無双な人達が行脚しているかと思われます。
関帝廟近辺で呪われないか心配です!(笑)
蜀将コスの友人達が守ってくれる…はず(笑)
今月は毎週、三国志関係で動き回ってます。
来週は大事な公式イベント打ち合わせっ♪
ゆっくり寝たり、読書に没頭する時間も欲しいんですが、人脈がどんどん増えていくのが楽しいんですよね~。
その傍ら、漢詩CD企画に取り上げる詩を選び中。
あと曹植のものから一編欲しいのですがいかにすべきか…。
白馬篇とかカッコイイのが出来るかなぁ。
モチーフが張遼というのも人気を得られそう。

URL見れるかなぁ。
http://www.daito.ac.jp/sangoku/kenkyu/kenkyu.html#04
三国志学会の機関誌。
つまり三国志研究の論文集です。
渡邊先生(三国志検定とかもやってるすごい方です!)の元教え子さんが友達にいるのですが、ちょっと話を聞いたところ曹魏の研究をされているそうで。
そして何とこの中に典論の研究論文があるじゃないですかー!!
建安における「文学」っていうのも気になります・・・!
お求めは汲古書院まで。ってあるけど、汲古書院のサイトで検索しても出てこないよう・・・。
あれば速攻ポチしてたのに。
私も近いうちに、こういうのに載せられるレベルの論文を書けるようになって認められたいので、参考の意味もあり興味ある分野に関するものをいっぱい読んでおきたいのです♪
ただ好き好き言ってるだけじゃ、誰とも変わらないもんね。
「実」がなきゃね。
あーもうこんなに好きなものが出来るんだったら学生時代にちゃんと勉強しとけばよかった!!
大学のレポートすらまともに書けなかったところからのスタートです・・・。
卒業がやばすぎて卒論も書いてないし、正直まだ右も左もわかりません。。
でも、現代の漢字すらろくに読めなかった奴が数年で申し訳程度には原文に当たれるようになるんだ、何とかなる!(笑)
目標はでっかく☆
好きだけで終わらせたくなくて、本気で学びたいと言ってもなかなか信じてもらえないのが辛いけど、負けない、見返す!
バカ丸出しのちゃらい見た目で損してるのかなぁ(苦笑)
機会作れれば渡邊先生に会いに行きたいなぁ・・・☆
三顧の礼をしたら研究室で学ばせてくれないかしら(笑)
というのは5%くらい冗談だけど、話しやすい先生だと友人には聞いているので是非ともお話を伺ってみたい!
ゲームカテゴリでもコスプレカテゴリでもない所でブログをやっているので、交地の知名度が意外と少ない!!(笑)
という事で、当日の会場でのお写真を一枚☆
一緒に写っている方々の許可は取ってあります。
ですが、コスプレとか三次元の人間が二次元の格好をするのが見るに耐えない方は、この先の閲覧はご注意くださいませ・・・。
三国志大戦・呉の人々☆
左から・・・
孫皓→雪丸錦さん
呂範→らいずさん
陸抗→小鳥遊そらさん
陸遜→私(・・・)
呂蒙→小雪さん
こんな格好で各々お店番をしたり、交流したりしてます。
もちろん、私服参加の方もいっぱいいますよ~!
大戦のコスプレは今回多かったです。
こういうのがきっかけで、史実も含め三国志を語り合える仲間がどんどん増えていくので楽しいです♪
行ってきました!!
三国志に囲まれて幸せいっぱいでした。
はしゃぎすぎて、暑い衣装着てたのもあり脱水症状気味に・・・。
三国志グッズをいっぱいゲットしてきましたよ~!!
七歩詩マウスパッドとか、
超可愛い曹操様マグカップとか、
孔明せんべい(これは一緒に行った友人からのお土産♪)とか![]()
そして、イベント終了後の飲み会で私がつけていたこのバンダナ。
今流行りのリボンカチューシャ風の・・・
その実態はっ!!
三国志ショップ「赤兎馬」さんの黄巾バンダナ!!
イマ風の黄巾賊!!とか言って盛り上がるあほな大人(笑)
アフターの飲み会は新宿の戦国居酒屋「大河の舞」で行われていた「レキシズルナイト」への参加でしたっ♪
戦国居酒屋ですが、このイベントの時は三国志もOKなのです!
お店のオリジナルメニューのカクテルで乾杯☆
青いのが「諸葛亮」、赤いのが「周瑜」(カクテルの名前/笑)
周瑜はノンアルコールで甘いです。
苺味っぽかった。
さすが美周郎(笑)
諸葛亮はジュースみたいな見た目の割りにお酒が結構強い、まさに孔明の罠でした(笑)
でも、ハイボールにブルーハワイという奇跡の組み合わせが美味しすぎて、明日仕事なのに2杯いっちゃいました。
辛口が好きな人はこっちかも。
ちなみに、宴会ルームにはこんな素敵な切り絵も!!
太史慈と孫策の一騎討ち!!
おもしろ三国志さんだー!!
これがキッカケで、今日の私たちの乾杯の掛け声は「董卓討つべーし!!」でした(笑)
切り絵師の伏龍舎さんともお話しさせていただいたのですが、やっぱり三国志にも戦国にもすごく詳しくて、魏が好きという事で盛り上がれて楽しかったです♪
交地はゲーム系とかの同人誌即売がメインのイベントだったから、こんなに史実まで絡めて話せる展開になるとは思わず本当に・・・嬉しい、楽しい、大好き!!(笑)
三国志に出会えてよかったな~と思うのです☆
曹丕編に引き続き、林田慎之助著「三国志と乱世の詩人」より・・・
悲劇の詩人ともいうべき曹植。
今更ながら彼の話をしていきます。
本の中でも何度も取り上げられていた彼の言葉に、「辞賦は小道である」とあります。(曹植は詩以外だと原文がPCに入ってないものが多いため、原文引用は割愛させてください・・・直打ちはキツすぎる/苦笑)
「与楊徳祖(楊修)書」ですね。
予め私のほうで注釈したいのですが、これは確かに曹植本人の言葉ではありますが彼が生来こう思っていたわけではありません。
本に引用されている魯迅の説では「人というものは、とにかく自分のやることに不満で、他人の仕事をうらやむものであります。彼はすでに文章に達者であったので、あえて文章は小道だなどと言ったのです」ともありますが、曹植が自ずからこの理論に至ったとは考えにくいと私は思うのです。
その理由として、幼い頃から文学活動を積極的に行っていた事、「語れば論となり筆を執れば文学になる」と自らの文才を認め誇っていた事、極めつけは曹丕の使者として鐘繇を訪ねた時に自分の詩を代筆してもらった事・・・にあると思います。
鐘繇といえば書聖と名を馳せ今でも書道の教科書に「鐘繇体」として字が残っているほどの著名な書家です。
まぁきっと、相当無理を言って必死に頼んだのでしょう(笑)
ちなみにその時に鐘繇体で書かれた曹植の詩は、曹丕が遠征に行く彼を送り出す時に捧げた詩への返歌になっています。
この時点(二十歳くらい)の彼には文学を蔑むような言動は見られません。
じゃあいつ、何が原因で心変わりをしたのか・・・その要因は恐らく書の宛名人、楊修にあるのではないでしょうか。
楊修は曹植に最も近しい側近の一人で、何としてでも曹植を魏の跡継ぎに抜擢させたかった。
しかし、彼ら側近が後継者争いの兆しを見せ始めた頃、当事者の曹丕、曹植、曹操にいたってもあまり危機感がなかったというか。
曹操は優柔不断だし曹丕も曹植も意地でも自分が後継!と主張するわけでもなく。
そこで楊修は曹植に対抗心を植えつけようと試みます。
兄・曹丕は文学を至高とし、言わば文学は単なる娯楽に留まらず世の中を統べる大業だとまで豪語してます。
それを否定し、曹丕には国を任せられないと擦り込んだわけです。
さらに、「答教」を用いながら魏の政治の問題点と改善案を説き、政治の重要性を教え込みました。
曹植は楊修のことをまっすぐに師として尊敬していたので、師の教えを忠実に受け入れてしまった、ということでしょう。
逆に言えば楊修を心から頼りにしていたため、彼に離れて行かれてしまうのが怖かった。
そこで、あなたと同じ考えです、おっしゃる通りですと証明するために「与楊徳祖書」を送ったと考えられます。
保身のために酔っ払いを演じたりする人ですからね。
しかしそんな事を言えば当然、曹丕とは相容れず兄弟は袂を分かつことになります。
賈クが曹操に袁家の前例を提言したのが決定打となり曹丕が後継になると、これも当然ながら敗れた側でありしかも皇帝陛下の論を頭から否定した曹植側の人間は中央から離れざるを得なくなる。
ここから先の、曹植が地方を転々とさせられて失意の中で病死する悲劇は有名で、同情を誘うものがあります。
私も本を読みながら切なくなりつつも、でもその不遇な運命の果てに詩聖の名を賜るまでの功績があるんだよな・・・政治家になってたら詩に匹敵する才を開花させることは無かったかも知れないし・・・と思っていたら結論にかなり似た事が書いてあって笑いました(笑)
実際、左遷に遭ってから詠まれた陰のある詩は名作ですもん。
現代でもそう、辛いことを経験している人の文章や言葉って味があるんですよね。
ただ左遷の経緯については、長くなるのでまた気が向いたら話しますが単なる意地悪な冷遇ではないと思うんですよ。
当時の貴族って本当に難しい。