秋深し、としみじみ感じる今日この頃です。

 皆様お身体御自愛下さいね。

 さて今日は、韓国のお金を紹介しようと思います。

 日常生活のあらゆる場面で必要ですよね。

 そしてお金、特にお札に印刷されている人物が誰なのかって言うのも、その国の価値観を反映してると思うので、面白いと思ってます。


 こちらは韓国で一番高額のお札、5万ウォンです。

 印刷されている人物は “申師任堂(신사임당、シンサイムダン)です。

 日本人が韓国語を使う時に中々区別できない"ん"の音が全部入ってます。笑い泣き

 ちなみに
    "ㄴ,ニウン"の発音はn
    "ㅁ,ミウム"の発音はm
    "ㅇ,イウンの発音はng
です。

 韓国人はこれらを正確に使い分けています。

 でも日本人は本当は違う発音を全部 "ん" と表記しているので、これには今でも実は困っています。

 一番の難関はㄴ,ㅇでわかっていても出来ないのが実際のところです。

 ㄴ-さんま
    ㅁ-サンタ
    ㅇ-サンゴ

 というところですが、私なんかは全部"ㄴ"の発音しています。

 ㅁはとにかく一度口を閉じればOKです。

 問題はㄴとㅇですよね~。

 アンパンと発音して、最初の"ん"はㄴ
   最後の"ん"はㅇ、と私は区別しています。

 一コマ韓国語講座でした〜。

 本題に戻らないと、ですね。

 申師任堂(1504-1551)は韓国を代表する女性芸術家です。

 そして、それよりも有名なのが、16世紀の朝鮮時代を代表する人物、栗谷李珥(율곡이이 ユルゴクイイ)の母親、良妻賢母の象徴です。

 少しだけこの人は、私なりにですけど解説しますね。

 この人物を5万ウォン札に使用している裏側を見ると、韓国の裏側が見えるように感じます。

 申師任堂は江原道の東、海側の江陵の出身で19歳で結婚して子女を設けています。

 そして、結婚後も実家で生活しています。

 当時はそれは普通のことだったようで、そのお陰で文筆活動や絵画を制作することが出来ました。

 絵の具はその時代にはとても高価なものだったので、身分が高いからという理由だけで、出来るものではなかったようです。

 それだけの財産を相続しており、時間もあったわけです。

 でも夫運は本当に悪かったようで、苦労の連続でした。享年48というのは、恵まれた環境のわりには早死です。

 そしてその後、儒学者達が彼女を再評価していく過程で良妻賢母のイメージが定着していった人物です。

 息子の李珥は傑作した人物で、当時平和ボケしていた国家の役人達に武装するように働きかけていました。

 ところが平和ボケの最中、誰もその助言を聞きません。

 そうこうしているうちに、豊臣秀吉が朝鮮に出兵し、李氏朝鮮は大被害を被ります。

 という事が歴史に残されています。

 その李珥を育てた母として有名になったのですが、個人的には有名にした方が都合の良い人が沢山いたのでそうしたんだと私は思っています。

 「男が多少不甲斐なくても、母親がしっかりしていれば立派な人物になるんだから、女性達よ、粉骨砕身の覚悟で家庭を守り子育てをするように、」

 ってことじゃないですかね〜。

 韓国には、"長男の嫁は天から送られる"という諺があります。

 最初に聞いた時は全くわかりませんでしたが、生活しながらなんて都合の良い諺だ!と思うようになりました。

 要するに家の問題、特にその家の常識とか習わしとかから起こる都合の悪い事を、外から入った嫁に丸投げして自分たちはなんら良き方向に変わろうとする努力もしないで、の·ほ·ほ·ん·と生きたいだけじゃないですか❗

 と感じるんですよ〜。

 これはあくまでも私が感じた事ですが、ある韓国人の心理相談士に言ったら、全く同感です、と返答されました。

 ちなみに李氏朝鮮の時代で、父系中心の家族文化が定着したのは17世紀以降だそうです。

 申師任堂は芸術家としては絶妙のタイミングの時代を生きれたんだと思います。


 次はあまりにも有名ですね。

 一万ウォンのお札は、世宗(세종,セジョン)朝鮮第4代王です。(在位1418-1450)

 ソウルに来られた方は、あの銅像ですね~、とおわかりになると思います。

 ハングル文字を作り、一般の国民にも読み書きを広めた(広めようとした)事が一番有名です。

 世宗王の業績を挙げたらきりがありません。儒教を基盤として整えた政治体制や文化の発展など、細かく書くとそれだけでブログをシリーズ化しないといけません。

 でもここで少し立ち止って欲しいのです。

 世宗がこのような政治を繰り広げられたのは、もちろん本人の能力に依るところが大きいです。

 しかし3代王で父に当たる太宗(태종 テジョン)が、李氏朝鮮の王権強化の為に、敵対しそうな勢力をことごとく排除していたということも忘れてはいけないのだと感じています。

 ハングル文字は民間にはそう広がりませんでした。
 
 ひとつは特権階級が、一般市民にも読める文字を推奨する、ということに対する反対です。

 ハングル文字が発明される前は、全て漢字を使用していました。

 漢字というのはご存知のように、習得する為にはかなりの時間と努力を要します。

 特権階級にとっては、簡単に習得出来るハングル文字が民衆に広がってしまい、ありとあらゆることが瞬時に伝わるようになることで、その地位が危うくなることを避けたかったのです。

 そしてもう一つは大陸(明)との関係です。

 李氏朝鮮は実は明の属国と言っても過言ではないぐらいの王朝でした。

 その明にしてみれば、李氏朝鮮が独立した文字を持つことに賛成する訳がありません。

 少し話はそれますが、17世紀に大陸では明王朝が滅び、清王朝が誕生します。

 明王朝は漢民族の王朝、清は女人族(満州の辺りが本拠地)の王朝です。

 韓半島は歴史的に、大陸をどの民族が支配するかによって国の行く末が大きく左右されて来ました。
 
 ですので、明王朝から清王朝に変わった時、清王朝とどのようにかかわるかで意見が当然割れました。

 そもそも明王朝の国力が衰退した背景には、秀吉の朝鮮出兵の時に大量の軍を、韓半島に派遣していたことが挙げられます。

 結局、明の属国的な王朝であった李氏朝鮮は、新しく誕生した清を快く受け入れることができなかった為に、秀吉の朝鮮出兵からさほど期間をおかずに、追い打ちをかけるように、今度は清の大軍が半島を攻撃し、国土は荒廃し、経済も困窮し、国力は衰えに衰えたという過去があります。

 国を自衛するということがどういうことなのか、よくよく考えてみないといけない事例だと個人的に感じます。

 こういう歴史があるので、栗谷李珥の助言に従っていればという心理が働くのかな?と思ったりもしました。



 これは5千ウォンのお札です。

 こちらは栗谷李珥(1536-1584)です。

 5万ウォン札、申師任堂の息子です。

 5万ウォン札と一万ウォン札の説明で時々言及してるので省きまぁす。

 
 最後は千ウォン札です。

 退溪李滉(퇴계 이황 テゲエイファン 1501〜1570)
 
 こちらも16世紀を代表する人物です。

 朝鮮半島は統一新羅の時代から、護国仏教と言われるように、仏教の教えを通じて国を治めて来ました。

 それが李氏朝鮮の時代になって儒教を登用し、仏教はおびただしい迫害を受けるようになり、(国が認めた仏教の宗派を除いて)お寺というお寺は破壊され、土地や財産は全て没収されました。この財産の中には奴婢も含まれます。

 記録が残っていれば、おそらく後のキリスト教よりも弾圧されているかもしれないと思うフシがあります。(これは私が見た韓国人の国民性によるところが大きいかもしれないですね。)
 
 ですが民衆の意識としては、それまでは仏教だったのに、急に儒教と言われても????となります。

 その儒教の定着に貢献したのがこの退溪李滉でした。

 この他に500ウォン、100ウォン、10ウォンの貨幣があります。

 私が韓国に来た当時(1996年)は、1万円が約7万ウォンぐらいでした。

 今は1万円が約10万ウォンぐらいです。

 なので円をウォンに替えると、とてもお金持ちになったような錯覚に陥りますね。


 これは補足です。

 韓国の李氏朝鮮が国を治めるために導入した儒教は性理学と一般的に呼ばれます。

 日本では床学に当たります。

 床学は宋代に確立した新しい儒学で、理学、性理学、道学、朱子学とも呼ばれています。

 新しい考えや制度が一般に広がるにはそれなりの時間を要します。

 日本で、陰暦から陽暦に変わる時はこんな感じだったそうです。

 
 このシリーズの(1)はこちらから
 
 このシリーズの(2)はこちらから
 
 シリーズはしばらく続きますので、今後もよろしくお願いします。

 ブログに訪問して下さり、ありがとうございました。