過敏性腸症候群 3. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.



















その後
洗腸機が壊れたことを
きっかけに












また
ウォシュレットで
洗腸をするようになった











そして
2021年夏前から
「体を動かしたい」
という欲求が湧き









そして
その前から
「この家をもっとスッキリしたい」
という欲求も湧いていて










そうしたら
離婚はしたけど
まだ同居をしていた元夫が
息子を連れて  











だから
6月末から
何となく掃除が始まり






 



8月には
ここに引っ越してきた
15年以上で









一切
手をつけていなかった
場所も含む
大掃除となり









朝から晩まで
体を動かし続ける
生活が始まった





















だから
食事も水分も
今までの何倍も摂り
からだを動かすという











一般的に
健康的と言われる
生活が始まった











そして
一般的な幸せな結婚生活
という時間は
少なかったが










自立や学びや浄化のためには
これ以上の相手は
いなかったのではないか
と思える元夫との











出て行ってもまだ
ローンを払い続けてくれていた
まだ解決していなかった
家の問題で
業を煮やした彼が









いつものように
法には触れないが
人間としては非道だと思えるやり方で
具体的にアクション
起こし始めた











だから
それにより
家族は揺すぶられた










でもそれは
元々潜在意識にあった不安が
彼の行動により
炙り出されたことでもあり









だから
彼が原因というより
彼はきっかけにすぎず









一般的には
どんなに壮絶で悲惨なことでも
それはさらにわたしたちが
わたしだけは分かっていたので










わたしは
揺れながらも
この経験も楽しむか…
と腹を括り
ワクワクもしていた














そしてこの
〝最後の〟








でも決して
簡単に終わるとは思えない
家のことでの
大浄化を











その後、結果
一年以上続くこととなった
掃除と共に










わたしや
わたしの家族は
味わい始めた





















だからわたしは

それにどっぷり浸かることは

無かったが










でも

ワクワクや感謝と共にあった

溢れ出る彼への

凄まじい怒りや悲しみは
素直に出した









だから
泣きながら
怒りでのたうち回りながら
大掃除をしていて












それは
20年前に
息子障害を負ったときに
そんな息子と
死ぬと言ったり









息子のリハビリ
命懸けになるわたしや
必死に生きる
小さな二人の娘たちを










酷い鬱とアル中とモラハラで
脅かし続けた元夫への
怒りと悲しみを
爆発させながら











世界一ハードだと言われる
息子のリハビリを
必死でしていたことと
重なった









そして
健康的な
赤ちゃんや
子どものように









喜怒哀楽を
感情を
表現したいものを











素直に
〝出す〟〝表現する〟
ということが










腸の排泄機能と
密接な関係にある
と様々な学びから
感じていた通り










その
健康的な生活と
感情が爆発し続けた
時間は









奇しくも
過敏性腸症候群の症状も
ほとんど出ず
洗腸もほとんどすることなく
わたしは健康的になっていった










でも
〝喜〟と〝楽〟は無限だが
〝怒〟と〝哀〟は有限なので










この大掃除も感情
いずれ終わることは
わかっていた通り
 








案の定
秋、冬くらいから
また腸の調子が悪くなり
過敏性腸症候群の症状も
出始めた












だから
引き続き
生き方の癖を見つめ
手放し浄化し











大腸の経絡は
肩周りにあるので
肩周りをほぐし
リラックスしながら











掃除もし続け
自分を心身共に満たし続け
今目の前のできることを
一生懸命しながら











お湯洗腸や
下剤のような物を使いながら
体質改善を進めていった

わたしはたまたまもらった
モリモリスリム茶が物凄く効果があったので
それに時おり助けてもらった(その後センナ茶)





















そして

2022年7月頃

今までの生き方や環境に

限界を感じたわたしは









さらに

魂も精神も肉体も環境も

次のステップに

進むときだと










まだ

握りしめていた

感情も思い込みも人生も

肉体の癖も環境も

手放せるものを

手放し始めた











そして

それと共に 

さらに自分の欲求に

他者を気にせず

耳を澄ませると










腎臓の辺りに
自家製のビワの葉エキスを塗り
カイロを貼り









ビワの葉エキスや
ビワの葉を入れたお風呂に
ゆっくり浸かり









お腹には
小豆カイロを乗せて寝て
レッグウォーマーや
腹巻をするなど

   







真夏なのに
外から体を温めるように
なっていった











また
冷たい物や刺激物や
生物や肉魚卵乳製品が
一切欲しくなくなったので

今は、肉はたまーに、卵はときどき食べる







自分でつくった

自家製天然酵母のくるみレーズンパン

酵素玄米と野菜と
自家製豆乳ヨーグルトとバナナ
1日1.5〜2.0ℓくらいの麦茶を摂り










内からも温める 
腸に優しい
生活となり











大掃除はしていないが
家事を細々とするなど
からだは最低限だが
動かしていて










家族らとも
最低限の会話しかせず
一人で食べたいという
わがままも叶え
自分の世界に集中していった












そして
家の問題は
まだ解決しておらず
元夫のアクションも
変化はしながらも続いていたが









この一年で完全に
彼へは
感謝だけになっており









わたしは
喜びで
のたうち回るように
なっていた











だから

そんな生活を

一ヵ月くらい過ごした頃









まだ

少しの刺激を与えての排泄で

完全に復活していた

わけではないが











でも

子どものとき以来の

健康的な腸の状態が

現れ始めた










それは

朝コップ一杯の麦茶を飲んだら

すぐに催したり

朝食か昼食を食べた直後に

すぐに催したり

食事中に催したり











それが

1日に1回ではなく

2回も3回も起こり

常にお腹がスッキリするなど












それは

このときのような

からだが空っぽで

発狂するような覚醒が

ずっと続いているような

有り得ない状態だった











だから

わが家の猫たちが

皆どんどん病気知らずの

地上天国を生きるように

なってきたように











家中が

どんどん整い

美しくなってきたように












わたしもこうして

心身魂共に健やかな状態が

当たり前の

地上天国に入っていった






















そして
そんな状態になる
少し前の初夏のある日









元夫と
突然出て行ってから
一年以上










全く会っても話しても
メールなどもしていない
息子と











もしかしたら
会えるかもしれない
という瞬間があった












でもそのときは
そんなことを
微塵も考えていなかった
わたしは










その、ある状況で
長女が突然
「お母さん、凜に会えるかもよ」
と言ったとき












頭上に
凄まじい雷光が
直撃したような衝撃で










その場で
脇目も振らず
泣き叫んで
転げ回った























そして

結局それは叶わず

会えなかったのだが










でも

そんな風に激しく

爆発する思いを










何も考えず

ただただ

素直に表現したことで










わたしは

ああ、

腸に変化が起きそうだ

と思った











すると

その直後に

洗腸や下剤どころか

一切の刺激も無しで










何十年も

起こっていなかったような

初めてかもしれないような

自然な排泄が起こり












わたしは

ああ、これが

ありのままのわたしだ

と思ったことがあった












そしてそれからの

7月からのこの変化で










今、だからその

健康的な状態が

2ヵ月以上続いていて












ふと、今日












ああ、もう

あの日のような












爆発的な

ありのままのわたしを

完全に生きるときだ

と思った