交地のテンション冷めやらぬまま、三国志を語りましょう(笑)

前に曹植のくだりで触れた、曹丕が曹植を都から遠ざけた件について。
冷遇冷遇と世間一般には言われていますが果たしてどんな心裏があったのか。
少なくとも嫌がらせの類ではないと私は思ってます。
確かに、中央で政治家として活躍したいと願った曹植にとっては不遇としか言いようがありません。
しかし後継争いに負けた側がそのまま中央にとどまったとして、身の危険に晒されないわけがない。
だから「追い出した」のではなく「逃がした」…という考えはナシでしょうか?
曹丕が曹植を殺そうとした七歩詩のエピソードは創作ですし、それどころか左遷後も領邑地を与えたり気には掛けてるんですよ。
やっぱり最後まで、兄弟の絆は頼りないながらも繋がっていたんじゃないかなぁ、と思いたいんですよね。
曹植の手紙による訴えを却下する事も、曹丕個人とすると苦渋の決断なのではないかと。
ただ私情で呼び戻せば、立場的に最悪自分が弟を手にかけざるを得なくなるかも知れない。
もっと言えば、おそらく後の世に起こった八王の乱のような事態までも想定していたのでしょう。
文帝曹丕は、その展開が想像できないほど愚かではないかと。
親族を遠ざけた事で国の権力の安定が図られたのは確か。
(ただ、彼の早世によって完全に確立する前に再び揺らいでしまったけど)
どちらかと言うと曹丕の方が詩でも詠んでまったり暮らしたい気持ちが強そうだったので、全くもって運命の皮肉だと思いますが…
長子の立場から、詩の世界のみならず現実で政権を奮う時までも曹子桓は「演者」だった、というところでしょうか。

兄弟仲良く詠み合っていた頃の曹植の詩って、上手いんだけど、どこか子供っぽくて可愛いんだ。