本日は、川崎大師教学研究所の講座「五大願について」を受講した。
講師は、佐藤隆一先生。


佐藤先生の講義をお聴きするのは昨年に続き2度目である。
臨床心理士として長くカウンセリングのお仕事をされていた佐藤先生。
今回は前回にも増して心理学の観点から釈尊の教えや空海の思想についてお話しくださった。

仏教でいわれる「貪・瞋・痴」のお話のところで、上座部仏教の話をされた。
私も一時期テーラワーダ仏教を学んでいたことがあった。
私の考えでは、テーラワーダ仏教と密教とは同じ仏教でありながら、かなり異なっている。
対局にあるといってもよいくらいだ。
テーラワーダ仏教では、自分の心の浮かんだ雑念や妄想に気づきを入れて消していくという瞑想(ヴィパッサナー瞑想)を行う。
これをやりすぎて自己嫌悪やうつになったりする人もいるが、それでも「心の大掃除」をすることがやめられなくなる。
佐藤先生のお話、臨床心理士としておそらく色々な方をみてこられたと思うのだが、自分の欲求に従わないことで高揚感を得る人がいる、というのが、非常に興味深かった。
これも一種の依存であり中毒症状なのだ。
「禁欲の罠」ともいわれた。
私の印象では、確かに、テーラワーダ系の人には潔癖で生真面目な人が多いように思う。
自分は「悟った」とか思ってしまう人も出てくる。
別に本人がそう思う分には文句はないのだが。(関係はないが、最近、小池龍之介さんが解脱失敗したらしい。)

テーラワーダ仏教は原始仏教ともいい、なんとなく本家本元の釈尊の教えのような気がして、私も学んでいたのだが、師事した先生のキャラクターもあったのだろうが、潔癖すぎてダメだった。

密教は、欲求や煩悩をなくせ、とは決していわない。
煩悩の存在を認め、それに惑わされず、生きる原動力にして、世の中に貢献していくように努力するのだ。
そこがいい、と私は思う。
釈尊もそれもオッケー!と思われているに違いない、と信じる。

佐藤先生の「五大願について」のお話は、この教えを、現代に生きる私たちの日常に活かしていくことで、お大師さま、空海も喜んでくださるだろうと締めくくられた。

私の密教の学び、そして密教の実践は始まったばかり‥。



10日間の連休、スペシャルなゴールデンウィークも終盤、お天気も快晴。
高野山は、国内外からの観光客で超大賑わいである。

高野山真言宗参与の袈裟を装着して金剛峯寺へ。
受付で記念品をいただく。

新別殿でお茶とお菓子のご接待がある。

中に入って毛氈の上でお茶とお菓子をいただく。
正面右手に巨大なディスプレイがあり、いかにもこれから何かありそうな雰囲気だ。
「手と手を合わせて」という唱歌風の曲が流れて歌詞が映し出されている。

午前11時を過ぎた頃、夫婦漫才の芸人風の男女が出てきた。
男性の方は、ギターを抱えている。
見た目も福々しい進行役の僧侶も現れ、何やら寸劇が始まるらしい。

芸人風の二人のやり取りや僧侶のありがたい法話をひとしきり楽しむと、左手から目もと涼やか端正な面立ちの袴姿の殿方が現れた。
続いてもう一人僧侶が現れたが、袴姿の殿方に目が釘付けである。
袴姿の殿方、大師の御影の前で正座し、扇子を前に置いて深々と頭を下げる。
僧侶が揚々と唄い出し、殿方、優雅に舞い始める。

僧侶が唄っていたのは金剛流の御詠歌、殿方は舞踊の先生だそうだ。
御詠歌と舞の後、僧侶が「みなさんも、一緒に唄って踊りましょう!」と。
いや、こんな本格的なの、無理でしょ。
と思っていると、先ほどの「手と手を合わせて」の曲が流れてきた。
御詠歌は難しいので、これを一緒に歌いましょうということだった。
振り付けは、歌詞を手話にしたもの。
舞踊の先生のご指導のもと、参加者みんなで2度3度練習した。
さすが踊りの先生、手話の所作も美しい、と見惚れつつも、私も大真面目に参加。
空海だって、こういうの、絶対好きだったはず。
参加者みんなで歌いながら、手話の振り付けで踊りながら楽しんだ。

その後は、真面目そうな僧侶が登場して阿字観の体験で心を整える。

フィナーレは、夫婦漫才の二人、進行役の僧侶、御詠歌の僧侶、舞踊の先生、そして阿字観の僧侶が出てきて、参加者とともに振り付けをしながら「手と手を合わせて」を唄って締めくくった。
こんなイベントがあるとは知らなかったが、とても楽しかった。
金剛峯寺も布教に頑張っているのだ。
イベントはコチラだった。


楽しいイベントの後は、壇上伽藍で厳かな儀式に臨む。
昨年秋に高野山東京別院にて金剛界の結縁灌頂を受けた。

春には、是非高野山で結縁灌頂を、と思っていたが念願が叶った。
これで両界の大日如来さまと御縁が結ばれた。

感動もひとしおである。
西国三十三所観音霊場の第四番札所、若き日の空海が勤操大徳のもとで剃髪・得度したと伝えられる。

槙尾山施福寺。

JR和泉府中駅から南海バスの父鬼線に乗り、ちょっとした遠足気分。
施福寺に着く頃にお昼になるのを見越してリュックの中にはコンビニで買ったサンドイッチ。
30分余り乗って槙尾中学校前でコミュニティバスのオレンジバスに乗り換える。
バスの乗り換え時間より5分ほど到着が遅れたが、オレンジバスは待ってくれていた。
乗り継ぎは完全に連絡しているようだ。
車体にみかんの絵が描かれた可愛いオレンジバスに乗り継ぎ、10分ほどで槙尾山の麓に到着。

施福寺までの参道は西国三十三所で一、二を争う難所といわれている。
心して登り始める。

登り坂を少し行くと、楼門が現れる。


もう到着したの?
いやいや、そんなはずはない。
山道は続く。

下りてくる方たちとすれ違い、「こんにちは!」と挨拶される。
こちらも息切れしながらも、「こんにちは!(はぁはぁっ)」と返す。
ちょっとした登山気分。
楼門の前にあった立て看板。


山上の秘仏にお会いできるのを励みに一歩一歩登っていく。

大師の「御剃髪所跡」が見えてくると、頂上も近い。


辿り着くと、こじんまりとしたご本堂。
御朱印の記帳に並ぶ方々。

施福寺は天台宗のお寺である。
堂内には最澄と空海の像が一緒に配されていると聞き、これも楽しみにしていた。

拝観料500円をお納めして、堂内へ。
堂内はもちろん撮影禁止。

まずは「山上の立体曼荼羅」。
ご本尊は「弥勒菩薩坐像」。
弥勒菩薩さまの両側に「十一面千手千眼観音立像「文殊菩薩立像」、その三尊の周りには、四天王立像。
まさに立体曼荼羅、山上の小宇宙。

堂内進むと、日本で唯一の「方違大観音像」
伏せ目がちな美しいほとけさま。
凶の方角を違えるように災いを避けてくださる。

堂内の弥勒菩薩様の裏側のお部屋に、空海の像、横には「清酒弘法大師」の瓶が。
目力がすごい。

部屋の反対側には、最澄の像。
天台宗の開祖としてお寺を見守る。

弥勒菩薩と空海がいる。
すでに兜率天にいるようだ。

お堂の外は新緑。
お弁当を広げる家族連れもいて、ピクニック気分。
私もベンチに腰掛け、サンドイッチをほうばる。
自然の中で食べると、何でもいつもより美味しく感じる。
こんな日は久しぶりだ。

山を下る途中で、弘法大師御髪堂。


空海が剃髪したのは、唐に渡る前のことであるが、唐から戻ってから高雄山寺(神護寺)に入る前に、一時的にここ槇尾山寺(施福寺)に住んでいたことがある。

ここで、長安での暮らしの余韻に浸りつつ、膨大な経典の整理をし、近隣の山々にも出歩いていたようだ。
高野山を見つけたのはこの頃なのではないかとも思える。

気力体力共に充実し、自信がみなぎり希望に燃える30歳代半ばの空海、その跳躍は、和泉のこの山の上から京の都へ。