わたしは
子どもの頃から「なぜこの世に罪と罰があるのか…」
「無限は、無条件の愛はどこにあるのか…」
と時おり考え
いつも
胸の深いところに
その問いを持って
生きていたし
結婚し
子どもが
産まれてからの人生は
壮絶だったし「楽になりたい…」
と思うことはあったし
あまりにも自分を責めすぎて
その自責の念から
逃れたいために
思わず
「死にたい…」
と口から溢れたことは
あったが
でも
エゴの死については
考えることはあったが
肉体の死については
考えることはないし
「死にたい」
と思った(言った)
のはそのくらいで
他はなく
わたしはそれは
奇跡だと
思っていた
でも昨夜
「死にたい…」
という思いが
強く溢れてきて
そのうち
「死にたい…死にたい…死にたい…死にたい…死にたい…死にたい」
という思いが爆発し
だからといって
それに捉われることはなく
ずっとそれを俯瞰して見ていた
というくらいだったが
「ああ、死にたいというのは
こんな気持ちなのか…」
と初めて知り
それが
わたしの気持ちなのか
集合意識のものなのかは
わからないが
その
孤独と絶望を
味わっていた
だからわたしの周りには常に
「死にたい…」と言うひとがいたのか…
わたしのこの深い思いと
引き合っていたのか…と思った
そして
それは昨日
さらに生き始めたからで
12月1日から
またエネルギーが
変わることも
わかっていたので
その為の大浄化だと
わかり
わたしは
その悲しみを爆発させて
味わい始めた
それは
言わなければ
誰にもわからない
涙も出ないような
静かな状態だったが
内側では
孤独と悲しみが
爆発しており
それは
ありのままの自分
無限を生きる自分と
離れていたことへの
孤独と悲しみで
それは
最善で、愛だと
わかっていたが
昨夜は
そんな言葉を押し退け
それらは爆発し始め
わたしは、人は
こんなに悲しかったのか…
これは
生まれたときからの
孤独と悲しみだ…
と思い
全身全霊で味わい続け
だからか
その数時間後には
「死にたい…」
という気持ちは
無くなっていた
そして今朝は
まだ完全には
その悲しみからは
抜けきれてはいないが
やはり
12月の新たな
本気のエネルギーを
感じ
無限の豊かさや
無条件の愛や
無限の可能性が
また漲り始めた
また
たまたま見た
ハートフルな動画の
幾つかを見て
「ああ、わたしの体は
わたしだけのものではない…」
と改めてハッとした
わたしもだが、わたしの友人らも皆
喜んで自分の体を差し出すし、
突然のハグや握手も楽しむ人たちだなと思った 笑
それは
18、9年くらい前
突然病気で
息子が障害を負いそして
導かれるように出会った
世界一ハードだと言われる
脳障害のリハビリの
最中に
それだけでも
過酷なのに
幼い二人の娘たちがいて
わたしも鬱だったが
「鬱になんて、なってられるか‼︎‼︎‼︎」
とわたしはそれを
蹴り散らかしながら生き
でも
元夫は
仕事だけはちゃんと
行ってくれていたが
酷い鬱とアル中と
モラハラと自殺未遂を繰り返し
常に家族を脅かすという