言
この事件のことは10年くらい前から知っていましたが、なかなか紹介する機会がなかったうえ、当時は事件の背景がよく理解できていませんでした。
今回は、来月初めに札幌でデスノエス原作(キューバ時代の小説と亡命後の小説)の映画が併映されるので、これまでの彼の発言を全て読み返してみたところ、全体像が見えてきたので紹介した次第です。
このエピソードが示していることは、60年代半ばのデスノエスは(自作の懐疑的な主人公と違い)熱烈な革命支持者だったこと。
「体制の支持者だったから『低開発の記憶』という小説の出版も可能だった」と言ってたっけ。
さらに、パディージャ事件の際に「パディージャ(党?)が救った4人」としてデスノエスは、自分とレタマールとフォルネとレサマの名を挙げています。
このあたりに彼が亡命した作家たち(アレナスやG.C.インファンテ)から攻撃される理由があるのでしょう。

La canción de gesta


Cuba aparece:

Pero cuando torturas y tinieblas
parecen apagar el aire libre
y no se ve la espuma de las olas
sino la sangre entre los arrecifes,
surge la mano de Fidel y en ella
Cuba, la rosa limpia del Caribe.
Y así demuestra con su luz la Historia
que el hombre modifica lo que existe
y si lleva al combate la pureza
se abre en su honor la primavera insigne:
atrás queda la noche del tirano
su crueldad y sus ojos insensibles,
el oro arrebatado por sus uñas,
sus mercenarios, sus jueces caníbales,
sus altos monumentos sostenidos
por el tormento, el deshonor y el crimen:
todo cae en el polvo de los muertos
cuando el pueblo establece sus violines
y mirando de frente corta y canta,
corta el odio de sombras y mastines,
canta y levanta estrellas con su canto
y corta las tinieblas con fusiles.
Y así surgió Fidel cortando sombras
para que amanecieran los jazmines.

Pablo Neruda.