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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのは、いずれも岸田知子著の2冊。
『空海と中国文化』
『空海の文字とことば』
岸田知子先生は、元高野山大学教授。
中国哲学がご専門で、こちらの2冊は空海の詩文や書を通じて唐朝の中国文化をご紹介されているものである。

空海の文章は、当時流行していた四六駢儷体というスタイルである。
その特徴は以下のとおり。
①四字句・六字句が基調
②対句を多用
③美辞麗句の使用
④古典の字句(典故)の引用
⑤リズム感を重視(平音と仄音のバランス)

岸田先生は、ご著書で、空海の詩文を元にこの四六駢儷体の説明をしている。
空海の最初の著作とされる『聾瞽指帰』と、唐に留学したのちに一部(序文や十韻詩)が改変された『三教指帰』との比較が興味深い。
岸田先生によると、『聾瞽指帰』においては、平仄が完全ではないところを、唐にて学んだことを帰国後に反映させたようである。
『空海と中国文化』の中で、両者の『十韻詩』が比較されている。
ド素人の私が読んでも『三教指帰』の方が格調高く、情景が目に浮かぶような、なんとなく中国の漢文というように感じるが、『聾瞽指帰』の方は、若々しい荒さのなかに空海の出家に対する熱い想いが感じられ、その頃の空海の心の情景が見えてとても好きだ。

中国文化にお詳しい岸田先生、空海と「文房四宝」のことや、空海とお茶のことも書かれている。

「文房四宝」とは、筆、墨、紙、硯のこと。
空海は長安で筆作りを学んでいる。
嵯峨天皇に「狸毛(たたげ)の筆」を献上しているくらいだから、そうした書の道具の名品を楽しみにしていたところもあっただろう。

こちらは空海とは直接関係ないが、大阪の東洋陶磁美術館で見学した「文房四宝」の展示品。
こんな文机で空海の思索がされていたと想像するのも楽しい。

以前、当ブログで、空海とお茶を飲んだ夢の記事を書いた。
空海の当時のお茶がどんなものだったか、『空海の文字とことば』に紹介されている。
現代の煎茶や抹茶とは異なるようである。
茶葉を固形(これを餅茶(へいちゃ)という)にして保存し、飲む時に粉にしてお湯で点てて飲むのだそうだ。
空海や、長安の西明寺で空海に部屋を譲った永忠が、このお茶の道具を持ち帰ったのではないか、ということである。

残念なことに、著者の岸田知子先生は、『空海の文字とことば』が出版されるのを待たずに永眠された。
この本のあとがきは、息子さんと娘さんが書かれている。

是非、生前の岸田先生にお会いして、いろいろお話をお聞きしたかった。
誠に惜しい。
このような著書を残して下さった先生に感謝の意を表するとともに、心からご冥福をお祈りする。




真言宗善通寺派総本山善通寺。

四国八十八ヶ所霊場第七十五番札所。京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつ。

空海の生誕の地。


JR善通寺駅から徒歩で20分ほど。



境内は、東院と西院に分かれており、結構広い。



東院には、立派な五重塔。(重要文化財)


東院には、金堂もあり、御本尊の薬師如来さまがいらっしゃる。

こちらも立派な仏さまだった。


道路を挟んで西院へ。



こちらは、空海の出身の佐伯氏の邸宅があった所だそうだ。

1200年前の面影はないだろうが。



戒壇めぐりがこのお寺の一つの目玉であるが、残念ながら当日はイベントがあるそうで、一般の受付は終わっていた。

戒壇めぐりでは、空海の声が再現されていて、説法してくれるそうだ。

空海が説法。

似合わない。(と個人的には思う。)





JR善通寺駅までの帰り道、物産センターに足湯があったので、立ち寄った。

地元のおばさん(80歳になられるそう)と旅行者らしいカップルが、足を湯に浸け、語り合っていたので、お仲間に入れていただいた。

「どちらから?」の問いに「東京、いえ、川崎から。」と答える。

話好きおばさんらしく、東京で働く息子さん(早稲田大学出身)の話や色々旅行に行った話などをしてくれた。

「なぜ善通寺に?」の問いに「空海さんが好きだから。」と答えると、じゃこれをあげる、とお守りに散華を下さった。


人好き、話好きのおばさん、案外、空海のお母さんもこんな感じだったかも。

訪ねてきた人に、都に上った息子、空海の話を自慢げに話す。

空海の生地でのちょっとした出会い。



2年ぶりに讃岐の地に降り立つ。
2年前は、この地が空海の故郷であることすら知らなかった。
金刀比羅宮をお参りして饂飩三昧の旅行だったが、はからずも空海の故郷に来ていたのだなと今になって思う。
今回は讃岐の空海ゆかりの地を行く。
JR琴平駅のお隣の無人駅、塩入駅から徒歩。
のどかな田舎道をてくてく歩いて30分ほど。
人は全く歩いていない。
車もあまり通らない。
こちらは途中の新池。

さらに、森の道を歩いて、満濃池の堤防に着く。

空海が改修工事に関わった。
もちろん、現在の堤防は、空海の時代のものではないけれど、原理は空海が修復したものと変わっていない。

平成28年11月8日 国際かんがい排水委員会(ICID)がかんがい施設遺産して登録することを決定した。
そして、つい最近令和元年10月16日に国の名勝に指定された。


龍の伝説も。

龍の体の雲。右側には左に向いた頭が見える。

満濃池の畔に神野寺(かんのじ)がある。
空海が朝廷より与えられた行賞で創建されたそうだ。

今も池を見守る空海の像。

ずっと来たくて、何ヶ月も前から計画して楽しみにしていた。
やっと来られた。
思っていた以上にいい所だ。
交通の便が良くなくて、全く観光地化されていない。
それがいいのか悪いのか、なんとなく穴場感がある。
この場所をもっとみんなに知って欲しいような、いやむしろ知って欲しくないような、複雑な心持ち。

ともかく、ここに来られてよかった。
とても満足。