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だそうです。
ここでは、中国の専門家が言う通り曹操の墓は本物であるという仮定のもと話をしていきます。
・・・正直、言葉を交わした事はおろか、どこの誰かも分からない人間をここまで憎めるものかと思った。
盗掘した犯人を。
以下抜粋。
「曹操の墳墓」は数回にわたり盗掘されている。盗掘用のトンネルが7つあることから、最低でも7回は侵入されたものと推定される。中には長さ30メートルにもわたるトンネルもあった。そのためほとんどの文化財は持ち出されている。
だが幸運にも盗掘を免れた貴重な宝物も発見された。埋蔵された曹操の口に含まされていたと見られる翡翠は直径2センチもの大きさ。値段をつけるならば1000万元(約1億3400万円)は下らない逸品だという。また曹操本人のものと見られる人骨も発見されている。ただし残されているのは頭頂部から後ろにかけての部位のみ。顔面は残酷にも切り取られている。
もともとどの程度の文化財が入っていたのかはわからない。
最初の発見の段階ではどこが薄葬なんだと苦笑せざるを得ない報告もありましたが、薄葬が本当なら、後の人が弄って後から入れた可能性もあり実際は大した数は無かったかもしれない。
そればかりは、現地の人でもなければ非常に残念ながら三国時代には生まれてもいなかったので、わからないです。
あとは平服のままで葬ってくれと曹操は言ったけど、冠とか最低限の装飾品についていた宝石の可能性もあるかもだし。
でも、財宝よりも大事なのは歴史に語られる「曹操」が実在した証、その本人の遺骨です。
私はこの記事で頭蓋骨が切り取られていた、という事を知ってとにかくショックで、数時間は言葉を纏められずにいました。
今でも、遣る瀬無い怒りと悲しみでいつものように冷静に語ることができません。
考えたくないですが、曹操に恨み・・・というか勝手な悪イメージを持った人物の仕業だとどうしても思ってしまいます。
直接関わりのあった「三国志の人物」が存命中の時期の事ではないと考えられるので。
うーんだめだ、暫く悩んでも言葉が出てこない・・・ごめんなさい。
とりあえず冒涜としか言えないよね、と。
荒らして、骨まで傷つけ尽くした輩がいるのなら、罵倒の限りを尽くしたいほどです。
・・・まぁ、曹操本人も若い頃に墓泥棒してるんだけどさ。
それもあって自分の墓こそは他人に見つからないようにしたかったらしい。
代わりに、「魏書 武帝記」から曹操の遺令(遺言)でも引いておきます。。
天下尚未安定、未得遵古也。
葬畢、皆除服。
其将兵屯戍者、皆不得離屯部。
有司各率乃職。
斂以時服、無蔵金玉珍宝。
「天下はまだ安定してないから、古いしきたりを遵守するな。
葬式が終わったら喪服を脱ぎなさい。
地方に駐屯する将兵は、誰も任地を離れてはいけない。
役所の者もそれぞれの仕事を続けなさい。
平服で葬り、金や財宝を一緒に埋めてはいけない。」
と言っています。
有名な言葉です。
死した後も、国が不安定になる事を案じ、的確な指示を出していた曹操。
自らの死後の尊厳よりも、国を想い続けた英雄。
あとは、呉から後に晋に使えた陸機(陸遜の孫)が曹操をたいそう敬愛していて、「弔魏武帝文」というのを著してます。
文選に収録されています。
長いので全文は引いて来れませんが、曹操の細かい遺言などが引用されていたり、陸機自身の亡き曹操に対する想いが込められていたりで、涙を誘います。
特に今、読んで胸の内が熱くなるのがここ・・・
持姫女而指季豹、以示四子曰、「以累汝」、因泣下。
傷哉。
曩以天下自任、今以愛子託人。
「(曹操は)幼い娘を抱いて末っ子の豹を指差し、四人の息子に言って曰く、「お前達にこの子らを頼む」と泣きました。
なんと傷ましいことでしょう。
かつては天下さえも担っていたのに、今や愛する我が子さえ人に託すことになるなんて。」
陸機は、時代が近い人とはいえリアルタイムで曹操と会ってはいません。(陸遜がギリギリ同時代なので)
そのためこの曹操の様子がどこから得た情報なのかは不明です。
でも当時は何らかの形で原文が残っていたのでしょう。
本当に、全くもってこの通りで、当時は迫り来る武装した兵士を自らの剣で薙ぎ倒していたのに、亡くなってしまっては墓を荒らす侵入者すら咎めることができないんですね・・・。
曹丕の言葉を借りると確かに骨に痛覚は無いですが、少なくとも死者を辱めるような行為は決してしてはいけないと思います。
見た方の感想をちらっと覗いていると、悪役だと思ってたけど見方が変わったという内容がとても多くて、魏ファンとしては嬉しい限りですっ。
私はリアルタイムは私用があったので、今週末にデータを頂く事になっています。
早く見たいなぁ~。
さすがに真偽をズバリ!というわけにはいかないだろうけれど、現在のメディアで曹操がどんな伝えられ方をしているのか、興味深々なのです。
ちょっと前までは諸悪の根源みたいに言われてましたからねぇ…。
「人形劇三国志」も一部見ているのですが、曹操臨終のシーンでうるっとした後にコメンテーターの会話にカチンときた覚えがあります。
確か、「こうなると悪役曹操も可哀想な気がする?」「えー、でも沢山の人を殺したし曹操のせいで(以下、曹操批判/すぐに見るのやめたので全貌はわかりません)」みたいな感じだった気が…。
最近ではだいぶ見直されてますけどね。
墓が発見された現地の人々の間では大人気らしいです。
これを機に中華街とかでも魏グッズ増えないかしら(笑)
三国志にヒーローもヒールもいなければ、勝者も敗者もない。
曹操の行いで正しかった点もあれば、劉備の行いで間違っていた点もある。
悪役の代名詞のようになっている董卓ですら、初めは誠実な忠臣だった。
乱世の矛盾に翻弄され、暴君にさせられた悲劇の人と取る事も可能です。
乱世の風は人を狂わせる。
少なからず誰もが狂わされ、逆に言えば現代から見たら全員悪ですよ。
勧善懲悪の物語にはできないんです。
あえて英雄か悪かを評価づけるのであれば、それは血を浴びた数ではなく血を浴びる意味にある。
ただ、一人一人が懸命に乱世を生きた。
それだけの物語であり、それこそが最大の魅力だと私は思うのです。
ところで、北村一輝さんかっこいいですよね。
ナビゲーターが更に私の楽しみを増幅させてたりして(笑)
ドラマティックな演出が評判の北方三国志。
もちろん小説なので創作の嵐ですが、各人物が、脚色により更に魅力的に表現されています。
創作も一つの解釈とし、叙事よりも叙情的な表現が好きな私としては、代表的な三国志小説の中で北方版が一番好みだったりします。
初めに全巻通して読んだ時は三国志にはまりたてで、とにかく流れを把握したくて図書館で借りて超高速で読んだ感じだったので、今改めて「北方版曹丕」に焦点を合わせてみたくなって。
とにかく、分かりやすい言い方をするならドS、ヤンデレ(笑)
最も愛されたいと願った相手(父曹操と妻甄氏)に、愛されないばかりか憎まれている事を察し、手を尽くしても裏目に出てしまう。
特に甄氏に関しては、「愛情表現の仕方」が分からない。
結果、体の関係ばかりになってしまい彼女の心はどんどん遠ざかっていきます。
どうする事も出来ない深すぎる愛情を、曹丕自身も憎悪と勘違いしてしまい、更には甄氏に暴行を加えたり当てつけのように側室を増やしたり。
不安定な精神状態から、曹植や司馬懿にもつらく当たるようになります。
司馬懿はそれを分かっていて、最期まで主君を見限らないのですが。
憎しみとも愛情ともつかぬものに散々悩まされた曹丕は甄氏を「勝者」として「解放」する事を決意。
袁家との戦で得た「戦利品」に心を求めた、自分の負けだと曹丕は言います。
この解放こそが、有名な死を賜るエピソードとリンクしているのです。
(郭氏のドロドロ昼ドラ展開は出てきません。)
痛めつけてしまうだけの自分から唯一逃げられる道が死だと言い、短剣を渡して部屋を出た曹丕の元に、一枚の書簡が届きます。
それは甄氏の最期のメッセージ。
「愛していた」と。
手遅れになってしまった後悔に苛まれ続けないために、曹丕はこの言葉を甄氏の「復讐」だと自分に言い聞かせます。
死んでまで夫を苦しめたいほど憎んでいた、そう思いたかったのです。
この時から、曹丕は完全に愛情を信じられなくなり、関係を持った女性達を無意識のうちに殺してしまうまでになります。
もちろん正史の記述にはこんな経緯はありません。
でも、生まれ育った環境に起因する愛されたい欲求、人に対する不信感を推測すると、全くの虚構とは思えないのです。
父には、完璧であれば愛されると思っていたように見えます。
実際はそれは後継という重荷を課せられる条件に過ぎなかった。
曹丕って、仕事は出来てもプライベートは不器用な人だった気がします。
やっぱり、その影には偉大すぎる父と弟(曹植ならびに亡き曹沖)へのコンプレックスも少なからずあって。
甄氏の事も、やはり愛していたがゆえに過敏になり、傷ついて、殺してしまったのでしょう。
讒言を簡単に信じ込んでしまうほど、愛に対する信用は脆い。
様々な詩文で曹丕の繊細かつ温かい面も見てきているからこそ、この疑心暗鬼の殻から救われて欲しかったと切に思います。
きっと唯一、素直にアウトプットできたものが詩賦であり、論文だった。
『典論』のうち残っている「自叙」「論文」の自由さからして、他の篇ももし見つかれば彼の評価は莫大に変わるんだろうなぁ。
数々の近しい人物の血を流した本当の理由も、見えてくるかも知れない。
まぁ結局何が言いたいかというと私は曹子桓様が好きだ、と(笑)
ちなみに公式の三国志イベントに関しては来週話を詰めてくる予定です。
近郊の方には是非いらしてほしいので、早く詳細を発表したいよう!
曹操の墓から宝剣がでたよー!と騒ぎちらしていたところ、仲間内で、剣って何だろうね、倚天剣かな!?と更にロマンが深まってきたので(笑)、曹操にまつわる宝剣について考えてみたいと思います☆
有名なものだとその倚天剣と、あと青釭剣というのがあります。(無双にも曹操の武器として出てきてたかも!)
ただ後者は戦で趙雲に奪われてしまったそうなので、多分曹操の墓には戻ってきていないかと。
そして、この二つについては演義の創作説もあるので尚更定かではないです。
でも、名前は違えども曹操が少なくとも宝剣を二つ持っていたという事は記述があるので間違いないでしょう。
『芸文類聚 六十 魏武帝令』の中に、「昔、百辟刀を五枚作り、まず先の一枚を曹丕に与え、其の他を我が諸子の中の武を好まず、文学を好む者に与える」とあります。
これだけ見ると息子達に全部あげたのかな?と思えますが、そこはちゃっかりしてる曹操のこと。
我らが曹子建様がこんな賦を書いています。
「建安中。家父魏王の命で宝刀を五枚造る。
三年にして就る、以て龍、虎、熊、鳥、雀を以て識しと為す。
太子、一を得、余および余の弟饒陽侯、各々一を得たり。
其の余の二枚は、家主、自ら之を杖とす」
(『寶刀賦』より)
つまり、曹丕が龍剣、曹植が虎剣、曹熊が熊剣、余りの鳥剣・雀剣は曹操が自分で貰った、ってコトです。
我が諸子とか言っといて正妻の子だけかよ!というツッコミは置いといて・・・。
だとしたら、今回出土された剣はこの鳥・雀剣のうちのどちらかだという可能性が高いのかも?
そもそも、曹操の墓が本物だという前提で考えていますが(笑)
まぁ、仮に違ったとしても満田先生が仰った通り大発見には変わりないわけで!
ただ今回の発見、出てきたのはこの剣のみで人骨はないんですよね。
曹昴の墓説もステキなのですが、ダミーの墓を複数築いたとの噂もある曹操のこと、隣のこの墓にはただ宝剣を保管してただけだったりして!?
話がちょっとずれちゃいますが、武器なのに武を好まず文学を好む者に与えるというのが面白いですね。
やっぱり、文化的な作品を尊重しただけはある。
曹彰とかに与えたら、せっかくの宝剣なのに戦場でぶん回してボロボロにしちゃいそうだもん(笑)
この『寶刀賦』を見ても、曹彰の死因考察の記事で仮定した、実は曹彰も文才があった場合、の話はナシっぽいですなぁ。
曹丕は剣術にも長けていたけど、その辺の分別はありそうだからいいのか(笑)
ちなみに、曹丕はこの時貰った剣の他にもう一つ「飛景(飛影)」という剣を持っていたそうです。
流星のような輝きをしていたそうな。
すごく王子様チックな絵が浮かんでしまう・・・(笑)
これだけは書いて寝たい。
携帯からだから概要だけ+脳みそ大火計につき文章おかしいかも…。
曹操陵墓の隣の墓からも宝剣がでてきたそうです。
曹昂の墓説や愛した女性の墓説があるらしい。
愛妃ってむしろ私じゃね?曹操様そろそろ呼んでるよ、私曹操様の墓入り娘になるよ、という脳みそ沸騰談義は置いといて…
女性の墓に剣を入れるのは不自然な気がする。
曹昂説、面白いと思うんですがどうでしょう。
曹操なら、本当に可愛がってた息子だし隣に置いちゃいそう。
慣習?くそくらえ!これがわしの子脩への報いじゃ!とか言いそう(笑)
可愛がってた息子というと曹沖が一番な気がするけど、彼の墓は別にありますよね。
曹丕が帝位についてから改めて墓参りに行ったという…。
単に可愛がっていただけではさすがに墓は別に作るけど、償いの意を込めて慣習を破る、というのならやっぱり曹操らしいかも知れない。
この時代に結婚詐欺まがいなモノに騙されて死にかけた挙げ句、息子が身代わりになって妻に「実家に帰らせていただきます」と離婚されたダメオヤジも珍しいよ…(好きだけどさ/苦笑)
曹昂の死は曹操最大の汚点。
相手があの賈文和だからなぁ。
とはいえ、曹昂、曹沖と愛息に次々と先立たれた曹操の痛みは計り知れない。
そして、そんな父を慰めに行ったら「わしは辛いが後継者争いの邪魔者が消えてお前は幸せだろう」と皮肉られた曹丕の心中は…。
確かに「曹沖が生きてたら自分の帝位はなかった。」と言ってるけど、このニュアンス微妙だけど私には単純に曹沖の才に言及してるだけのように取れる。
つまり、曹沖が帝になるならそれはそれでいいってこと。
無為自然の姿勢を好んだ曹丕が、後継者候補の死を敢えて喜ぶとは思えません。
…あれ、いつの間にか文帝様の話題に(笑)
あんまり語ると熱上がって体温計パリーンするので大人しく寝ます。
ほとんど明日の仕事終わってるから休みたいよう…。
この発見は明日こそ天から曹親子が迎えにくる予兆ではなかろうか(苦笑)
お題は、一番好きな三国志作品!
皆さんがどんな作品を中心に三国志に興味持ってるのか、単純に気になるので。
一言コメント欄もあるんで、お気軽にポチしてみてくださいねー!
アンケート内容は気紛れで変わるかもです。
最後の方にトンデモ三国志的なものを入れといて、鋼鉄を入れ忘れたことに気付きました。
さりげに全話DVD所持(戴きモノですが)&ミュージカルまで行ったのに(苦笑)
鋼鉄三国志は設定から史実ガン無視ですが音楽と声優のキャスティングが神なので好きでした。
私はというと、難しいところですが正史か無双かなぁ。
いや、その他で曹丕の詩(笑)
曹操と卞氏の次男で、つまり曹丕の弟で曹植の兄にあたる人です。
脳きn…武芸に特別優れていた彼ですが、その死因は謎そのもの。
病を患ったとか戦で負傷したとかの記述がないまま、若くしてぽっくり死んだ事になってます。
しかも一説によると曹丕が殺した事になってるのだから、私としてはほっておけない(笑)
その一説とは小説『世説新語』で、曹丕が曹彰の武を妬んで毒入り棗を食べさせて殺した、という話。
演義もだけど小説だとだいたい曹丕は性悪キャラに仕立て上げられているので、これはまぁ読者の期待に添った見事な性悪(笑)
小説と雖も作者の一つの「解釈」であり「論」であると私は見ています。
しかし曹丕の遺作から汲み取ると、そもそも曹丕が曹彰を妬む理由も見つからないし、何らかの理由で危険視して殺すというのも考えにくい。
確かに武では曹丕は曹彰には及ばなかった。
でも、文学・学問を至高とする曹丕には武で劣っている事は大した痛手には感じないはず。
唯一妬み要素として考えられるのは曹操が曹彰をその武ゆえに可愛がった事だけど、まぁ言ってしまえばそれだけじゃ私情の域を脱さないわけで、曹彰が後継ぎになる可能性は無かったから危険視に起因する殺害とは関係ないんですよねー。
仮に、曹彰は実は頭も良くて数々の名文を遺したけれど、全部散逸しちゃっただけなんです!という事実が発覚すれば話は別ですが…
三曹建安七子、建安文学に関する記述を漁っても漁っても曹彰の文才を讃えたような文言は見た事ないので恐らく可能性はゼロに近いでしょう。
所謂、突然死でしょうかねぇ。
本人も周りも気付かず先天的な疾患があったとか。
20人以上いる曹操の子の中で若くして病死した人多いし、もともとそんなに体が強くない家系だったような気も。
医学に詳しくないので、急死に至る事例にどんなものがあるのかは不明ですが。
他の子ども達の死因と医学的考察を結びつけられれば、もしかしたら見えてくるかも知れない。
仲良しのメンツで、中華街でのコスプレイベントに三國無双で参加してきました。
炎天下の下、衣装を着て練り歩くのは大変でしたね~。
私はまだ、ノースリーブの薄手の衣装だったからマシでしたが、鎧の面々はよく倒れなかったなぁと・・・。
みんな無事で(笑)、楽しめて良かったです。
7人の大所帯だったので、一般客の方に写真を撮られまくった・・・。
神奈川新聞にも掲載されるようです。
県民じゃないので見れる人に確認してもらおうっと(笑)
プロのレポーターさんが撮ってくださった写真は、まるで周りに誰もいないかのように中華風の建物+私たちだけで構成されてて、感激しました。
データ貰うのが楽しみだな~☆
人が多くてあんまりゆっくり出来なかったのですが、みんなで昼からビールで乾きを癒したり、肉まん食べたりかき氷食べたり楽しかったです。
関帝廟にお参りしたらお線香の灰が風で飛ばされて私の手の甲に・・・
1800年も前の恨みですか!?@陸遜
だいぶ良くなったけど、まだ火傷した所が微妙に赤いです~(苦笑)
帰り道の会話で再確認した事。
三国志は永遠の片想い、永遠の初恋。
最後にこっそり、写真を載せておきます。
コスプレ苦手な方は注意!!


