メモリアスⅠからメモリアスⅡへ | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

Facebookを通して、デスノエスの最新のインタビューを発見!
http://manguitoreview.blogspot.com/2010/01/entrevista-edmundo-desnoes-el-escritor.html
聞き手は、Yanira Anguloさん。
彼女の承諾を得て、同インタビュー内容をMarysolが独断的に選択・意訳して

紹介していきます。
題して「メモリアスⅠからメモリアスⅡへ」

メモリアスⅠ」=「低開発の記憶(Memorias del subdesarrollo後進性の手記)」
メモリアスⅡ」=「Memorias del desarrollo先進性の手記」(未訳)
両作品とも原作はエドムンド・デスノエス(1979年に亡命。現在N.Y在住)

『メモリアスⅠ』は故トマス・グティエレス・アレア監督、『メモリアスⅡ』はミゲル・コユーラ監督により映画化。

両作品について書いた拙記事は、ブログのテーマ一覧「メモリアス」にまとめてあります。


メモリアスⅠからメモリアスⅡへ(1)
インタビュアーはヤニーラさん(以下Y)、答える人はE.デスノエス(以下D)


Y:自分の意思で、或いは、止むを得ず祖国を去った多くのキューバ人にとり、国民の苦しみに背を向けて、革命の重要性を(アメリカ)大陸レベルで語る現象には絶望を感じます。このイメージのバランスを取るために、亡命作家には何ができるでしょうか?
貴方の最新作「メモリアスⅡ(先進性の手記)」は、その解釈となり得るでしょうか?


MARYSOL のキューバ映画修行-デスノエス D:キューバ革命の歴史的意義とキューバにルーツをもつ多くの男女の苦悩。これこそ、「メモリアスⅠ(低開発の記憶)」の語り手が、顕わにしていることだ。

ハバナの街を歩きながら、セルヒオはこの街がやがて廃墟となることを予感している。

また、「アメリカ大陸に革命を広げるという巨大な夢を担うには、我々の島は余りにも小さい」というパブロの言葉は、痛いところをついている。


革命― 私はその傷を優しくなでる。痛みを感じつつも、その強烈な体験を私は享受している。己の人生の中核をなしたこの体験を否定することなど、私にはできない。こんなことを言うと、息苦しいほどの抱擁に苦しむキューバの人たちの顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれない。我々は、今や悪夢と化した夢を生きたがゆえに、あまりにも高い代償を払うことになったのだろうか?


「メモリアスⅡ」は、フィデル・カストロに対して容赦しない。同小説の中でフィデルは、銀製の犬の頭の付いた杖に姿を変え、ニューヨークの街を歩き回る私を支える。そして、私は彼と空想上の会話を交わす。私は彼を非難する一方で、彼との経験に支えられている。キューバの現代史を極めて厳しく分析するには、フィデルとラウルとチェの批判から始めなければならない。しかしキューバではこの3人は触れてはならない存在だ。メモリアスⅡは次のような告発で終わる。「革命の失敗は、若者に未来を提供しておいて、後にそれを否定したことにある。我々は革命を享受した。しかし現代の若者たちは革命の害を被っている。