その日はクリスマスイヴの12月24日。

しかしながら、密教徒なのでお寺で瞑想。


横浜にある高野山真言宗久光院、別名綱島高野山。








こちらで、今年最後の阿字観と年末の特別護摩供養「報恩謝徳の護摩供養」があると耳にして、そりゃ行かなきゃと思って初めてのお参り。


綱島駅の商店街を抜けた場所に久光院はある。

入り口の供養塔「弥勒」が目印。



お色直し(塗装)が終わったばかりでキレイ😍


本堂のある棟に入って受け付けで記名して茶菓をいただく。

テーブルには護摩札も置いてある。

こちらにも願い事と名前を書いて後で御護摩のときに祈祷していただく🙏


時間になると2階のご本堂へ。


久光院のご本尊は弥勒菩薩さま。

一番奥の高いところから光を放っていらっしゃる。

その真前に我らが弘法大師空海。

その両側に、金胎両大日如来さま。

護摩壇の左右の上方には真言八祖がそれぞれ4人ずつ護摩壇を見守るように掲げられている。

素晴らしいですね。

こじんまりとした中に真言密教のエッセンスをギュギュッと濃縮した濃密な空間。

ここで阿字観と護摩供養ができるとは。


阿字観のご指導は、真田龍憲師。

長野の極楽寺のご住職ということだが、このために横浜にいらっしゃっているのだろうか。

真田師は、曹洞宗の總持寺でも修行されたそうで、それで横浜にもご縁があるのかも知れない。

密教僧にしてはスッキリした感じの方だと思ったが、他の宗派を学んでいるというのは大変よいことだ。


法話に続き、ゆったりとした静かな雰囲気の中、阿字観の瞑想を行なった。

阿字観の後、しばらく準備時間があり、お護摩が始まる。


声明は四智梵語から厳かに始まる。

理趣経は軽快な太鼓の音に合わせて、お護摩の火も相まって、空気が熱を帯びていく。


大本山のお護摩に比べるとこじんまりとはしているが、場が帯びる熱量は引けを取らない。

総本山や大本山クラスのお寺は、観光地化しており、日本中いや世界中から人が集まる。

しかし、こうした地域に根ざしたお寺の存在がどれだけ人々の心の拠り所になるだろうか。

こうして阿字観やお護摩をやっていただける。

大切にしたい。

これも報恩。


ギュッと濃密な時間を過ごさせていただき、いろいろあった一年だったが、おかげでよい歳の暮れとなった。


お護摩の後に、お不動さまのお札をいただいた。

年明けに初夢の際に枕の下に置くと、吉夢が見られるそうだ。



久光院は、鶴見川のほとりにある。

気の流れのよいところに、お寺を開かれたのだ、と感心した。


ちょうど夕暮れどき。



夕日に輝くご本堂と鐘楼。



素敵なお寺。

お寺や僧侶の方々も皆様感じよかった。

阿字観、月に一度、しばらく通って見ようか。






「モーニングページ」というのを試みに始めて1年経った。

モーニングページとは、毎朝ノートに思いついたことを書く、というシンプルなもの。

ジュリア・キャメロンさんの『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(原題『The Artist Way』)に提案されている創造性を得るための方法の一つ。

いくつかルールがある。

・朝に書く

・A4ノートに3ページ

・手書き

・誰にも見せない

・最初の8週間は読み返さない

いずれもシンプル。

実はキャメロンさんの本は読んでいない。

オタキング岡田斗司夫さんのYouTubeを見て知ったのだ。

岡田先生によれば、日本人だとA4はデカすぎて心が折れる。

B5ノート3ページで十分とおっしゃる。

私はB5でも無理だった。

続けることを第一に考え、思い切ってハードルをB5ノート1ページに下げた。

時には朝ではなく昼あるいは夜に書くこともあった。

そこまでハードルを下げて1年続いた。







中身はお見せできるものではなく、字もかなり急いで書いているため、ミミズも恐れをなす程のったくっていて、自分でも読めない。

それでいい。

内容はなんでもよくて、そこにルールはない。

書くことが無ければ、「書くことない、書くことない・・・」とノートに書き続けるだけでもよいのだ。


この1年は激動の1年だった。

32年勤めた前職を辞して転職。

心が揺れ動く出来事もあった。

それでもモーニングページに書き殴ることで、あまり引きずらなくなったかなぁ。


人には向き不向きというものがあって、自分に効果があったものが他人にも同じ効果があるとは限らない。

私には、モーニングページは、自分なりにハードルを下げたこともあって、向いていたのかも知れない。

今まで坐禅や瞑想(ヴィパッサナー瞑想)などやってきたが、自分に向いていたとは言いがたい。

これらが向いている人というのは確かにいて、そういう人はやればいいと思う。

なんでも試してみて。


空海の『秘蔵宝鑰』に「顕薬は塵を払い、真言は庫を開く」という言葉がある。

坐禅もヴィパッサナー瞑想もモーニングページも塵を払う手段だと私は思う。

塵を払うのに、どんな道具を用いるかは、好き好きだろう。


では、庫を開くには、どうすればいい?

空海は、なぜ密教を選んだのか。

空海が表現者であることに大いに関係があるように思える。

空海の書にしても東寺や高野山の構想にしても、その独創性が日本史上類を見ないことは多くの人が語るとおりである。

庫を開くと、あんなに自由になれるのか。

空海は超絶的な表現者でありアーティストである。


モーニングページと並んで創造性を養うための方法として、キャメロンさん(と岡田斗司夫先生)がおすすめしているのがアーティストデートである。

こちらのルールもシンプル。

・週に2時間程度デートコースを決めて自分自身とデートする(一人で行く)

これだけ。


こちらも、近所なのに通ったことのない道を散歩するなどの近場での体験や、お絵描き、書道などおうちの中で体験できることも含めて、ハードル下げて1年やってみた。

少しずつでもやってみることが大事。

やはり外に出て歩くのが一番いい。

この世界、目にするもの、耳にするもの、全て大日如来の説法。

そして、うちなる如来の説法に耳を澄ます。


空海みたいなアーティストになれるかな。

少しずつでも庫が開くといいな。




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私の本棚

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

!!!ネタバレご注意ください!!!

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当ブログの「空海を訪ねて」シリーズでは、私なつくさはちまちまと畿内や四国をまわっているが、入唐留学した空海の唐・長安までの道のりも辿りたい、という欲求も当然ながらある。


しかしながら、仕事もあるし、なかなか事情が許さない。


ところが、なんと40年も前にこれを実現した昭和の大作家がいらっしゃった!


今回ご紹介するのはこちら

松本清張著

『密教の水源をみる 空海・中国・インド』



空海と清張先生、意外な取り合わせとも思えるが、これは労作ですよ。

以下、wikipediaより抜粋

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『密教の水源をみる 空海・中国・インド』は、小説家の松本清張による著作。

(中略)

平安時代初期の僧・空海の入唐前後の事情や、古代インドで成立したとされる密教の発生・伝来に関する著者の推論を交えながら、中国・インドの各地をたどる紀行エッセイ。特別番組「松本清張、密教に挑む-マンダラに宇宙を見た」(1984年3月27日放送、朝日放送制作)の取材班への同行記録となっている(取材期間は1983年5月25日ー6月13日(中国)、1983年10月1日ー10月13日(インド))

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概要としてはwikipedia記載のとおり。


テレビの取材だったのね。

1984年はなつくさは大学受験浪人生、この番組のことは全く知らなかった。

テレビなんか見なかったし。


日本が世界の中でも大金持ちだった頃。

バブル前夜。

中国、インドを下に見てた頃だよなー。

このご著書を読んでいても、そんな時代がひしひしと感じられて、今の日本は〜、とか思ってしまった。


清張先生は密教や空海のこと、よく勉強されて取材に臨んでいらっしゃって、作家というのは偉いもんだな、と感心する。


本書の中国篇Ⅰでは、遣唐使船で福州に流れ着いてから中国大陸を北西に向かい長安に到着するまでの道のりをたどる。

空海が実際どのような経路をたどったかは不明であるが、おそらくこんな感じだろう、という経路を列車や飛行機という現代の利器を用いて行く。

要所要所でホテルに滞在して、現地の様子などを取材して歩く。

清張先生取材時から40年経っており、21世紀の現在、現地の様子も変わっただろう。


中国篇Ⅱでは、空海が密教を学んだ長安、現在の西安で、空海の活動を探る。

空海が滞在した西明寺は大衆食堂が並ぶ雑駁とした街となっており、空海が恵果阿闍梨から密教を伝授された青竜寺は復元工事の最中だった。


清張先生は、さらに足を延ばして空海は行っていないインドまで行っている。

インド篇では、玄奘三蔵が学んだナーランダー寺大学など。

空海も行きたかったかもしれないが、その遺志を継いだ弟子の高岳親王も辿り着けなかった。


清張先生の考察も、従来宗門(真言宗)の学者や僧侶の説とはひと味違って興味深かった。


一番斬新なものとしては、密教を大乗仏教の中に入れるのは大乗仏教の拡大解釈すぎるのであり、中国で成立した密教は、バラモン教とヒンドゥー教の両方がともに形を変えたもの、またはその翻案であって、仏教とはまったく違ったものである、というもの。

これについての是非はともかく、実際に中国、インドを歩いての考察として耳を傾ける価値大いにありと思う。


中国に密教や仏教が入って来た時に、道教に見せかけていた時代があって、そのあたりの清張先生の考察も面白かった。

(特に私は最近道教、特に荘子の思想にハマっているので。

鎌倉時代に日本に入ってきた浄土系仏教や禅も、かなり道教入ってるよね。

もはやインド仏教でなくなっている気がする。)


清張先生が空海をどのようにご覧になったか。


三教指帰から入唐までの空白の7年を大安寺などで、得度した沙弥ではなく、雑用の「寺男」的な優婆塞をしながら、中国僧について中国語を習得したのだろう、たいした勉学心とその努力だと感じる、と書かれている。


空海は天才とか超人とか言われて、彼の成したことがいとも簡単におこなわれたかのように思われがちだ。

確かに生まれ持ったものがそもそも違うというのは感じるが、それ以上に、空海の努力や意志の強さなどがあって、初めて「空海」になり得たのだろう、と私もあらためて思う。


本書は、最後に、中国では廃れた密教が、チベットや蒙古で密教の変形たるラマ教が行われる中、中国密教とは離れた真言密教を日本に創始し、現在に継続させている空海は、やはり稀有の才能と努力の持主だったといわなければならない、と締めくくられている。


清張先生は、空海の真言密教を、中国密教とは異なる大乗仏教である、と認めておられたのだろうか?


個人的には真言密教が大乗仏教であろうがなかろうがどうでもいい。

真言密教の価値に変わりはないから。