ゴヤ展を見て映画『メモリアス』を想う
先週、ゴヤ展
を見てきました。
ゴヤの絵は、スペイン留学時代から何度も見ているのに、何度見ても飽きない…というか、決して快い絵ではないと分かっているのに、つい足を運んでしまいます。
そう、あの、炎の明るさに引き寄せられる蛾のように。
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10778199241.html
さて今回のゴヤ展、話題の中心は「着衣のマハ」ですが、私のお目当ては「ロス・カプリチョス」や「ロス・ディスパラーテス」のような、社会や人間の暗部を暴いて見せる作品群―。
会場で、そこに描き込まれている“後進性”―因習と無知、欺瞞と虚栄のはびこる200年前のスペイン―と対峙しているうち、ふと、こんな言葉が脳裏によみがえりました。
《彼らの頭の中の闇はあまりにも深い》
映画『低開発の記憶(以下、メモリアス)』に出てくる(主人公セルヒオの)台詞です。
その瞬間、合点がいきました。『メモリアス』は、“低開発”の素描集(スケッチ)なのだ、ということに。
セルヒオはゴヤ同様、冷徹な観察者なのだと。
ゴヤは知識人たちとの交友を通じて啓蒙主義の思想に触れたそうです。
〈理性〉という光を得たゴヤは、人間存在の闇に気づきます。
彼は闇に眼を凝らし、執拗にその正体を暴き、絵で告発しました。
《理性の眠りは怪物を生む》
理性を働かせていないと、人間は“邪悪”なものに襲われる、と。
『メモリアス』も同じです。
革命後もそこかしこに散見される“低開発”の残滓を告発し、問いかけ、思考を促します。
〈問うこと〉こそが、人間を“妄信”の闇から救い、理性を育てるからです。
〈問い〉は〈光〉の証。
緊張と不快と、ときにリスクを伴うけれど―。