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☆私の本棚☆

読んだ本について思うところを書いています。

あくまでも個人の感想です。

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今回ご紹介するのはコチラ。
山田太一編『生きるかなしみ』


ふと立ち寄ったブックオフの100円コーナーで題名に惹かれて手に取った。


裏表紙に「生きるかなしみと真摯に直面し、人生の幅と厚みを増した先人達の諸相を読む。」とあった。


この本は、1991年3月22日、筑摩書房より刊行されたものを文庫化したものだ。


ちょうど30年前。


日本人がまだ阪神淡路大震災もオウム事件も東日本大震災も知らなかった頃。


編者・山田太一先生の序文のタイトルは、「断念するということ」。


バブルに踊り、札束が舞い散った時代(私は個人的にはその当時貧乏で札束には縁がなかったが)、ある意味日本人は万能感に浸っていたかも知れない、そんな頃に編まれたアンソロジー。


そんな時代に、日本人は「生きるかなしさ」に目を向けるべきだ、人間のはかなさ、無力を知ることだ、とこの本の序文は語る。


そして、編者が、このアンソロジーを編むのに際して断念したことは、この本に、難病や障害や老いを扱った作品を入れることだ。


いくつか候補となる作品があったそうだが、どれも重くて、その中の一篇を選ぶことができなかったという。


私も「生きるかなしさ」が「人間のはかなさ、無力」という点は大いに賛同するが、選ばれた作品の「かなしみ」は、私が思っていた「かなしみ」と少々違っていた。


それでも確かに生きていくということは、色々かなしいことがあるよなぁ、とは思った。


そんな中で、一番興味深く読んだ作品は、宮澤清六の『兄のトランク』である。


清六氏は、宮澤賢治の弟。


清六氏の文章も兄賢治のそれに似て、風が奏でる調べのようだ。


何しろ、宮澤賢治自体が「生きるかなしみ」そのもののような人ではないか。


トランクいっぱいの「生きるかなしみ」。



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服部真澄著『小説空海 最勝王』


空海の伝記的な要素はあまりなく、空海という人物や彼の生きた時代の枠組みを借りた創作ということだろう。
純粋な小説として楽しむ。


16歳の佐伯真魚(さえきのまいお、のちの空海)は、故郷の讃岐から勉学のため都に上る途中、難波津(なにわのつ)に立ち寄る。

彼は、子供の頃、聖徳太子に憧れ、四天王を従え、物部守屋と戦う厩戸皇子に扮する遊びに夢中だった。

難波津には、聖徳太子が建立した四天王寺があり、立派な四天王の尊像があるという。

真魚は、ぜひ、その四天王の像が見たいと思い、難波津に立ち寄ったのだ。

そして、そこでの、不思議な青年阿刀赤万呂(あとのあかまろ)との出会いから、この物語は始まる・・・。

赤万呂とは何者か?
真魚をどこに導こうというのか?
四天王がお守りしようとするお方とは?
そしてその者の身体にある印とは?

そんな謎解きが面白い古代ミステリーエンターテイメントである。

🍀🍀🍀☘️☘️☘️🍀☘️☘️☘️🍀☘️☘️☘️

ここからは、私の個人的な想いである。

この小説では、難波津に到着した時に真魚が見た四天王寺の風景が印象的に語られる。

船が淀川の河口に差し掛かったときに見えた、夕陽に浮かぶ金堂の輝きに一瞬目が眩んだ。

ああ、これが憧れの四天王寺。

真魚の胸のときめきが伝わってくる・・・。

私は大阪に住んでいた頃、週に2回ほど四天王寺の近くの禅寺の坐禅会に通っていた。

地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘駅から、四天王寺を横目に見ながら、あるいは、時間がある時は、四天王寺の境内を散策しながら、坐禅会に通ったものだった。

夕陽ヶ丘とは、駅の西側一帯の地名らしい。

かつては大阪湾に落ちる夕陽を眺める絶好の場所だったそうだ。

夕暮れ時に四天王寺辺りを散策しながら、いにしえの人々も同じ夕陽を眺めては1日の終わりにほっと一息ついていたのだろうかと、想いを馳せる。

若き日の空海が、四天王寺の西門で日想観を修行したとの言い伝えもあるそうだ。

空海の頃は、四天王寺は今よりずっと海に近かった。

西の海に沈む日を見つめながら、彼が思っていたのは海の向こうの大唐長安か、はたまた天竺か…。




久しぶりのブログ更新となる。

父の死から2ヶ月が過ぎた。

コロナや年末年始のバタバタの中で、父の住んでいた市営住宅の部屋の片付けになかなか取り掛かれなかったが、先週末にようやく片付けた。

といっても、遺品整理業者にお任せしたので、私がやることはほとんどなかったが。

4畳半と6畳の2間に、狭い台所とトイレがあり、お風呂は無し。

地位も名誉も財産も何も残さなかった。

でも、本人は至って幸せそうな晩年だった。

家財道具も少なく、遺品整理業者は手際良く、2時間程度で片付けてくれた。

細々したものの中から、写真や通帳、カード類などは仕分けして取っておいてくれた。

金目のものは全くなかったが、生きた証と言えば、まあ、そういうことだろう。



あの世には、本当に何も持っていけないのだな、と当たり前のことだが、全てを取り払ってガランとした父の終のすみかに佇みながら、しみじみ思った

思えば、親と子であっても、出逢いと別れがあり、まさに一期一会なのだ。

それでも、
幸せってなんだろう。
生きるってなんだろう。
そして、死ぬってなんだろう。
親は身を持って教えてくれる存在だった。

また会えれば。
どこかで。