要するに空海は 、大和国高市郡久米寺の東塔下において大日経を発見したのである。(司馬遼太郎『空海の風景』より)

空海が大学を飛び出し、奈良南都の大安寺に出入りしていた頃。
東大寺にも入り込んで華厳を知るが、今一歩もの足りなさを感じていた。
そんなときに夢のお告げで「大日経」を知ったのだ、と、のちに弟子たちに語ったらしい。
そのお経を探し回っていたところ、見つけたのだ。
ここ、久米寺で。

橿原神宮にもほど近い、神武天皇のご加護も厚いこの地に久米寺はある。

まずは大日如来さまにご挨拶。
金ピカ。

大日如来さまの前で、おデブのニャンコさんがお昼寝していたが、私に気づき起き上がって足元にスリスリ身を寄せてきた。
大歓迎されたので、しばらく頭や背中を撫でて遊んだ。
昔(過去生)どこかで一緒だったかしら。
不思議な出会いのある久米寺。


本堂から信徒会館らしき建物との間ににわか作りの橋が架けられ、いかにもこれから何かありそうな雰囲気だ。

しゃんしゃんと鳴り物の音がし、見ると観音堂の中で、若草色の和服姿のご婦人たち7、8人が鳴り物をならしながら唄を唄い出した。
どこかで聞いた、と思ったら、昨年冬、東寺の生身供で慣れた人たちが唄っていたお大師さまソング(仮)ではないか。
「♩南無大師・・・」の歌詞のところで頭を下げるのがお約束。

そうこうするうちに、お坊さんたちがぞろぞろと特設の橋を渡って本堂に入っていく。


一通り普通の読経があった後、お堂の中の僧侶たちが一斉に、わーっと、折本経典を頭の上でパラパラと乱舞させ始めた。
これが、大般若経転読法要。

聞いたことはあったが今回偶然にも初めて拝見することができた。
「大般若経」は全600巻。
膨大すぎて通して読むには時間がかかって無理なので、折本をパラパラすることで読んだことと同じ功徳を得ようというもの。

最後に般若心経とご真言が唱えられたので、一緒に唱えさせていただいた。
見物人が多くいる中で、軽く優越感。

久米寺、ホントに面白い出会いがある。

多宝塔もシブい。


ここで見つけた「大日経」をより実際的に学ぶために、空海は唐に渡ることを決意した。
運命の出会いの場である。



本日は、平成最後の日。
朝日カルチャー新宿にて、講座「元号『令和』を考える 梅花歌序、そして旅人と憶良」を受講した。
講師は、千葉大学名誉教授の三浦佑之先生。

三浦先生は、「令和」の考案者と有力視されている中西進先生の一番弟子であり、いろいろ面白いお話が聞けた。

まずは、「令和」の出典とされている『万葉集』巻五の梅花歌三十二首の序文について説明していただいた。

「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、」
である。
これまで日本の元号は、中国の古典を題材にしており、今回初めて日本の古典から考案されたと言われている。

これに対して、いや中国の古典にも「令和」があるじゃないか、という人もいて、それは、王羲之の『蘭亭集』序であり、さらに『文選(もんぜん)』巻十五、張衡「帰田賦」である。

王羲之も文選も空海のおかげで多少馴染みがあるが、ここに出てこようとは。
と、ちょっとうれしくなる。

三浦先生によると、長い日本の歴史の中で、元号は必ずしも中国の古典から考案されていたわけではなく、例えば、奈良時代は、「霊亀」、「神亀」など縁起のいい「亀」に因んだものもあるように、結構適当に決めていたようだ。

今回、一番聞いてよかったと思ったことは、実は、律令制下の役人の役職と官位の関係の話である。

「梅花歌」は、太宰府の長官として九州に赴任していた大伴旅人が梅が咲いたのを祝って九州各地の役人らを招待した「歌会」で詠まれたものだ。

歌は32首。
その並び方に詠み手の身分の格差が窺える。
今よりはるかに身分制度が厳しかった時代。

太宰府長官の大伴旅人は従三位、かなりの身分である。
歌会参加者の最下位は小初位、大学寮出立ての官僚などであるが、これでも大変なエリートである。

大学を飛び出した空海が、大学を飛び出さなければ、貴族ではなかったから、せいぜい小初位から始めるという感じだったのか。


三浦先生は、とてもお話が上手く、万葉の頃の宴の様子が目に浮かぶような、とても素敵な講義で、あっという間の90分だった。

先生は、朝日カルチャー新宿で「古事記」の講座を続けていらっしゃるそうだ。
三浦先生の「古事記」、絶対面白いと思うが残念ながら平日開催とのこと。
機会があったら是非また先生のお話をお聴きしたい。






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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回は、佐々木閑著『大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか』のご紹介。

仏教とは何だろう。

宗教とは何だろう。

信仰とはなんだろう。

例えば、信心深い家庭に生まれて、幼い頃からいつも家族で神仏の前で手を合わせていたような方々は、「なんだろう」と思う余地はなく、それが自然なことなのかもしれない。


私は、そうではなかった。

どちらかというと、この世に神も仏もあるものか、と心の底から思っているような人に育てられたように思う。


だからなのか、私は心の底から信じ切ることができない、

と思っているのである。


佐々木閑先生の『大乗仏教〜ブッダの教えはどこへ向かうのか』は、語り手の講師と聞き手の青年との対話という形式をとりながら、釈尊の説いた教えから大乗仏教に変化し、わが国の各々の宗派として伝わってきた流れを分かりやすく(且つ大胆に、と私は思った。)、書かれている。


気になるのは「どこへ向かうのか」の部分だ。


ひと通り、大乗仏教について説明がされ、最後に青年は問う。

やはり私には 「輪廻や業 」というものが存在するとはどうしても思えないのです。

科学がここまで発達した現代において 、仏教を信じることに果たしてどんな意味があるのでしょうか


青年の疑問は、現代に生きる私たちが宗教に関して多かれ少なかれ感じていることだろう。


これについて講師(すなわち佐々木先生)は、一つの考えを示されている。


仏教に限らず、キリスト教やイスラ ーム教も、科学とうまく擦り合わせができないことを 「心の問題 」に置き換え、そしてやがては 、世界の宗教は 「こころ教  」とでも呼ぶべきものに一元化されていくと考えておられるそうだ。


「こころ教 」のキ ーワ ードは 「心 」と 「命 、動詞で言うと 「生きる 」。


講師は言う。

最近の仏教宗派が掲げるキャッチフレ ーズをみると 「生かされている私の命 「命が心を生きている 」といった意味不明で 、しかし口あたりのよい言葉ばかりです

その宗派の教義とは関係のないありきたりの標語だからみんなが受け入れるのであって 、受け入れたところで 、一時の気休めになるだけで何の役にも立たない 。それが 「こころ教 」の本質です

と手厳しい。

しかし、こうも言っている。

たとえ一時的にではあっても 、救われた気持ちになる人がいるとすれば 、それはそれで 、宗教の一つの在り方とは言えます



ここからは、私の個人的な想いである。


釈尊の時代、或いは、空海の時代、さらに下って鎌倉時代にしても、現代に比すれば、理不尽なことだらけであったことだろう。


生きていくことで精一杯。

食べ物が豊富にあるわけでもなく、病気になっても、医療が発達していたわけでもない。

今よりよほど「死」が身近であったことだろう。

理不尽なこと、どうしようもないことは、神や仏に祈るしかない。


現代でも理不尽に思えることは多い。

しかし、古代と現代では「理不尽」の質が異なる。

科学が発達し、豊かで便利になり、困りごとがあっても、神仏に祈る前に現実的な対応策があることが多い。

その一方で「こころ」、「命」の問題が表面化している。


「心の底から信じ切ることができない」と言いながら、私は毎日仕事帰りに虎ノ門の金刀比羅宮にお参りをしている。


神さまの御前で手を合わせている、そこで得られる小さな安心。


「こころ教」なのだ。


先人たちが残した「仏教」という遺産を、現代に生きる私たちの心の糧とし、後世の人たちに伝えていきたい、と私は思う。


「こころ教」なのか?


私は、空海が出した宿題に取り組む時が来た気がしている。