気の狂いそうなスケジュールを
こなしてこられたのは
息子への愛
だけでなく
いつも
弟のリハビリを
手伝ってくれていた
戦友でもある
二人の娘にも
外国での診察という
貴重な体験を
見せてあげたい
一心だった
でもこのとき
同時多発テロの直後で
アメリカは
物々しい雰囲気が漂い
更に
ニューヨークは
50年に一度の寒波が
やってきていて
SARSも流行っていて
現地には
ボランティアさんが
いるものの
多動の障害児を連れての
英語が話せない
わたしたちの旅が
簡単ではないことは
容易に
想像がついた
それでもわたしは
家族皆で
渡米することを
疑わなかったが
夫や実母に
娘たちを連れていくことを
反対されたとき
ここまで
相当な我が儘で
突き進んできたことを
思うと
これ以上
その反対を押し切ることは
出来なかった
だから
娘たちに
自分の弱さを
何度も泣いて詫びた
そして
少しでも娘たちの
寂しさが
和らぐようにと
留守中の夜毎晩
絵本やおもちゃや
手紙という
家中に隠した
宝物の
宝探しをするように
宝の在処を書いた地図を
実母に託し
娘たちを頼み
夫と息子と三人で
フィラデルフィアへと
旅立った