〜五大にみな響きあり

十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり〜
(空海『声字実相義 』より)
 
先日、国立劇場において、公演「大人のための声明入門」を鑑賞した。
拙ブログ記事講座「天台声明と真言声明」を受講に書いたように、先月、朝日カルチャー横浜で声明について学ぶ機会があった。
今回の国立劇場での公演は朝日カルチャーとは直接関係ないが、講座の講師であった真言宗の小路さんもご出演されていた。
国立劇場の声明公演は、天台と真言が1年おきに出演するそうで、昨年は、もう一人の講師の末廣さんがご出演されたようである。
 
公演の前に仏教で用いられる法音具の体験コーナーがあった。
自由参加だったが、密教は体験を重んじる。
ここは体験しないわけにはいかない。
 
お寺でお馴染みの木魚やおりんみたいなやつ(「けいす」とか「きんす」というらしい。漢字が出てこない(^_^;))、修験者の持ち物、錫杖の短いやつ、シンバルみたいなやつなど、実際に鳴らしてみた。
 
素朴な響き。
冒頭の空海の言葉「五大にみな響きあり」を思い浮かべた。
 
五大とは、この世界を構成する地、水、火、風、空。
これら全てが大日如来の心を奏でて響かせて、さまざまな周波数で揺れている。
 
法音具の響きに耳を傾け体で感じながら大日如来と一体になるを楽しむ。
 
さて、公演は、2部構成であり、第1部は、進行役、迦陵頻伽(かりょうびんが)声明研究会の代表の方及び今回打物を担当される音楽家による対談。
声明とは何か、から始まり、今回の演目である新作声明『蛙の声明』についての説明がされた。
 
朝カル横浜で学んだ『四智梵語』や『九條錫杖』は古典の部類に入るが、今回の公演で演じられるのは新作声明。
でも、「蛙」は自然の中にいるものだし🐸、演じるのはお坊さんだし。
やっぱり、伝統芸能風なんだろうと想像した。
 
さて、第2部の「蛙の声明」が始まる。
 
聴いてみるとびっくり。
これから聴くかも知れない方のためにあえて詳細は書かないが、想像とは全く違っていた。
 
これを法衣に身を包んだ僧侶が演ずるとは、面白い。
宗教色も仏教色も感じなかったが、密教は全てを包含するから(と私は思っている)、ある意味、密教色は満載なのかも知れない。
 
今回出演の迦陵頻伽(かりょうびんが)声明研究会は、真言宗豊山派総本山長谷寺に伝承される真言声明の一派。
 
私は、8年前初めて高野山に登った翌日に、予定になかったのに、急遽長谷寺をお参りした、ということがあった。
長谷観音さまに呼ばれたとしか思えなかった。
長谷寺では、僧侶のみなさんが長谷観音に向かって大声で声明をお唱えするそうである。
それはもう、地を揺るがすような大きな声で。
まさに五大にみな響きあり。
 
真言宗の中でも宗派によって声明のお唱えの仕方が異なるようだが、豊山派の声明は、その華麗さから「役者節」と呼ばれるとのことだ。
 
今回の『蛙の声明』では、その「役者節」の本領が存分に発揮され、私にとっては新たな芸術性の体験になった。
 
 
先の拙ブログ記事で、同世代の4人の訃報を聞いた話を書いた。

そして、昨日、また、50歳の男性の訃報が入った。
3月のブログで書いたAさんの訃報を知らせてくれたUさん、そのUさん本人が急逝した。
Aさんが亡くなったという昨年7月からちょうど1年。
Uさんは1日に3、4回はフェイスブックに投稿していた。
最後の投稿は7月17日。
新婚ホヤホヤのUさんの、幸せそうな奥様との暮らしの一場面。
幸せの絶頂で逝ってしまったようだ。

人間の寿命は本当に分からないものだ。
幸せの絶頂からこの現実を突きつけられた奥様の心中は察するに余りある。
全く言葉がない。



ただ自分は生きている。
限りある生を生きているのだ、と思い知らされる。
特に1日1日を大切に生きようと思っていた訳ではないが、これまでの人生に無駄な日は1日も無かったと自信を持って言える。

自分は、ある完成形を目指して生きているように思えるが、その一瞬一瞬が完成形ともいえる気がする。
そんな自分を明日も生き続ける。



先日、高野山東京別院において、テレビなどのコメンテーターとしてもお馴染み、精神科医の名越康文先生の講演をお聴きした。

主催は高野山学園(高野山大学・高野山高校)であり、名越先生は、高野山大学客員教授でもある。

名越先生のご著書を何冊か拝読しているが、共感できるところが多いと感じていた。

名越先生は、仏教に関心を持ったときに最初はテーラワーダ仏教(上座部仏教)から学び始めたそうだ。

自分の心のうちをひたすら瞑想して観察し続けるテーラワーダに寂しさを感じて、曼荼羅の世界さながらに、たくさんのほとけさまと一緒に生きる密教に魅力を感じたそうである。

テーラワーダから密教へ、というのは私と同じ。

密教の豊かな世界を垣間見てしまうと、テーラワーダはもちろん、禅宗や浄土系の仏教も、なんだか寂しく感じる。

今回の講演でも、名越先生は、昔、「歩く瞑想」と「坐る瞑想」を4時間くらいやっていた、と話してくださったが、私は、睡眠時間以外はずっと瞑想というのを10日間続けてやりましたよ!(と言いたかった。)

講演のテーマが「密教と精神医学」だったが、どこらへんが「密教と精神医学」だったのかと振り返るに、医学あるいは科学というものは、それまで常識と思われていたことが、新たな事実の発見により否定されてしまうことが往々にしてあるが、空海の真言密教は、この1200年の間、否定されずに残っている、ということのようだ。
それだけ普遍的なことなのだ。

名越先生、59歳になられるとのことだが、小学生のお子さんがいらっしゃるとのことで、非常にお若い。
今後ますますご活躍されて、真言密教の素晴らしさを人々に伝えていただきたい。

名越先生の講演の後、高野山大学および高野山高校の紹介があった。
私は、高野山大学とはご縁がある(大学院で勉強中)が、高校は、子供もいないし、関係ないと思ったが、とりあえずお話をお聞きしてみた。

高野山高校、結構面白い。
少子高齢化で大学は社会人に門戸を広げることで生き残りを図るが、高校はそれも難しく、より一層の工夫が必要だ。

高野山高校では、難関大学を目指す特別進学コースや、アスリートや芸術家を目指す若者をサポートする通信科を設けるなどユニークな取り組みをしている。

若いうちから高野山で密教にどっぷり浸かって勉強できるとは羨ましいかぎりである。

空海の綜芸種智院の理念の下で、豊かな人間性を育んでほしい。

私は、普段は東京虎ノ門のビルの中でパソコンに向かって仕事をしており、およそ密教とかけ離れた環境で生活をしている。
せめてもの想いで、脇の壁に両界曼荼羅下敷きを貼り(東寺で入手)、PCの壁紙は空海の御影だ。

高野山金剛峯寺東京別院で、しばし高野山に触れることができた週末だった。