1つめは是故空中。
高野山では、「ぜーこーくーちゅー」。
川崎大師では、「ぜーこーくーじゅー」。
2つめは無苦集滅道
高野山では、「むーくーしゅーめつどう」。
川崎大師では、「むーくーじゅーめつどう」。
高野山では、「しんじつふーこー」。
川崎大師では、「しんじっぷーこー」。
古義と新義の違いか?
説明の後、受講生一同で、般若心経のお唱えの練習をする。
さすが、川崎大師に集う善男善女のみなさんは、お経を読み慣れていらっしゃる。
大勢でお唱えする般若心経、とてもいい。
1つめは是故空中。
高野山では、「ぜーこーくーちゅー」。
川崎大師では、「ぜーこーくーじゅー」。
2つめは無苦集滅道
高野山では、「むーくーしゅーめつどう」。
川崎大師では、「むーくーじゅーめつどう」。
高野山では、「しんじつふーこー」。
川崎大師では、「しんじっぷーこー」。
古義と新義の違いか?
説明の後、受講生一同で、般若心経のお唱えの練習をする。
さすが、川崎大師に集う善男善女のみなさんは、お経を読み慣れていらっしゃる。
大勢でお唱えする般若心経、とてもいい。
夢の中のその人は、ただ黙々と茶を入れていた。
お茶を入れるという行為、それ以外に何の意味もない。
もてなす、とか、歓ばす、とか、相手の心に一切入ってこようとしない。
その徹底した態度に、逆に私は心打たれたのだ。
実際空海は茶を飲んでいたのか。
嵯峨天皇の詩に『海公と茶を飲み、山に帰るを送る』というのがある。
道俗相分れて数年を経たり
今秋晤語亦良縁
香茶酌み罷みて日云に暮る
稽首して離を傷み雲煙を望む
「海公」とは空海のこと。
嵯峨天皇と空海は茶を喫しながら、時を忘れて語り合うが、秋の日の暮れるのは早い。
別れが惜しいが雲煙の中に消えていく彼人を見送ろう・・・。
また、空海が嵯峨天皇に送った『梵字ならびに雑文を献ずる表(『性霊集』巻四)』には次のようにある。
窟観の余暇
時に印度の文を学び
茶湯坐し来たって
乍に振旦の書を閲す
瞑想の合間にはインドの文を読んだり、お茶を入れて中国の書を鑑賞しております、というのだ。
弘仁のちょっと優雅な文化人。
内実は苦労も多かったろう。
しばしば体調不良にもみまわれる。
長安での暮らしを思い出しながら、茶を飲んで書を眺めていたのだろうか。
私は夢の解釈はしないことにしている。
見た夢は忘れてしまってよい。
それでも心に残っていることは後から確実に分かる形で語りかけてくる。
私は知らず知らず空海に招かれ彼の茶を飲んでしまったのだ。