キューバ映画におけるサラ・ゴメスの存在 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

我々の映画におけるサラ・ゴメスの意味 

(故トマス・グティエレス・アレア監督の言葉)
MARYSOL のキューバ映画修行-サラ・ゴメスとティトン
我々の映画においてサラ・ゴメスの存在が意味することを強調しておきたい。すでに亡くなって15年になるが、いまだに彼女の不在を埋められる者は1人もいない。もしサラが生きていたら、どうなっていただろう?映画に限らず、人生に対しても、彼女ならどうしただろう?そんなことを時々考える。サラには素晴らしい自発性が備わっていた。

私はサラがどういう経緯で映画界に入ったのか知らない。映画とは、何かを明確に主張するには非常に複雑なテクニックを要するメディアだ。もしできることなら、サラはカメラもマイクも使わずに映画を撮りたかったことだろう。そう、直接に。これこそ彼女の力であり、彼女の独自性であるが、残念なことに未だに十分に評価されていない。一方、歳月は彼女の作品を成長させた。振り返れば、すべてが成し遂げられている。

長編『ある方法で』(集大成)に限らず、それに先立つドキュメンタリー作品においても、常にオリジナリティとパワーと情熱が込められている。


★サラ・ゴメスの貴重な作品『ある方法で』は「キューバ映画祭in サッポロ」で上映中。
27日(水)17:30~ 29日(金)13:20~


参考記事
映画紹介:
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10052519912.html
マリオ先生のコメント:
http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10052625200.html