仕事をしながら大学や大学院で学ぶ人が増えている。
少子高齢化で、大学側も社会人が学びやすいシステムを整えている。
10年前、私は職場の要請で非常勤講師として、とある国立大学の社会人向けの夜間の大学院の講義を受け持っていた。
履修生は、ほとんどが当時の私より年上の50歳代が中心だったが、大手企業の管理職の方などもいて、その日の仕事を終えてから講義を受ける気力、その学ぶ意欲に心から敬服した。
齢50を越えた。
私も立場を変えて、この春から高野山大学大学院通信課程の科目履修生として学ぶことにした。
高野山大学大学院の通信課程は、スクーリングのある科目以外は、通学不要であり(高野山に通うのは実際不可能だ)、締め切りまでにレポートを提出できれば、マイペースで勉強を進められるが、それでも仕事との両立は大変だ。
履修科目を選択するために開講される科目の一覧を見ると、高野山大学だけあって、科目のほとんどが空海絡みである。
こんな大学、日本中、いや世界中探してもほかにないだろう。
正直、涎が出そうなラインナップ。
その中で、初年度に私が選択したのは、「密教入門」と「仏教要論I(仏陀の伝記)」だ。
空海の著作に関する科目を取りたいのはやまやまだが、ここはグッとこらえて基本中の基本から入るのだ。
いきなり美味しいところに飛びつかないところが私の生真面目でアホなところだと思うが、そんな自分が大好きだ。
初年度は仕事との両立がどの程度可能かの様子を見るため、履修科目を少なく抑えた。
仕事を疎かにしない、今の私の基本姿勢である。
仕事は私にとって大切な社会貢献の場だ。
それに対して密教を学ぶことは、私自身の魂への貢献、とでも言おうか。
私の魂が密教を学ぶことを欲したのだ。
魂の世界のことはわからない。
私は、この世に生まれて、この世界が大好きになった。
そんな世界、この宇宙と調和して生きる、それが私の生き方だ。
私が宇宙に呼応し、宇宙が私に呼応する。
美しい宇宙の一部に私は溶けこんでいき、宇宙は私、私は宇宙、境界が消失していく。
そんなことを以前、拙ブログ記事で書いた。
仕事も世界を構成する一部であり、当然、同じ心持ちで常に取り組んできた。
密教を学ぶ前から密教的な生き方をしていた気がする。
日常の中にこそ宝は埋もれているのだ。
この世界は全て密教実践の場、何ゆえ懸命にならないでいられようか。




















